一流の条件 3


 そんなこんなで、今夜の「ちょっとしたアクシデント」は俺たち以外の誰にも知られず、こと無きをえた。しかし―。
「ちょっとジョー! 貴方、何考えてるのよ!」
 閉店後のミーティングで、アルベルト先輩からことの全てを聞いたフランオーナーだけがとんでもなく厳しい顔をして―。
「いくらアルベルトが中座してお客様が怒り狂ってたからって、わざわざあんなもん出す必要はないでしょうっ!? あれ一本の仕入れ値が一体、いくらだと思ってるのっ!」
 怒れる美女もまた麗しいと言いたいところだが、オーナーの癇癪はもう、そんなレベルをはるかに飛び越えていた。こうなるともう、マジでおっかない。
「しかもあの客どもときたら、一本丸ごと空けたあとでわざわざ二本目追加させたのよっ! それも二本目は形だけ封開けて、あんな水割りだか水だかわかんないモン一杯ずつ飲んだ挙句の台詞が『もう飲めないからキープしておいて』ですってぇ!? 絶対、狙ってたに違いないわ! おかげでうちはロイヤルバカラ二本、丸損よっ! 貴方の給料で弁償してもらうとしたら、貴方これから三ヶ月間ただ働きなんだからっ!」
 だが、怒鳴られているジョーの方は、さすがに深くうなだれて神妙な面持ちこそしているものの、大して怖がっている様子もない。…おい、お前、わかってんのか? 三ヶ月間、ただ働きって意味…。
 と、そこへ。
「まあ、そのくらいにしておいてやっていただけますか、オーナー」
 静かに割り込んだ、深いテノール。アルベルト先輩。
「こいつもきっと、必死だったんですよ。元はと言えば俺がらみの客が起こしたトラブルだ。ロイヤルバカラ二本分、来月の俺の給料から引いておいて下さい」
「あら…随分気前がいいのね、アルベルト。確かに、責任の一端は貴方にもあるけれど…本当に、構わないの?」
 途端にオーナーの機嫌が直った。そりゃ、三ヶ月かけて損金回収するより一ヶ月で穴埋めできた方がいいに決まってますけど…ああ、本当にこの女(ひと)は「利潤追求の鬼」なんだナァ…。
 アルベルト先輩はそんなオーナーに深々と一礼し、そっと耳元でささやいた。
「どうぞ、全ては姫の思うままに…」
 たちまちほんのりと頬を染めるオーナー。「利潤追求の鬼」が一瞬にして「夢見る乙女」に早変わりだ。…うーん、俺なんかにゃ、まだまだ真似のできない芸当だぜ。
 とにかくそれでこの話は完全に終り、ミーティング自体もまたすぐお開きとなった。自宅へと帰るオーナーを全員で見送ったあとは、今度こそ完全に無罪放免だ。あーやれやれ。今夜はマジで、とんでもなくキツかったぜ…。
「あの…さっきはどうもすみませんでした」
 うーんと大きく伸びをした俺のすぐ後ろから、ジョーがアルベルト先輩に謝っている声が聞こえた。おっといけねぇ。あの件については、俺にもちょっぴり責任があるんだ。慌てて俺は二人のもとへ駆け寄る。
「せ、先輩、俺も…っ! すみませんでした! こいつを止めるか、誰か他の先輩に相談すればよかったんですけど」
 だが、先輩は面白そうにほんの少し、唇の端をつり上げただけで。
「いいから気にするな、二人とも。さっきも言ったが、今夜の件は全て、元はといえば俺の所為だ。ヘルプにも入ってもらったしな。…あのお客様方からもお褒めの言葉を頂いたぞ。『中々いい後輩たちを育てているのね、ハインリヒ』ってな」
「本当っスか!?」
 つい、大声を上げてしまった俺の隣で、ジョーはまだ心配そうに先輩を見上げている。
「でも、あれ全部弁償したりしたら、先輩の来月分の給料は…」
「ふふん。あんな酒の二本分や三本分差っ引かれたって、一ヶ月間つつましく暮らしていくくらいの金はちゃんと入ってくるさ。安心しろ」
 そこでようやく、ジョーも笑顔になる。
「ありがとうございました!」
 再度最敬礼する俺たちに軽く手を振り、先輩はそのまま控え室に引き上げた。さすがの先輩にとっても、今夜は少しハードな夜だったのかもしれない。
 と。
「あーよかった。やっぱり、思った通りいい人だね、アルベルト先輩は」
 さっと顔を上げたジョーの口元から、ぺろりと小さな舌が覗いている。おいお前っ! たった今までの、申し訳なさに泣きそうになってた表情はどこ行ったんだよっ。
「状況が状況だし、絶対肩代わりしてくれると信じてたんだ。でなきゃ、いくら何でもあんなことできないよね」
 じゃお前、最初からアルベルト先輩の懐当てにしてあんな酒を…? ううう…こいつってばやっぱ、天使の皮かぶった悪魔だぜ…。
 呆然とその無邪気な童顔を見つめる俺の耳に、何を思ったのかジョーがつと、唇を寄せてくる。
「それと…これは内緒だけどさ。さっきのお客様、もしかしたら結城ミチルじゃないかな、スタイリストの」
「あ!」
 言われてみれば確かに結城ミチルだ! フリーとはいえ超大物、スーパーモデルとかトップアイドルとかの衣装をほとんど一手に引き受けてるカリスマスタイリスト…あれ? でも待てよ。彼女…
 はっと振り向いた俺に、ジョーが小さくうなづく。
「彼女、この前アイドルの三沢優奈ちゃんと大喧嘩して、優奈ちゃんののスタイリスト降りただろう。あのおかげで大変なことになってるみたいだよ。…優奈ちゃんは今や若者たちの間で人気ナンバーワンのスーパーアイドルだ。その仕事を降りるのは痛いけど、結城ミチルの名前があればすぐまた次の仕事が入ってくるって自信があったからこそ強気に出たんだろうけど…優奈ちゃんのバックについてるのは業界最大手のSプロだよ? 結局彼女、そのあおりで他の仕事もキャンセル続き、今はほとんど失業状態なんだってさ。だってほら、伊原直人とか佐野由実香とか相原裕也とかって芸能界の大物はみんな、多かれ少なかれSプロに関係してるものね。独立したとか移籍したとかいう人だって、できればSプロは敵に回したくないだろうし…」
 そのまま滔々と昨今の芸能界事情を話し続けるジョーをよそに、俺はようやく全てを納得した。そっか…それで彼女、アルベルト先輩のところに…?
 俺なんかに言わせりゃ、失業したらしたでまた次の仕事探せばいいだけじゃんよ、ってトコだけど―まして今まであれだけ稼ぎまくってたんなら、一年や二年遊んで暮らせるくらいの貯金だってあるだろうしさ―何もあんなヤケクソになる必要なんかねぇだろが、ってのが本音だ。
 なのに―それでも何となく彼女が可哀想になった。彼女が仕事をしてたのは、ただ金を稼ぐってだけじゃなかったような気がして。きっと彼女、スタイリストって仕事が好きで好きで大好きで、厳しいギョーカイで必死になって頑張って。そんでもってようやく築き上げた地位や実績や人脈が、たった一人のかわい子ちゃん歌手との喧嘩であっけなく崩れ去ってしまったら…あんな真似しても、仕方のないことかもしれねぇなぁ…なんて、よ。
 それにしても、そんな彼女が最後の最後にやってきたのがこの店―アルベルト先輩のトコだったってのは、やっぱりすごいと思う。いや、入ってきたと同時にいきなり人質にされて、ナイフ突きつけられた俺にとっちゃいい迷惑だったけどさ。今…俺についてるお客様の中で、もしそこまで追いつめられたときに俺を頼ってきてくれる人が、果たしているだろうか?
(ホストは、目の前で起きたいかなるトラブルをも平然とさばけるようになって、一流)
 さっきのジェロニモ先輩の言葉が頭の中に蘇ってくる。でもきっと、一流のホストになるためには、もっともっと、たくさんのことが必要なんだろうな…。
「…だからね、ジェット!」
 柄にもなくしみじみしたところへ突然耳元で大声を出されて、俺は飛び上がった。
「うわ…何だよジョー。びっくりするじゃねぇか!」
「だってジェット、人の話全然聞いてないんだもの」
 話ってったって、どーせ芸能界のゴシップだろーが。…ったくもう、こいつってば顔だけじゃなくて頭の中身までガキみてえでやんの。へいへい。聞いてやるからさっさと話してみな。
「僕はそんな…『ギョーカイ』の詳しいことは知らないし、ファッションのことなんかも正直言ってまるでわからないんだけどさ」
 それは俺も同じです、ハイ。
「でもね、あの人…結城ミチルはいつかきっとカムバックできると思うんだ。だって昨日、TVで優奈ちゃん見たんだけど、何だかすごく野暮ったくなっちゃって…ドラマとかバラエティとか観てても同じ。彼女を断ったタレントとか俳優とか女優とか、みんなやけにセンスが落ちた、って感じなんだよね。それって、彼女の実力の証明だと思わないか?」
 そのとき浮かんだジョーの笑顔には、裏も表もこれっぽっちもなくて。
「だからきっと、みんなすぐに気づくよ。自分を一番引き立ててくれるスタイリストはやっぱり結城ミチルしかいないって。…今度は彼女、笑顔でこの店に来てくれるといいね」
 一瞬、俺の目が真ん丸になった。何だかこいつって、先輩たちとは別の意味で…すごくねぇか?
 そりゃ、こいつは俺と同じまだまだ半人前だし、その上はっきり言って天然タラシの二枚舌だ。天使の皮かぶった悪魔だって台詞も撤回する気なんかない。顔も頭ン中もガキみてぇで、ちょっと構ってやらねぇとすぐふくれっ面になるしよ。
 だけど。だけど、それでも。

(信じてたんだ。絶対肩代わりしてくれるって)
(やっぱり、いい人だね。アルベルト先輩って)
(結城ミチルはいつか絶対カムバックできる)
(笑顔でこの店に来てくれるといいね)

 こんなふうに無条件に他人を、そしてその成功を信じることができるってなぁ…おいジョー、それ、とんでもなく常人離れした才能だぜ。もしかしたらそんなのも、「一流」ってやつの条件なのかもしれねぇなぁ…。
 あー、何かわからんけど俺にはまだまだ、おベンキョーすることが山ほどありそうだぜ。
 ちょっぴり差をつけられたような気がして俺がかすかに肩をすくめたとき。
「それにしてもあのときのジェット、すごかったね」
 またまたジョーが全然違う話を持ち出してきやがった。…おい、あのときっていつだよお前。
「さっき結城ミチルが店に入ってきて、ジェットにナイフ突きつけたときだよ。…ジェットならきっと、あの場で彼女を取り押さえることも簡単にできたんだろう? なのにそうしなかったのは、『お客様には決して手荒な真似をしない』ってホストの心構えを守っていたからじゃない?」
 ん…まぁ、そりゃそうだけどよ。正直、あのときの俺はかなり弱気になってて―お前が戻ってくるのがあと五分、いや三分遅かったら絶対そんなの、破ってたに違いないから…。
 口ごもってしまった俺に向かって、ジョーは再びあの微笑を浮かべた。裏も表もこれっぽっちもない、天使そのものの笑顔。
「僕ならきっと、ナイフ突きつけられた瞬間に彼女を押さえ込んで一一〇番してたよ。あんなになっても我慢することなんて、とてもできない。見習わなくちゃね…本当に、『負けた』って思ったよ。あのときだけは」
「ジョー…」
 いつもなら、「また何、心にもないお世辞言ってやがる」の一言で片づけてしまうはずの台詞。だけど今の俺は、それを素直に信じることにした。
 そうさ。お前が俺を「見習う」ってんなら俺だってお前のこと見習わなきゃいけねぇもんな。でもって、いつかきっとお前より早く「一流」とやらになってやるぜ!
「ま、何はともあれお疲れ様」
 ジョーが俺の背中をぱん、と叩く。お返しに俺は奴のさらさら栗色ヘアを思いっきりくしゃくしゃとかき回してやった。
「おう、お疲れさん! 今日はこのまま早く帰って、でもってまた明日もお互い、頑張ろうな!」

 俺たちが店を出て家路に着いた頃にはいつしか空も白み始め、世界中がうっすらと明るくなっていた。
 
〈了〉

 


 パラレルストーリー第二作目、「23・43互助会」様への投稿作品です。ホストな00ナンバーという萌え萌えの設定を思いつかれたのはかあお様。そちらのサイト「銀屋横丁」でも、うっとりするような彼らの姿がたっぷり拝見できますので、我と思わん方は今すぐにGO!
 ちなみに作中に出てきた「ミシェル・カミュ・ロイヤル・バカラ」ですが、ネット販売の某酒屋さんのカタログでは「ドンペリ」の38.5倍、「ピンドン」の15.6倍というとてつもない値段がついてました。…ラストでフランオーナーに激怒してほしくて、ネットで高級酒を探していた管理人にとってはまさに希望通りの一品だったのですが…定価見た途端、やっぱりちょっと血柱噴いちゃいました(←自分で買うわけでもないのに)。…オバサン、意外と小心者なのかもしれないと、反省しきりの今日この頃です。




前ページへ   二次創作1に戻る   玉櫛笥に戻る