前略、道の上より 7


「…なぁおい、どうしよう…この間の話、いよいよヤバくなってきやがった…例の犯人ども二人が揃ってヤサ引き払って、行方をくらませちまったんだよ! 大家には『田舎に帰ってやり直す』なんて言ってたそうだけど、奴らには田舎なんてねぇんだと。両方ともこの土地の生まれで、もちろん実家になんざツラも出しちゃいねぇ。これから今井さんやタケさんが店に来てくれるっていうんだけど…一体…俺…どうしたら…」
 携帯電話からかけてきたのであろうヤスの声は、かすかに震えていた。受話器を取ったジョーの頬からも一瞬血の気が引いたが、すぐに気を取り直して力強く叫ぶ。
「ヤス、落ち着いて! 僕とジェットも今すぐ行くから、心配しないで。大丈夫だから…絶対、大丈夫だからねッ!!」
 電話を切って振り返れば、すでに準備万端整えたジェットが車のキーを投げてよこした。
「おいジョー! 今の電話ヤスからだろ? ぐずぐずしちゃいらんねぇ、すぐ出ようぜ!」
「わかった!」
 そして脱兎のごとく家を飛び出し、全速力で車を走らせて例のコンビニに向かったのだが。
 昼間のそこは、真夜中とはまるで別の場所のようだった。いつも見慣れたしんとした静けさなどこれっぽっちもなく、店の前の歩道は人、人、人の大混雑。もちろん車道も同様で、いつもなら何の苦もなく車を停められる路肩は路上駐車車両にびっしりと塞がれている。一瞬茫然となったジョーとジェットだったが、それでも運良くそのうちの一台が路肩を離れて動き出したのを見つけ、空いた場所に車を無理矢理押し込んだ。そのあとはもちろん、店に向かって全力疾走である。
 自動ドアが開くのももどかしく店内に飛び込んでみれば、こちらもかなりの数の客でごった返していた。レジの中、てんてこ舞いで客をさばいていた店員が、それでも首だけこちらに向けて、大きな声を張り上げる。
「いらっしゃいま…」
 だが、血相を変えて飛び込んできた二人の表情を見た途端、店員の営業スマイルは引きつった。その一瞬の隙を突いて、ジョーがすかさず話しかける。
「お忙しいところお邪魔してすみません。僕たち、こちらの花岡さんの友人なんですけど…花岡さんはいらっしゃいますか?」
「花岡…チーフ?」
 彼もまた学生バイトなのだろうが、ジョーとジェットにとっては初めて見る顔である。いきなり出されたヤスの名に、ますます怪訝そうな表情になるバイト店員。そのときレジ後方、例の控え室の扉が開き、もう一人、やや年上らしい店員が姿を現した。と、すぐさま状況を見て取ったのだろう、さっとレジまでやってきてジョーとジェットに一礼する。
「お客様、申し訳ございません。ただ今レジがたいそう混雑しておりますので、お話でしたら私が…。新田、手が止まってるぞ。お客様をお待たせするんじゃない」
 叱られたものの、バイト店員は幾分ほっとしたような顔になる。そして二言三言、レジで待っていた客に詫び、再び慣れた手つきで仕事に戻った。
 一方のジョーたちは、あらためてヤスの名を告げ、面会を申し込む。
「花岡…ですか? 申し訳ございません、花岡はただ今少々取り込んでおりまして…」
 先のバイト学生同様、怪訝そうに眉をひそめたその表情が、ふと変わった。
「…あ! もしかしてお客様…島村さんとリンクさんでいらっしゃいますか?」
 二人が大きくうなづいたのは言うまでもない。店員もそこでようやく納得したようにうなづき返し、レジの奥、他の客の目の届かない柱の陰に二人を案内する。
「貴方方のことは花岡から聞いていますよ。…あ、申し遅れましたが私は井沢と申します。何でも、今度の件のことでご協力下さるとか。ただ…今回はことがことですし、今は警察の方もみえておりますので…」
 声を潜め、考え深げに腕を組んだ井沢の脇を、ジェットがものも言わずにすり抜けた。
「あ…リンクさん!」
 引きとめようとした井沢を、ジェットの腕が軽くはねのける。
「いいってことよ。警察も俺たちも、ヤスとこの店を守りてぇのは同じなんだ。ちょいとご挨拶して、今後の打ち合わせでもさせてもらおうじゃねぇか」
「しかしですね、相手はごうと…」
 少し声を荒げてしまった井沢が、慌てて自分で自分の口を塞ぐ。そんな彼に、ジョーがにっこりと微笑みかけて。
「僕たちなら大丈夫ですよ。何しろヤスの友達ですから、多少は腕に覚えもあります。ですからどうぞご心配なく」
「いえ、だからそういう問題じゃなくてっ…」
 井沢が再び言いかけたときには、客二人はすでに控え室の中へと消えてしまっていた。

 一応ノックはしたものの、突然入ってきた二人に、室内の面々はかなり驚いたらしい。
「お、おいっ!」
「一体何なんだ、君たちは!」
「ジョー、ジェット! 来てくれたんだな!」
 あたふたとした叫び声が飛び交う中、ぱっとその表情を輝かせたのはヤス。そして最も困惑した顔になってしまったのはもちろん今井であった。
「きっ…君たちが…どうして…」
「今井! お前、この二人を知ってるのか?」
 そう言って今井を振り返ったのは、年の頃なら五十がらみの同じ制服警官。角ばった強面だがどことなく愛嬌のあるこの男が、おそらく今井の上司、竹内巡査部長なのだろう。もう一人、竹内と同じ年恰好でコンビニの制服を着ている男はこの店のオーナーか。小柄で、頭髪の方もかなり淋しくなっているその風貌はいかにも「どこにでもいる気のいいおっちゃん」という感じだが、どことなく―ほんのわずか、得体の知れない図太さが漂っている。
 だが、今はどちらも完全に混乱しているであろうことは一目瞭然で。ジョーとジェットを追って控え室に戻ってきた井沢が、「あちゃぁ…」というつぶやきとともに天井を仰ぎ、肩をすくめた。
 その後、ヤスが懸命に説明してくれたおかげでどうにかこうにかパニックは収まったものの、連中の仏頂面は変わらない。その理由は先ほど井沢が言いかけた台詞そのまま、曰く「強盗なんぞをやらかす凶悪犯が相手だというのに民間人―それも未成年を巻き込むなんて危険な真似は絶対にできない」、この一点である。特に今井、竹内の両警官は頑固で、ジョーとジェット、そしてヤスが口を酸っぱくして説得しても、耳すら貸そうとしない。
「…あーあ、わかったよ! これだけ言ってもダメなんじゃ仕方がねぇ」
 とうとう根負けして「お手上げ」のポーズになったジェットに、竹内がぱっと顔を輝かせた。
「そ、そうか! ついにわかってくれたんだな! いや、本官もな…君たちの厚い友情には心底感激しとるんだ。こう言っては悪いが、今どき友達のためにこんなに親身になる青少年がいるなんて思ってもいなかったよ。だが、やはりこの件は我々警察に任せて…」
 安心したのか気が緩んだか、饒舌に語り始めた竹内に、ジェットが「ちっちっちっ」と舌打ちをしながら人差し指を振って見せた。
「いーえ、違いますよ。仕方がねぇからこっちも奥の手を出すまでだ。…おいジョー、お前、ケータイ持ってきてるな?」
 言うや、うなづいたジョーの耳に口を寄せ、何事かをひそひそささやく。
「そうかジェット! その手があったよね!」
 たちまち嬉々として携帯電話を取り出すジョー。その指が目にも留まらぬ速さで文字盤を走る。そして―。
「もしもし? 島村です。…お仕事中すみませんが、今ちょっと、いいですか?」
 どうやら何処かへ電話をかけたらしいジョーが、何やらぶつぶつと相手と話し合った後で。
「すみません…ちょっと、こちらの方とお話ししてもらえませんか?」
 あろうことか、いきなり竹内に携帯電話を差し出したのである。意表を突かれた巡査部長は、ついついその携帯電話を受け取ってしまった。
「あー? お電話代わりました。私、S県A署、○○西派出所の竹内と申しますが…」
 その耳に流れ込んできたのはまだ若い―なのに妙に貫禄のある声。
(お、毎度お勤めご苦労さん。固っ苦しい話はヌキにして単刀直入に言うけどよ、今あんたの前にいる青少年二人、な。ほれ、ちょっくらハーフっぽい美少年と、これまたちょいといい男、赤毛のアメリカ青年だ。そいつらの腕はこの俺が保証すらぁ。ゴートー犯だろうが殺人犯だろうが、並大抵の相手に引けを取る奴らじゃねぇからよ、余計な心配なんざしてねぇで素直に協力してもらいな)
 いきなりぶちかまされたべらんめぇ調に、竹内の顔が真っ赤になった。
「おっ…おいっ! あんた一体何者なんだ!? いいか、こっちは強盗犯―凶悪犯罪の捜査をしてる最中なんだぞ! どこの馬の骨とも知れないヤツに言いたい放題言われて、『はいそうですか』なんぞと納得できるわけないだろうが!」
 が、電話の向こうの相手はただからからと大笑いしただけ。
(なんだ。島村のボーヤ、俺のこと言ってねぇのかよ。…悪りぃ悪りぃ。じゃ、自己紹介させてもらうぜ。俺ゃよ…)
 次の瞬間、竹内の身体が硬直した。
「は…? 警視庁…薬物対策課…管理官…!? 松井…警視ィ…!?」
 しかしこっちも海千山千の叩き上げ、すぐさま正気を取り戻して電話に向かって吼える。
「ふざけるな!! よりにもよって警視庁管理官殿の名前をかたるとは何てヤツだ! 悪ふざけもいい加減にしろ! さもなきゃこっちにだって…」
 しかし相手はいっそう面白そうに大きな笑い声を上げたばかりで。
(ぶゎはははははっ! そりゃま確かに疑われてもしゃぁねぇわなぁ。よし。さっきあんた、S県A署って言ってたよな。そんじゃよぉ、騙されたと思ってあと十分…いや、五分でいーや。あと五分だけ、その青少年たちをその場から追い出さねぇでやってくれるか? したら俺、必ずてめぇの言葉の真実を証明してみせるからよ。頼んだぜ!)
 言うだけ言って、ぶつりと切れてしまった携帯電話。竹内の顔がさらに真っ赤になった。ここまできたらいつ脳内の血管が破裂してもおかしくない、そんな状態だと思われる(←…かなりアブねぇ)。
「おっ…おい、君っ! ひっ…人をからかうのもいい加減にしろっ! いくら友情のためだろうが何だろうがなぁ、こんな悪質な嘘で他人を…それも警察官を翻弄するなど、立派なはん…っ…はんっ…犯罪だぁぁぁぁっ!」
 頂点に達した怒りが言語中枢にまで転移したのか、いささかどもりがちな絶叫とともに叩きつけるような勢いでジョーに突き返した携帯電話。…と、それが再び鳴り渡り、すぐさまジョーが通話ボタンをオンにする。
「はい、島村です…え? はい…はい、いらっしゃいます。今すぐ代わりますから、少々お待ち下さい」
 そして再び、携帯電話は竹内に戻された。
「すみません。えと…竹内さん…? に、お電話です」
「今度は何だっ!」
 いまだ怒りの覚めやらない竹内は、悪鬼の形相でジョーを睨みつける。だが、にこにことこちらを見つめる童顔、そして屈託のない茶色の瞳にいささか毒気を抜かれたらしく、渋々ながら再度電話を受け取った。
「あー? 竹内だ。またさっきのアンタじゃないだろうな! いいか、これ以上警察官を愚弄したりしたら…」
 だが受話器の向こうから聞こえてきたのは先ほどの男とは似ても似つかない、しかも竹内がいやと言うほど聞き慣れた声だった。
「は…はぁ!? 署長!? たたた、大変失礼致しましたッ! し、しかしどうして署長がこんな一般人の…それも未成年の携帯電話に…」
 たちまち直立不動となり、硬直してしまった制服警官。だが、電話の相手も彼自身に負けず劣らず混乱しているようで。
(いや…実はわしにもよくわからんのだ。たった今、警視庁の松井管理官から電話を頂戴してな、『申し訳ないが、ちょっとそちらの竹内という警察官に伝言をお願いしたい』とおっしゃるんだよ。…で、彼は多分今、島村という少年と一緒にいるはずだからと、その子の携帯電話の番号を教えていただいたんだが、その伝言というのもさっぱりわけがわからなくてなぁ。竹内君、君…松井管理官と何かあったのか?)
 そんなことを訊かれても、竹内に答えられるわけがない。
「はっ…いや、それはですね…えー…そのぅ…」
 しどろもどろになって額の汗をぬぐう警察官の姿は、どこか滑稽なような、気の毒なような。
 しかし、幸運なことに相手はそれ以上ツッコむ気はないらしかった。
(…まぁいい。別に抗議だの文句の電話ではなかったようだしな。松井管理官もたいそうご機嫌麗しく、何やらえらく面白そうな口調で話しておられた。では、伝言を伝えるぞ)
「はっ!」
 竹内、電話を片手に敬礼までしてみせる。
(「例の件については何卒よろしくお願いする。なお、貴官の慎重さ、用心深さは警察官としてまことにふさわしく、頼もしいものである。その力を存分に発揮し、事件解決に向けて奮励努力していただきたい」―以上! …おい、例の件…事件というのはこの間君が言ってたアレか? コンビニ強盗の報復とか何とか)
「はっ! そのとおりであります!」
(そうか…一体松井管理官はどこからそんな情報を手に入れられたものやら…。いやしかしそんなことはいい。わしからもよろしく頼むよ、竹内君。一度事件を起こしたとはいえ立派に更生し、しかも自らの危険も顧みず凶悪犯逮捕に協力してくれた、そんな前途有望な青年にもしものことがあったら社会の損失だ。必ず守ってやってくれたまえ。では…)
 いつの間にやら社会の宝物になってしまったヤス。さすが、「松井管理官」の名前は大したものである。
 だが、今の竹内にとってはきっと、そんなことはどうでもいいはずで。
「あああぁ〜っ! まさかあれが『本物の』管理官殿だったなんてっ! なのに私は何て無礼なことをっ! …終わりだ…本官の警察官生命はもう終わりだ…『終生一派出所員』、定年まで必ず立派に勤め上げようと…警察官になったその日にあれだけ固く誓ったのにぃぃぃ…っ」
 とうに切れてしまったジョーの携帯を抱きしめつつ、うつろな声でぶつぶつとつぶやく竹内に、さすがのジョーとジェットも少々薬が効きすぎたかと不安げに顔を見合わせる。
「あ…あのー、竹内…さん? あの、そんなに深刻にならなくても…だって松井さんは竹内さんの慎重さを褒めてくれたんでしょう?」
 受話器の向こうの声を、強化されたサイボーグの耳でまたしても聞き取ってしまったジョーがおずおずと話しかける。こんなことは00ナンバーとしては許されざる失態だ。何故なら通話中の携帯電話の相手の声など、一般人にとっては決して聞き取れないはず、ことと次第によってはこの場にいる全員に―そう、ヤスにさえ―何かしらの疑念を抱かれかねないのだから。
 しかし、すっかりパニックに陥った竹内はそんなことすら不審に思わなくて。そしてそれは、先ほどからの思いがけない成り行きにぽかんと口を開けてしまった他の面々も同様であった。
「ううう…うるさいうるさいうるさいっ! 君に…いや、君たちに松井管理官殿の何がわかるっ! 『警察官としてまことにふさわしく、頼もしい』など、絶対に嫌味だ! 皮肉だ! 当てこすりだぁっ! ああ…管理官殿のお怒りを想像しただけで、本官は…本官はあああぁぁっ!」
「…そんなことないですよ! 松井さんは決してそんな回りくどい当てこすりや嫌味を言う人じゃありませんっ」
「そーだそーだ! あの人の単純明快さと率直さといったらこりゃもう天然記念物か人間国宝モンなんだからよぉ…そんな底意地の悪いことなんざ絶対に言う人じゃねーから、安心しろや、オッサン」
 口々に言われて、竹内もいくらか気を取り直したようである。
「それは…本当か…? ならば本官も安心…できる…が…。一体、君たちは松井管理官とはどういう…」
 すがるように見つめられたジョーが、ほんのり顔を赤らめて頭をかく。
「えと…あの…個人的な…友達…なんです」
 途端、ぎょっと目を見開いた竹内に、ジェットが慌てて補足する。
「元はといえば松井さんの幼なじみが俺たちの主治医…ってーより友達でさ、その関係で松井さんとも何となく…気がついたら友達になってたんだよ。でもオッサン、今はそんなこたどーでもいいんじゃねぇか? それよりこれから先どうするかを考えようぜ!」
 最後は少々強引な力技でその場を収めたジェットのおかげで、やっと皆は本題に入ることができたのであった。
 


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