スカール様の慟哭 〜腹黒わんこ寝返り編〜 7
そんなこととはつゆ知らず、ドルフィン号から謎の「地図にない島」へと向かった00ナンバーたち。ですが今のところ、手がかりは例の異常な地熱分布だけです。ならばやはりあの一番地熱が高かった地点を重点的に調べようということになり、とりあえず東と西、できるだけそこに近い場所から「調査担当」二組(003・005組と004・006組)が上陸、探索行動に入ることになりました。ちなみに「海中調査担当」の007・008組もまずその周辺から調査の輪を広げていくことは言うまでもありません。
そして残る002・009組は「陽動担当」、調査地域から一番遠い南の海岸から上陸した後はとにかく派手に動いて正体不明の相手方から何らかの反応を引き出し、万が一それが敵だった場合、その注意をできるだけ自分たちにひきつけて他の組のサポートをする手筈になっていたのですが…。
「さーて、とりあえずご到着か。だけどこれからどうするよ、009」
浜辺に泳ぎ着き、陸地に上がった002が背後の009を振り返ります。
「陽動作戦つーても、相手の所在どころか果たしてこの島に当の相手自体が存在するのかどうかさえわからねぇんじゃどーしよーもないぜ」
言われた009も腕組みをして考え込んでしまいました。002の言うとおり、ここまで完璧な沈黙を守っている相手をおびき出すのはかなり難しい作業になるでしょう。
「とにかく崖の上まで登ってみようよ。これからどうするにせよ、ちょっとでも人目につきやすい場所で動いた方がいいと思うんだけど」
確かにこの浜辺は周囲を崖に囲まれていて、お世辞にもあまり目立つ―陽動作戦向きの場所とはいえません。
「オッケ。んじゃ行くぞ。しっかりつかまってろ!」
うなづいて009の手を取った002のジェット噴射が火を噴きます。そして、一瞬のちには二人は崖の上に立っていたのでした。
「やれやれ、せっかく上ってきたってのにちっとも景色はかわらねぇでやんの。どこもかしこも岩だらけの平地で面白くも何ともねぇ。…でも、海側はそれなりに絶景だな。さすが太平洋のド真ん中、海の色が違うぜ」
「わぁ、本当だね。すごく綺麗だ」
まさにそれは、息を呑むほど美しい眺めでございました。波打ち際から水平線に向かって、透き通った水色からエメラルドグリーン、青から群青、そして藍へと移り変わる大海原と、真っ白な砂浜のコントラストが絶妙です。弓なりに弧を描き、やや幅の狭いその砂浜は、さながら海に浮かぶ巨大な三日月のようでした。しばし二人は、言葉もなく目の前の風景に見入っていたのですが…。
「…? おい、009!」
「ああ、気づいてる」
突然、海面の一部が激しく泡立ち始めました。二人の右手がさっとスーパーガンを構えます。その間にも海面の泡は三つの巨大な渦巻きとなり、やがてその渦を突き破って姿を現した巨大な影!
が、しかし。
「…はぁ?」
ついに正体を現した「相手」を前に、009と002の目は完全な点と化しておりました。
「あー…やっぱり…BG…だったねー」
「みたいだなー…。ま、とりあえず…敵の正体がわかってよかったよかった。…けど」
海面から現れた三体の恐竜ロボットの姿はまさに重厚長大、威風堂々。普通のヒーローものでしたらここで主人公が激しく驚愕あるいは動揺するものの、しばしのちには気を取り直して果敢に立ち向かっていくのがお約束だったりするのですが、今の二人の反応は微妙にその定石を外れているようです。
もちろん、009も002も驚いていないわけではありません。そればかりか、かなり動揺してもおりました。ですがそもそもその原因、理由というヤツ自体が、ちょっとばかりヒーローものの「お約束」からは外れていたりなんかして。
「おい、何かコレ…えらく懐かしかねぇか?」
「うん…。あのBG島からの脱出…あれから何年たったのかなぁ…あのさ002。今僕一瞬、小柳○ミ子さんが『お久しぶりね』歌いながら華麗に舞い踊る幻覚が見えたんだけど」
「…そりゃ俺も同じだ」
あまりの衝撃に補助電子頭脳のネジが一、二本ゆるんだか、さもなきゃ集積回路のどれかがショートでもしたか、到底敵を前にしているとは思えないアホな会話を交わす青少年たち。どうやら恐竜ロボットもそれを聞きつけて気を悪くしたのか、三体それぞれ、怒りとも威嚇ともつかない咆哮をあげつつ、一気に襲いかかってまいりました。
はっと正気に返った二人、慌ててその場から飛びのきます。間一髪、それまで彼らが立っていた崖の端が、ロボットの体当たりを受けて木っ端微塵に砕け散りました。
「はん! ちょっとばかりぼーっとしてたからってなめんなよ! こっちはとうに、お前らとの戦い方は学習済みなんだ!」
威勢のいい啖呵とともに大空に飛び上がり、加速装置のスイッチを噛む002。一方の009はわざと加速装置を作動させずにそのまま崖の上からスーパーガンで攻撃します。その009に向かって口を開き、ミサイルの照準を合わせる恐竜ロボット。
(今だ!)
ミサイル発射の一瞬前、見事なタイミングで009の姿がかき消えました。あの巨大かつ頑丈な恐竜ロボットを倒すには加速してそのミサイルを奪い、お返しに叩き込んでやるのが一番―BG島から脱出するときも、彼らはその戦法で奴らを全滅させたのです。
ところが―!
009が加速すると同時に、恐竜ロボットはぱたりと口を閉じてしまいました。これではミサイルを奪うことはおろか、開いた口めがけて攻撃することもできません。
(畜生…学習してたのは奴らも同じってことか)
脳波通信に交じって002の歯軋りの音さえ聞こえてくるようです。加速している二人の姿を捉えることはさすがのロボットにもできないはずですが、あの口を開かせないことにはこちらにも攻撃の手立てがありません。
(とにかく奴らの口を開けさせないことにはどうしようもないよ。002、もう一度僕が囮になるから今度こそ…!)
(よし、わかった!)
頼もしい返事と同時に009は加速装置を切り、再び崖の上から恐竜ロボットを狙います。先ほどと全く同じ状況、同じ展開。異なるのはただ、加速装置を作動させるタイミングのみ。
(ミサイルの発射前に加速したらきっとまたあいつは攻撃をやめてしまう。だとしたら…ミサイルが発射されたその瞬間に加速するしかない!)
おそらく、ゼロコンマ一秒でも遅れたらそれがそのまま命取りになるでしょう。009はその一瞬を捉えるために全神経を集中させ、ロボットのどんなにわずかな動きでも見逃すまいと目を凝らします。なのに―。
ロボット三体の首はどれも真っ直ぐに009の方を向いているというのに、肝心の口を開けてミサイルを発射しようとする奴はいません。意思も思考も感情もない作り物の目が不気味に光っているだけです。
(こっちを焦らしてるのか…?)
試しに少し横に移動したところ、三対の目と三つの首もまたその姿を追って微妙に向きを変えましたが、相変わらず三つの口は閉じたまま。
(く…っ!)
業を煮やして今度はほんの一歩前に出てみれば、ロボットの口がわずかに開く気配!
何とかしてミサイルを発射させたい009は、さらに前に進みます。そこはもう崖の縁ギリギリ、あと数センチでも前に進んだらたちまち岩が崩れて足元の砂浜に真っ逆さまに墜落してしまうでしょう。もう、これ以上進むことはできません。と―。
一体の恐竜ロボットの口が大きく開き、ミサイル発射体制に入りました。009の舌先が加速装置のスイッチに触れ、来るべき一瞬に備えます。
と、そのとき!
「うわぁぁぁぁっ!!」
突然、足元から無数の熱線が009に襲いかかりました。
「009っ!」
すかさず急降下して仲間の手をつかみ、大空へ舞い上がった002。009は、ほんの一瞬気を失っていたようでした。
「大丈夫か、009!」
002の声で意識を取り戻した茶色の瞳が二、三度瞬きます。
「ああ…ごめん、002。油断してたよ。だけど…一体何が? あの恐竜ロボットにはミサイルしか搭載されてないはずなのに」
言いつつ下を見下ろした009は息を呑みました。いつのまにか恐竜ロボットの周囲にそれぞれ三、四体ずつの新手が護衛のように散らばっています。どうやらあの恐竜ロボットの巨体に隠れてこっそり上陸したのでしょう。それだけならまだしも、今度の敵もやはり昔懐かし、あの地下帝国ヨミを我が物顔に跋扈していた一つ目ロボットではありませんか。
「何かまた、懐かしいのがたくさん出てきたねぇ…」
「こんどは『一週間』ならぬ『ヨミ編以来のご無沙汰でした〜』ってか? なぁおい…もしかしてこの島、BGの同窓会場じゃねぇだろうなっ!」
念のために申し添えておきますが、今この間にも彼らの周囲には一つ目ロボットのその目から放たれる熱線が縦横無尽に飛び交い、決して油断できない状況なのです。いえ、もっとはっきり言ってしまえばかなりの苦戦とみて間違いないでしょう。
ですが一度ならずも二度までも、こんなレトロなお宝…じゃなかった武器・兵器を、さながら「期末総決算在庫放出大セール」のごとくに繰り出されてきては、さすがのサイボーグ戦士といえども現状を認識する以前に頭の中がクエスチョンマークで一杯になってしまうのも仕方のないことではないでしょうか(でも「在庫放出大セール」ってのは大当たりっちゅーかそのものずばりっちゅーか←作者の独り言)。
「とにかく、何か手立てを考えなくちゃ…こんなのが出てきたとなると他のみんなも心配だし」
「よし、そんじゃ今度は俺が囮になる。攻撃の方、頼むな!」
「わかった。それじゃ002、僕をあいつの頭の上に…」
うなづいた002が、一番手近な恐竜ロボットの頭上に009を降ろし、自分はそのまま低空飛行に入ります。囮とはいえただじっと相手の攻撃を待っているだけなんて002の性格からして我慢できるはずもなし、多分わざと恐竜ロボットの目の前を飛び回りつつ、周囲の一つ目ロボットを攻撃することに決めたのでしょう。
目の前をうるさく行き来する002が鬱陶しいのか、あちこちに首をめぐらせる恐竜ロボット。しかしそのおかげで己が頭上にしがみついている009の存在にはまだ気づいていないようです。何とかして今のうちに―振り落とされないよう用心しつつ、攻撃の糸口を探して必死にロボットの頭部を調べる009の脳裏に、ふとある考えがひらめきました。
(もしかしたら…)
頭上に腹ばいになり、009はロボットの側頭部に向かって少しずつ上半身を乗り出していきます。そしてついに、目当てのもの―恐竜ロボットの下あごと頭部の接合部分―を見つけ出したのでした。
(しめた! やっぱり思ったとおりだ!)
自由に口を開閉してミサイルを発射するためには、頭部と下あごを溶接するわけにはいきません。案の定、二つのパーツは一本のボルトで留められているだけでした。ボルトといってもその直径は赤ん坊の頭ほどある巨大なものですが、これを破壊するだけなら何とかスーパーガンでも可能ではないでしょうか。009はためらうことなく、スーパーガンをそのボルトに当て、最大出力のレーザーモードで発射しました。最初真っ赤に焼けたボルトがやがて青白く光り出します。そして、ついに―。
(やった―!)
さすがの巨大ボルトがレーザーの熱に耐え切れずどろどろと熔け始めました。こうなればもうしめたもの、残るもう一方のボルトも同様に破壊すれば、おそらく恐竜ロボットの口は開いたままになってしまうでしょう。
(002! 恐竜ロボットの弱点が見つかった! 頭部と下あごを連結するボルト、あれならスーパーガンで破壊できる! そして多分、両方を壊してしまえば…)
(よしわかった!)
脳波通信の途中でいち早く全てを悟ったらしい002の返事にうなづきながら、009は慎重に体の向きを変え、今度は反対側のボルトを狙います。そして二つ目のボルトが溶け出し、やがて砕け散ったと同時に響いたがこん、という鈍い音と頭部に走った衝撃。ついに、恐竜ロボットの口が開いたのです。
そうとなればあとは攻撃あるのみ、用心深さも慎重さもかなぐり捨てた009はそのまま恐れ気もなく真正面―開きっ放しになった恐竜ロボットの口、ミサイルの真ん前に身を乗り出し、力任せに抜き取ります。そしてそのまま落下しながら地上の一つ目ロボットどもめがけ、渾身の力を込めて投げつけたのでした。
激しい爆発。その爆風を利用して体勢を立て直し、見事に砂浜に着地した009。先ほどの恐竜ロボットがその姿を追い、今度はためらうことなくミサイルを発射します。開きっ放しの口ではいつそこを攻撃されるかわかりません。それくらいならと先手必勝を狙ったのでしょうが、それこそ009の思う壺でした。すかさず加速装置のスイッチを噛み、発射されたミサイルを奪ってまたしても一つ目ロボットどもに叩き込みます。そして三発目のミサイルは恐竜自身の口の中へ。さしもの恐竜ロボットも、大爆発を起こして四散しました。
残り二体のうち一体はすでに002が爆破しています。見れば、一つ目ロボットの数もかなり少なくなっておりました。
(009! 恐竜ロボットの残りは俺が引き受けた。浜辺の掃除を頼む!)
言われて顔を上げれば、002が最後の一体の脇にホバリングしながら例のボルトを攻撃しています。009もすぐさま一つ目ロボットの掃討に取りかかりました。加速した009にはさすがの一つ目ロボットも太刀打ちできません。あっと言う間にそのほとんどが撃ち倒され、鉄屑の山を築きます。そしていよいよ、残りがあと数体となったそのとき。
(へ…何だこりゃぁぁぁっ!?)
突然、戦いの緊張感をぶち壊す素っ頓狂な叫び声が上空から響いたのです。
「002ッ!」
ついに最後の恐竜ロボットの口も開かせたものの、何かに驚愕したように一瞬その動きを停止した002に、恐竜ロボットが凄まじい頭突きを繰り出しました。もろにその一撃を喰らい、砂浜へ叩きつけられる002。
「002ーッ!!」
仲間が砂に激突する一瞬前、身を投げて全身でその身体を受け止めた009。激しい衝撃に、一瞬、二人とも動けなくなります。そこへ放たれる熱戦とミサイルの集中砲火! 二人の00ナンバーの全身が炎に包まれます。が…。
「畜生…やられて…たまるかッ」
呻きにも似た叫びとともに、文字通り火の玉となって飛び出した002。その両腕はたった今自分を救ってくれた仲間をしっかりと抱きかかえています。そしていったん海に飛び込んで火を消してから、真っ直ぐに恐竜ロボット目指して突っ込みました。恐竜ロボットもミサイルで応戦、ですがそのミサイルは…。
「へへ…捕まえたぜ―さぁ、これで終わりだっ!」
何と002はとっさに009を片手に抱え直し、残る片手でミサイルをつかんだのです。もちろん加速はしていたのでしょうが、何という根性、何という気合(おそらくド根性ガ○ルやア○マル浜口氏もまっつぁおだと思われ←やめんか)。一瞬のちに投げ返されたミサイルは見事恐竜ロボットの口を直撃、耳をつんざくような轟音とともに、最後の一体もついに斃れました。
その頃にはもう手足の自由を取り戻していた009が、002に抱きかかえられたまま残った一つ目ロボットを空中から狙撃。
そしてようやく全ての敵を倒したとはいえ、さすがの009も002も、すでに満身創痍の状態でございました…。
「ふぃーっ…。思ったよりキツかったな、009」
「ああ…。いくら昔の兵器とはいえ、油断してたらとんでもない目に遭うってことだね。…ところでさっきはどうしたんだい? 戦闘中にあんな突拍子もない声上げるなんて、002らしくないよ」
茶色の瞳にじっと見つめられ、002は少々決まり悪そうに視線をそらします。
「いや、悪りぃ。…でもよ、俺…あのときとんでもないモノ見ちゃってさぁ…」
「とんでもないモノ?」
訊き返しても、まだ002は口ごもっています。もしかしたら彼自身もいまだに自分が目撃したものが信じられないのかもしれません。
「あの…な。俺が最後に攻撃した恐竜ロボットのボルト、アレがよ…」
そこで大きく深呼吸。
「…錆びてた」
「へっ!?」
今度は009が、いかにも間抜けな叫び声を上げてしまいました。確かにあの恐竜ロボットはかなり古い兵器です。ですが仮にもあのBGが、そんな整備不良品を出撃させるなんてことは絶対にありえません。いかに憎むべき敵といえども、その点ばかりは00ナンバー全員、BGへの絶大な信頼を寄せておりました。
顔を見合わせて絶句したまま、ただただ首をひねるばかりの009と002。ですが、BG基地におけるここ数時間のすったもんだなどこれっぽっちも知らぬ彼らには、いくら考えてもその真相を見抜くことなどまずできないでしょう。むしろ、戦いで疲弊した肉体と精神にいらん負荷をかけてますますその疲労を増大させるだけだと思われます。
「あの…ねぇ、002」
どうやら賢明にもその事実に気づいたらしい009がぽつりと口を開きました。
「何だ?」
「その謎、多分今の段階じゃいくら考えても解けないと思うよ。それより他のみんなの応援に向かわない? 今みたいな敵がもしもみんなのところにも出現してたら大変だ。この件に関してはあとでゆっくり話し合おう。ね…」
ある意味それは完全な現実逃避なのかもしれませんが…002は一も二もなくうなづきます。
「そだな…お前の言うとおりだ…。じゃ、行くか、009」
「うん…」
そしてそのまま、009と002は島の更なる奥へと向かったのでございます…。
ちょうどその頃、BG基地地下作戦司令部は歓喜の雄叫びに包まれ、床から壁から天井から調度品に至るまで、全ての設備及び備品をびりびりと振動させていたのでございました。
だってそうでしょう。世が世なら(正確には金さえあれば)すでに完全なスクラップ、鉄屑業者に叩き売ったところで二束三文にしかならないであろうあんな中古品部隊が、恨み重なる00ナンバーサイボーグ(しかも戦闘能力にかけてはメンバー中でも群を抜く009と002!)相手にあれだけの善戦を果たしたのですから。しかもその中古品を指揮していたのが可愛い可愛い基地内のアイドル犬のパピときたひにゃ、スカール様を始めとするBG幹部連としても、大いに溜飲が下がるというものでございます。
「ふぉぉぉぉ〜っ! パピ〜っ! パピ坊、よくやった…っ! まさかあの009と002をあそこまで叩きのめすとは…。お前は本当に、可愛くてお利口な、世界一の犬だな〜」
そう言ったきり、あまりの喜びと感動に泣き崩れてしまわれたスカール様以下、幹部連全員が拍手と歓声でもってパピの手腕をほめそやします。
ですが、当のパピは何だかえらく難しい顔で大きなため息をついていたのでした。
(はぁ…ようやくあのボルトに気づいてくれまちたか。…ったくもう、ご主人様やボグートのおじちゃんたちがさんざん煮え湯を飲まされた相手だっていうからどんな強敵かと思えば…。たったあれっぽっちの在庫品相手にあそこまで苦戦ちてるようじゃ先が思いやられますでち。処分しなきゃならない在庫品はまだたくさん残ってるのに…。この調子じゃあとは相当手加減ちてあげなきゃいけないでちね…。やれやれ)
「あ…あの…パピちゃん? どうかしたの?」
コンソールを操作しながらがっくりと肩を落としてしまったパピにおずおずと声をかけたのは、隣席で同じくコンソールを操作していた横山くんです。いくら知能が高くても所詮は犬の身、パピの小さなお手々―いえ、前脚ではコンソール操作にも限界があるというもの、まして今は三方同時攻撃という、人間サマでも単独では難しい任務の最中のこととて、先ほどから横山くんがパピのサポートとして一緒にコンソールを操っていたのでした。
「ううん、なんでもないでち。しょれよりお兄ちゃん、在庫品はあとどれくらい残ってるんでちか?」
「そうだね…。恐竜ロボットは今出撃した五体で最後だから…あとは一つ目ロボットが二十体ちょい、コプラーズアームが五十体、フライングコプラーズ二機、対超音波砲一機、ヒドラVが七、八十体…めぼしいのはこれくらいじゃないかなぁ」
「はぁぁぁぁ…まだまだ、先は長いでちねぇ…」
再び大きなため息をついたパピの背中を、横山くんがそっとなでてやります。ですが他の連中はそんなパピの心のうちになど気づけばこそ、ひたすらムダに盛り上がるばかり。
そしてとうとう、すっかり舞い上がったスカール様が恐ろしいことを仰せになったのでした。
「よ〜し、皆の衆! こうなったら一足早いが引越し祝いじゃぁぁっ! 酒を持ていっ」
「はっ、はぁぁぁっ! あ…しかしながら自分は今…」
いつもの条件反射でついつい席から立ち上がってしまった横山くん。ですが、今ここで彼がコンソールから離れるわけにはいきません。
「あ、横山はいいぞ。お前はそこでしっかりパピちゃん殿のお手伝いに励めっ。スカール様、酒でしたら私が…」
察しのいい幹部の一人がさっと立ち上がってくれたのはありがたいのですが、この場合ただ酒さえ持ってきてもらえばいいというものではありません。
「で…ですがスカール様っ! 皆さんっ! 我々は今日、在庫品処分が済んだら脱出艇―つまり飛行機で第二基地へと向かうはずで…っ! その前にあまり飲み過ぎたりなんかしたら…」
飛行中の飛行機の中では気圧の関係でお酒が回りやすいと申します。となれば、もしも地上で飲みすぎた人間がそのまま飛行機に乗って大空へと舞い上がった場合は一体どうなるのでしょう。それでなくてもここにいる幹部連全員ができあがってしまったとしたら、自爆装置の作動や待機している部下どもへの脱出命令は…? 横山くんの背中に、冷たい汗が流れました。
そこへ、思いがけない助け舟が二隻。
「まぁ横山、心配するな。わしがちゃんと監督しててやるよ。何しろわしは今退院したてで医者に酒止められとるし」
声をかけてくれたのは久方ぶりの登場、あのシロオスラシ会計大佐でございました。今回も金がらみの話だというのにどうしてこれまでこの守銭奴…いえいえBG裏資金管理部の重鎮が出てこなかったかというと、さすがのこの方も寄る年波には勝てず、今年初めに狭心症の発作を起こして入院、つい三日前に退院してきたばかりだったからです。
「シロオスラシ大佐だけではない、わしもいるから安心しろ。まがりなりにもサイボーグのこの身、ちっとやそっと飲んだからといって生身の連中のように酔っぱらったりはせん」
シロオスラシ大佐に続いてボグート氏にまでそう言われ、ようやく横山くんの顔にも安堵の表情が浮かびます。
「た…大佐殿っ! ボグート様! ありがとうございますっ! では、皆さんのことは何卒よろしくお願いするでありますっ」
ぱっとその場に敬礼した横山くんに、二人が大きくうなづきます。その周囲では、すでにそれぞれグラスを手にしたスカール様以下幹部連一同、今まさに盛大な「乾杯!」の声を張り上げようとしていたのでございました。
ですが。
いくらシロオスラシ会計大佐やボグート氏のとりなしがあったところで、やはり横山くんはここで、命をかけてでも皆の飲酒を止めるべきでした。そう、ついに始まってしまったこの酒盛りこそ、以後数十年にわたってBGに語り継がれる大悲劇の原因となってしまったのです…。