スカール様の憂鬱 〜確定申告編〜 下
「あ、あの、スカール様…?」
資料とともに燃え尽きたかのごとく、がっくりとご自分の椅子に崩れ落ちたスカール様のお肩を懸命にマッサージしていた横山くんが思い切ったようにお尋ね申し上げました。
「んぁ〜?」
お答えになるスカール様のお声からは、力というものがまるっきり欠落しておられました。心なしか、ドクロ仮面の視線もどこか虚ろで、焦点が合っていないような感じさえ致します。
「考えてみれば我々は『悪の秘密結社』でありますよね…? なのにどうしてスカール様おん自らこんなご苦労をなさって、律儀に確定申告なんてなさるんでありますか? 所得税だろうが住民税だろうが、全部まとめて踏み倒してしまえばよろしいではありませんか。でなければせめて、他の誰かにやらせるとか…。第一、スカール様がここまでズタボロ…もとい、お疲れになっているところにあの00ナンバーどもの奇襲でもあったひにゃ、この基地は一体…」
どかっ!
無言のまま、スカール様の右腕が思いっきり横山くんのどたまを張り倒しました。たちまち部屋の端っこまで吹っ飛んだ横山くんの口からあの名台詞が飛び出します。
「ひ…ひぇっ…! メガネ、メガネメガネ…」
「ぶわっっっかモンがっ!! だからお前は勉強不足だというのだ! よいか横山! 我々は今、日本政府を陰で操るために何とかその懐にもぐりこもうとしておるのだぞ! その為には我々の正体など決して悟られてはならんのだっ! 政治家や役人なんてのはな、ひとたびお友達になってしまえば相当なことをやらかしてもあっさり見逃してくれるけんどもさ、自分らに全く縁もゆかりもない組織や個人が脱税やら犯罪なんざ犯したら最後、徹底的に糾弾し、排除しようとするモンなのよっ。うまいこと取り入ったあとは、税金なんざいくらでも踏み倒してやるわいっ! だがそれまではあくまでも優良企業、青色申告の明朗会計をモットーにしているフリをせねばならんのだっ。貴様というヤツはどうしてこんな簡単なこともわからねーのさっ」
すっくと立ち上がり、大演説(お説教か?)をまくしたてるスカール様のお体からは力強いオーラがむんむんと立ち上っておりました。どうやら横山くんへの怒りというカンフル剤が、その気力体力をすっかり回復させてくれたようです。さすが横山くんっ(ちょっと違うぞ←自分)。
「そりゃ俺だって、こんなめんどくさいことやりたかねーよっ! しかし以前、代理で税額計算やらせていた税理士が、よりにもよって納税額をごまかして、ちゃっかり自分のポッケに入れちゃってたことがわかったんじゃいっ! …わがBGを相手にい〜い度胸、と、その根性だけは褒めてやってもいいくらいだがな…」
その税理士が、発覚後即闇に葬られたのは言うまでもないことです。しかしながらスカール様も、BG総帥でありながら無闇に他人を信じた己の甘さを海よりも深く反省なさったのでございました。考えてみりゃBGほどの大組織、しかも悪の秘密結社の長にとって「人を見たら泥棒と思え」とは常に肝に銘じておかなければならない絶対的真理。それをうっかり忘れていた自分にすっかり恥じ入ったスカール様は、以来必ずご自身の手で申告計算を行うことを決心なさったのでした。
「それに何だ? 00ナンバーどもの奇襲ぅ〜? ふん、奴らだって今この時期に奇襲なんざかけられる状態じゃないわいっ。あの裏切者ども…特に日本在住の連中が、普段何やって食ってると思っとるんだっ」
「はぁ…えーと、そのぅ…確か003がバレエダンサー、006が中華料理店経営…」
どうやら無事メガネを見つけたらしい横山くんが必死に考えてお答え申し上げます。
「007は006の共同経営者兼舞台俳優、そして009がF1レーサーといったところでありましょうか。でもって、ギルモア博士はその発明品の特許料とか各地での講演などで生計を立てているはず…」
「そ〜よ、その通りよ」
スカール様の頬に、いかにも邪悪な微笑が浮かびます。
「つまりだな、少なくとも日本在住の00ナンバーどもは誰も皆自営業あるいは自由業! 会社員のように、黙って座ってても社内の担当者が勝手に年末調整で税金計算をしてくれるような身分ではとてもないということだ! きゃつらめ、今頃は俺たち同様…いや、それ以上の地獄を見ているに違いない。それを見越して、先月しっかり嫌がらせもしてやったことだし、さぞかしてんてこ舞いしていることだろうて。ぅわ〜っはっはっはっはっはっ!」
「先月の嫌がらせ…? スカール様、それはもしかしてあの、P国とU国の小競り合いに介入したことでありますか?」
「すぉ〜およぉ〜。P国から独立したばかりのU国ではまだまだ社会情勢は不安定、おまけに国庫も火の車の自転車操業。そこにつけこんで再びU国の支配権を取り戻したいP国との小競り合いも日常茶飯事、今さら我々が乗り出さんでも当分くすぶっていること間違いなしだわさ。そこへわざわざ手ェ出して、ちょっくらその紛争を広げてやったのも、全てあの00ナンバーどもへの嫌がらせじゃい! ふはははははっ! 案の定奴らめ、のこのこあのイルカもどきの戦闘艇でやってきて、あの戦いを鎮圧するために二月一杯、いや三月頭まで走り回っておったからなっ♪ 全てをたった十日足らずで片づけるのは辛いぞ〜、大変だぞ〜、疲れるぞぉ〜。ざまぁみろ、00ナンバーッ! 徹底的に追いつめられて、とことんまで苦しみぬくがいい!」
スカール様の哄笑が、再び執務室内にこだま致しました。横山くんはただただその深謀遠慮に感服し、うっとりとそのご勇姿を見つめているばかりです。
そう、確かに時を同じくして、かの宿敵00ナンバーの日本在住組は…。スカール様と横山くんに勝るとも劣らないこの世の地獄の真っ只中にいたのでございました。
「きゃああああぁっっっ! 何でジョーのグランプリ優勝賞金の支払調書が私の出演料の中に交じってるのよぉっ! あーん、これじゃまた計算のやり直しじゃない…。もう、何度やり直せばいいって言うのおおおぉぉぉっ!!」
目の下に青黒いクマを浮かせたフランちゃんの悲痛な叫びがギルモア邸リビングの空気を切り裂きました。途端、連続六日間の徹夜ですでにかなり顔色が悪くなっていたジョーくんの頬からも、最後に残っていた血の気が一気に引いていきます。
「何だって!? それじゃこっちもやり直しじゃないかあああっ! フ…フランソワーズッ! その調書返してっ!」
「はい、どうぞ…」
触れ合う手と手にはもう、ほとんど力が残っておりません。と、フランちゃんの瞳が大きく見開かれました。
「やぁぁぁんっ! ジョーの方にも私の書類、紛れ込んでるじゃない! 『女性限定・いきいきレディス損害保険』の控除証明書が男の貴方のところに来るわけないじゃないの! どうして、気づいてくれないのっ!? ああ、これじゃ損害保険料控除の計算もやり直しだわ…」
「そんな…だったら君だって、どうして気づいてくれないんだよ、僕の支払調書っ!」
何だか二人の間に険悪な雰囲気が立ち込めてきたようでございます。数多の戦場をともに手を取り合って駆け巡り、度重なる生命の危機さえも互いにかばい合い、助け合いつつ乗り越えて、大事に大事に育んできた至上の愛にすらあっさり亀裂を入れるとは、恐るべし確定申告。
一方その隣では、張々湖大人とグレート氏が、一台の電卓をめぐって大舌戦を繰り広げておりました。
「ちょとグレート! それ、わてが使こてる電卓ヨッ! あともうちょっとで売り上げの計算終わるちゅう大事なときにひったくるなんて、おまはん人間じゃないアル!」
「うるさいっ! こっちはあとちょっとで全部の計算が終わるんだっ! そーなりゃもう残るは申告書への記入だけ…ああ…それが終れば眠れる…眠れるんだぁぁぁぁっ!」
「ひどい、グレート! こんなときに自分だけ眠ろうとするわけ!? もうそんなところまでできてるんなら、全部終ったあとは私の計算、手伝ってよぉぉぉっ!」
「ちょいマチ! いくらフランソワーズとはいえここはわても譲れないアル! 何しろわてには確定申告だけじゃなく、店の消費税申告もあるのことネ! グレートッ! 自分の分が終ったあと手伝ってもらうのはこのわてアルヨッ!」
「ああ…これもみんなP国とU国の紛争の所為だ…あれがあと一週間早く治まってくれさえすれば、こんな目に遭わずにすんだのに…」
「ジョー待てっ! 寝るなあああっ! 今寝たら死ぬぞっ! …じゃなかった、申告が間に合わんぞっ。F1トップレーサーの君が脱税なんぞしたらどれほどのスキャンダルになるか…うわ待てっ! グレートっ! その電卓は我が家に残った最後の一台じゃぞ! ぶち壊したらもうあとがないんじゃ、あとがぁぁぁぁっ!」
「んなこと言ったって博士…連続八十二時間ぶっ通しで叩きっぱなしじゃ、電卓だって音を上げまさぁね。…止めんで下さい。今の俺には仲間の絆も友情もどうでもいい…とにかく自分の申告だけを…申告…だけ…を…」
「それは私も同じことっ! ついでに愛だってどうでもいいわっ! グレート、その電卓を渡してっ! でなければ、腕ずくでも奪い取るわよっ!」
「ああもう、いやアル! 何もかもいやアルぅぅぅ〜っ!」
笑い続けるスカール様の脳裏にこのような修羅場が描き出されていたかどうかは、作者ごとき凡庸な人間の理解の範囲を超えております。しかしながらあえて苦言を呈させて頂ければ、そんな三月頭まで00ナンバーどもへの嫌がらせに夢中になっていたおかげで、結局はご自分自身の首をも、荒縄で思いっきり絞めてしまわれたのではないでしょうか。…しかしこれも所詮は名もなき一般庶民の戯言でございます。きっとスカール様のお心の中には、作者のような愚か者には思いもつかないお考えがあったのでございましょう…。
閑話休題。
さて、BG基地内総裁執務室ではようやく全ての収入計算を終えたスカール様と横山くんが、今度は所得控除の計算に取りかかっていたのでございました。
えー、ボラボッチ家には当主であるボラボッチ氏のほか、完全専業主婦の奥様と二二歳から九歳まで合計七人のお嬢様、そしてボラボッチ氏ご自身と奥様のご両親も同居していることになっております。つまり、その扶養親族は総勢十二人。おまけにボラボッチ氏は当年とって六七歳、しかも十年前に交通事故に遭っておみ足を悪くされ、普段の生活には車椅子が欠かせないという設定になっておりました。もちろん、年間十万円の生命保険、同じく二万円の長期損害保険、四千円の短期損害保険にもしっかり加入しております。
これぞまさに配偶者控除に始まって特定扶養親族控除から老人扶養親族(同居老親等)控除、さらには障害者控除に加えて生命保険料控除に損害保険料控除と、使える控除はみんな差っ引けるように巧妙に画策された大ウソであることは言うまでもございません。本当は老年者控除や配偶者特別控除なども使いたいところなのですが、残念ながらこれら二つが適用されるのは年間所得一千万円以下の方に限られてたりするもので…まぁその分は政府与党及び野党第一党にそれぞれ一億円ほども金をばら撒いてたり(でもこれはある意味必要経費かも)、ついでに医療費も七百万ほど使ったことにしてあるので(こっちは当然完璧な大ウソ)、寄付金控除と医療費控除で充分取り返すことができますでしょう。…そう、正義の味方の00ナンバーには決して許されない所得税法違反も、悪の秘密結社であるBGにはやりたい放題、好き放題でございます。「バレなきゃ何でもあり」―そう、それこそが悪の掟、BG総帥として決して曲げられない信念というものなのですから(拍手!)。
ですがそんな巧妙な手口の中にもやはり、綻びや弱点というものはあるものでして…。
「なぁ、横山…」
「何でありましょうかっ」
「この、ボラボッチの長女なぁ…来年は二三歳だろう? そーなったら当然、特定扶養親族からは外れるわな。う〜ん、ここで特定扶養親族が一人外れるのは痛いぞ。すっげぇ痛いぞ。だがボラボッチはすでに六七歳…。今さら子供作るっちゅーのもちょいと不自然ではないかいな」
「はぁ…。日本にも七十過ぎて子供を作った豪傑はいないではありませんが…確かに多少不自然なのは否めないであります」
「それじゃそろそろ配偶者に死んでもらって寡夫控除を使えるようにするしかないか…」
「しかしスカール様! 現在日本の税制では寡夫控除もまた、年間所得五百万円以下の者でないと使えないことになっているであります。でしたらもっといい考えが…」
「ふむ、何じゃい」
「ボラボッチ氏に孫を作るんですよ、孫を」
「…却下」
どうやらスカール様もかなりお疲れのご様子です。本来なら烈火のごとき怒りが爆発するはずのこのような言い草ににも、ただ気のない調子でぼそりとつぶやかれるばかり。
「孫なんざ、何ぼ生まれようがどいつもこいつも父親の扶養親族になるでないの。祖父であるボラボッチの扶養親族になんざ、父親が死にでもせん限り、なるわけないのよ〜ん」
ミもフタもないスカール様のお言葉がふわふわと宙を漂います。しかしもちろん、こんなことでめげる横山くんではございません。
「はい、それはまさしくおっしゃるとおりでありますが…でも…だからですね」
にこにこと微笑みながら、横山くんはなおも続けます。ちなみにこの表情、本人としてはスカール様に勝るとも劣らない邪悪な微笑のつもりなのですが、如何せん元の顔が顔だけに、どう頑張っても「邪悪」どころか、親しみやすくて憎めない笑顔にしかなりません。
「父親に、死んでもらえばいいんですよ」
「なぬ?」
「こういう筋書きはいかがでありましょう。ボラボッチ氏のご長女が大学のクラスメイトと半ば駆け落ち同然のできちゃった結婚、半年後には無事双子を出産して親子四人幸せに暮らしていたのですが、その彼氏が赤ちゃん誕生後わずか二ヵ月で労務災害で死亡…。悲しみに打ちひしがれたご長女はそのまま二人の子供を抱いてボラボッチ家に戻ってくる、と…」
横山くん、どうやらストーリーテラーとしての才能も中々のようです。
「ある日響いた呼び鈴の音にボラボッチ氏が玄関を開ければ、そこには二人の乳飲み子を抱え、すっかりやつれた娘の姿。そして、父親の姿を見るや泣き崩れ、『お父様…ごめんなさい。あんな、家出同然の結婚をしたというのに一年もたたない間にこんなことになってしまって…』と」
「ふ〜む。そこでボラボッチが『おお、よく帰ってきた。さぞ辛かったことだろう…』と、こちらも涙ぐみながら抱きしめるわけだな」
これぞまさしく究極のメロドラマ。おお、気がつけばいかにももの哀しげなB.G.M.まで流れて参りました。
「今さらおめおめとこの家に戻れた義理ではないことは充分わかっています…。でももう、私には他に行く場所がなくて…お父様、私のことは許して下さらなくて結構ですわ。でもせめて…せめてこの子たちだけは…お父様の孫だけは…」
見ればいつのまにか横山くん、薄手の綿セーターにデニムのジャンパースカート、綿ソックスにゴム底のデッキシューズと、すっかり今どきの若いお母さんスタイルになっております。ご丁寧にもその腕には、赤ちゃんがわりの特大キューピー人形が二体。009の加速装置や004の膝ミサイルだけでなく、007の変身能力をもTV学習で身につけたというのでしょうか。しかし惜しいことに顔だけは横山くんのまんまです。やはり見よう見まねの自己流では、習得できる技術にも限界があるのかもしれません。
そんな横山くんを、いつしかご自分もゆったりとしたカシミアのセーターとツイードのズボンを身につけ、車椅子の膝には奥様手編みのひざ掛けをかけたスカール様がひしと抱きしめます。
「おお、おお…そんなことはもう気にするな、娘よ…。親とは子供の幸福だけをひたすらに望むもの、わしだってお前たちのことはとうに許していたというのに…。お前は今でもわしの大事な娘、ましてこんな可愛い孫たちを追い出したりなぞするものか。もう何も心配しないで全てお父さんに任せなさい。お前たちの生活は、これから全てこのお父さんがしっかりと面倒見てやるからな…」
「お父様…ッ!」
「娘よぉぉぉ〜っ(よよと号泣)! …よし、それいただきっ! 横山! 即刻ボラボッチの偽装戸籍にその旨つけ加えるよう手配せよっ」
「ははぁっ!」
そしてめでたく、ボラボッチ氏の扶養家族は来年さらに二人増える予定になったのでございました…。
たとえどのような苦難が襲いかかろうとも、茨の道を歩もうとも―「永遠にやまぬ雨はない」「朝の来ない夜はない」と申します。スカール様と横山くん、二人がかりの確定申告作業もようよう最後の大詰めを迎えていたのでございました。
残るは申告書への記入と税額計算だけでございます。なのにそこまできて、スカール様のお手がぴたりと止まってしまったのでございました。
「…ど…どうなさったのでありますか、スカール様…?」
今度はNOV○うさぎのついたマグカップに香り高いコーヒーを注いで運んできた横山くんが、不安げにスカール様のお顔をのぞきこみます。と、それを見やったスカール様の口元から…。
「よ〜くぉ〜や〜むぁ〜…」
いかにも情けない、今にも死んでしまいそうなお声がもれてきたのでございました。
「今になって…くっすぉおおおっ! 今になってえええぇぇぇっ! 手が動かねーんだよっ、手がっ! うおおおぉぉっ! 一体どういうことなのだ!」
たとえ日本政府に取り入るという遠大かつ綿密な計画のためとはいえ、あんなチンケな国に対してクソ真面目に多額の税金を支払うなど、BG総帥であられるスカール様にとってはおそらく、これ以上ないくらいの屈辱なのでございましょう。理性では割り切ったつもりでも感情が許さない…言葉を変えれば潜在意識の行動制御とでも申しましょうか。ああ、本当に…人というものは出世すればするほど本来の自分を押し殺し、意に染まないことでも涙をのんで決行せざるをえないときがあるものでございます。
「あ、あのー…。では、僭越ながら残る税額計算のみ、私が代行致してもよろしいでありますか?」
スカール様の苦しい苦しい胸の内を察したらしい横山くんがそうっと声をかけます。この気配りこそ、彼を同期の出世頭に押し上げた原動力なのでした。
「おお、横山…。やってくれるか―俺の…俺の、かわりに…」
「はっ! もちろんであります!」
手と手をしっかり握り合い、ひたと見つめ合ったスカール様と横山くん。見ているだけでも目が潰れそうに美しく気高いこの光景こそ、まさに「上司と部下」の理想的な姿というものでございましょう。
「そーかそーか。ではほら、ここに座ってな。…電卓はこれを使え。もしよければ今運んでくれたこのコーヒー、お前が自分で飲んでもよいぞ、な…」
「はぁぁぁっ! 勿体ないお言葉でありますぅぅぅ〜っ」
感動のあまり涙を浮かべた横山くんが、畏れ多くも総裁用の椅子に腰かけます。こんなことでもなけりゃ多分一生座れないであろう席についた感激に、その丸まっちい顔に流れた歓喜の涙も一瞬のこと、鼻水をすすり上げつつ次の瞬間、確かな手つきで電卓を叩き始めた横山くんを尻目に、スカール様はこっそり、頭の中で今年度の税金の試算などなさってたりして…。
(直営企業五百社のうち、日本企業からの給与からはすでに源泉徴収がなされているはず…ボラボッチの収入から考えうるに税金還付などは夢のまた夢としても、この納付済み税額とあの所得控除を計算に入れれば多分、追加納税もン千万単位で済むかも…うん、腐っても我らがBG、それくらいの支出ならあの裏資金管理部長、シロオスラシ会計大佐も許してくれるかもしれん…)
シロオスラシ会計大佐―BG団裏資金管理部長こそ、さしもの総帥スカール様といえども頭の上がらない唯一の人物でございました。何しろこの方、入団以来裏資金管理一筋三十年、今やBGの財布を預かる唯一無二の人物である上、実を言うとスカール様よりBG入団が早かったりして…懐かしくも恥ずかしき若かりし頃のスカール様が出張旅費精算や小払資金の勘定が合わないたびに泣きついていた、大恩ある大先輩だったりするのです。
てなわけで、このシロオスラシ会計大佐に理不尽な支出や無駄な経費の出金を依頼したが最後、天下のBG総帥スカール様とてそれはそれは過酷なリンチ、目を背けたくなるようなお仕置きを受ける羽目になるのでございました。
おお…今でもありありと思い出します。かつてあれだけの巨費を投じて造り上げた00ナンバーどもが脱走したときの、シロオスラシ大佐の般若のような形相…。
(スカールぅぅぅ〜っ! このドアホ! ボケ! 役立たずっ! 奴らの開発に一体どれだけの資金がかかったと思ってんだよっ! ここまで多大な投資をさせやがって、結局びた一文モトが取れないうちにあっさり逃げられただぁ〜? 貴様、このBG団を破産させるつもりかいっ! こっちゃこいっ! 俺がじきじきにヤキ入れたるわいっ!)
あのときぶっ叩かれた背中の傷は、今でも何かにつけてしくしく痛むのでございます。
ええもちろん、今のスカール様の権力を持ってすればそんなやかましいロートルの一人や二人、闇から闇に葬ることは赤子の手を捻る…いえいえ、赤ん坊の可愛らしい鼻をつまむよりも簡単でしょうとも。ですがもし、シロオスラシ大佐を粛清したが最後、その後任が務まるような守銭奴…もとい、財産管理に卓越した才能を示す人間など、たとえBG広しと言えども見つかるわけがないのであって…。
(ン千万…いやせめて一億台の追加納税なら、俺も心置きなくシロオスラシ先輩に出金依頼ができるというもの。頼むぞ、横山…何とか追加納税額を一億円台に収めてくれいっ…)
今や神にも仏にも土下座して祈りたいスカール様のお耳に、横山くんの晴れ晴れとした声が響いたのは、税金計算開始後七分三十秒後のことでございました…。
「出ました、スカール様!」
「おおっ! ついに…ついに出たかっ…! …で、その結果はどうなった? あーん?」
早鐘のように高鳴る心臓、激しく揺れるお心を隠してお尋ねになるスカール様。
ですが、そのお耳に届いた横山くんの言葉には情け容赦も情状酌量もなく…。
「はっ! 昨年のボラボッチ氏の収入にかかる税額は、きっかり二四億八九七七万五千円、すでに納付済みの源泉徴収税額を差っ引きまして、追加納税額は十一億三六五二万三千円でありますっ!」
「…!」
瞬間、世界の時が止まりました。
「えーっとですね、計算の結果、ボラボッチ氏の昨年度総収入は六九億五一八六万四千七百飛んで二円、それに対する各種税額控除の合計が二億一五三三万五五二六円。よって差引課税所得は、千円未満を切り捨てて六七億三六五二万九千円ということになりますからして、税額はそれかける〇.三七マイナス二四九万円、加えて本年の定率減税額が二五万円控除されますから…」
「もういいっ! 横山っ! どけぇぇぇぇっ…」
得意げに報告を続ける横山くんを椅子からどつき落とし、机の上に散乱した資料をもとにスカール様が再計算した結果はというと―。
たった今の横山くんの報告と、寸分違わぬものであったりしたのでございました。
ご自分のお席で、半ば地蔵と化してしまったスカール様。やがてその頭部から、「ぶしゅうううぅぅぅ…」という盛大な音とともに、大量の鼻血と耳血が噴出したのは言うまでもございません。
「…ぶゎ…ぶゎ…。ぶゎあああぁぁぁ〜くゎあああぁぁ〜ぬゎあああぁぁぁぁぁ〜…っ!」
かくしてこの年、基地内恒例、毎朝のスカール様の訓戒は、三月初旬どころか四月半ばに至るまでお休みと相成ったのでございました…(合掌)。
〈了〉