何日君再来 3


 中等部校舎脇の植え込みに幽霊が出る―その噂が広まりだしたのは、まだ夏の終わり頃のことだったと聞いている。もちろん、初めのうちは実際にそれを見た者などほとんどなく、中等部の中だけでひっそりとささやかれていたらしいが、日がたつに連れて目撃者が少しずつ増えていき、いつしかその話は全校中に広まってしまった。とはいえ中等部と高等部ではかなりの温度差があるのもまた事実で、聖たちがそれを知ったのはつい一ヶ月ほど前のことだったりする。
 それというのも、幽霊が出るという中等部校舎脇など、高等部の生徒にとってはほとんど行く機会のない場所だからだ。校庭に出るにも体育館に行くにも、そしてもちろん講堂や購買部に行くにも、高等部の生徒が中等部校舎の方に回る必要などこれっぽっちもない(見取図参照)。聖など、中等部卒業以来学校の西半分にはまず足を踏み入れたことがないといっていいくらいだ。多分、煕子や瞳子も似たようなものであろう。当然、高等部の生徒で幽霊を目撃した者など一人もいない。
 と、いうわけで。高等部の生徒にとってこの幽霊騒ぎはあくまでも他人事、対岸の火事にしか過ぎなかった。だが、中等部の生徒にとってはそうもいかない。登下校に正門、あるいは中等部通用口を使っていれば、一番の近道はその植え込みの真ん前を通るコースだし、中等部校舎の一番西寄りの教室から窓越しにその幽霊を見たという者さえいるのだ。最悪なのは中等部二年の生徒たちが、各クラス一ヶ月交代でその植え込みの掃除当番を受け持っているということで―。しかしこんな話を教師たちに訴えたところでどうしてもらえるわけもない。そして、とうとう我慢の限界に来た中等部の生徒たちが頼ったのが藤蔭聖―高等部二年の遅刻常習犯だったのである。

 彼女に関する噂は、幽霊騒ぎのもっと前から全校中に広まっていた。曰く、「有史以前から続く巫女の一族」「日本史を裏で操っていた陰の支配者の子孫」「その中でも最大、最強の霊能力者」等々である。先の聖たちの話にも出てきたが、秀桜学園にはかなり古い家柄の娘たちも通っているから、噂の出所は多分、そのあたりなのだろうけれども―。
 当の聖に言わせればそんな噂、大、大、大迷惑であった。
 「有史以前から続く巫女の一族」、これはまあ事実であるから仕方ないとしよう。だが、「日本史を裏で操っていた陰の支配者」なんて、誇大広告もいいところである。確かに、聖の先祖は遥かなる太古―生まれつきの特殊能力によって神の声を聞き、その怒りを鎮め、悪霊を祓う巫女として数多の集落を治め、人々を導いてきた。だが、やがて大和朝廷が力を伸ばし、現代まで続くやんごとなき万世一系の血筋がこの国を治めるようになってからは没落の一途をたどるばかりだったのである。特に、新しい支配者たちが自らの政治機構の中に「陰陽寮」という役所を作り、多くの陰陽師―星の動きを読み、暦を司り、森羅万象、神の声さえも聞く賢者―を召し抱えてからは―。
 もともと大陸から伝わった「陰陽道」は、当時にしてみれば最先端科学。昭和も五十年代に入った現代から見れば、迷信やら呪いの類にしか思えないことどもではあっても、当時としては何一つ疑う点もない絶対的理論だったわけである。しかも絶対的理論というやつは、大抵「普遍性」というものとセットになっている。すなわち、特殊能力などなくても理論さえきちんと勉強すれば誰でも陰陽師になれるようになってしまったのだ。もちろんこれはあくまでも理屈、実際に陰陽師として取り立てられるにはやはり血筋や才能がものをいったらしいが、たとえ建前だけにせよ、「学べば誰もが同じ理論・能力を身につけられる」時代の中では―。
 生まれつき次第で能力にばらつきが出てしまう巫女など、振り向きもされなくなるのは当然であろう。結果、彼女たちは以後、諸国を巡り歩いて顧客を開拓する「歩き巫女」、あるいは能力ではなく歌舞音曲等の芸事、あるいは自らの色香で人々の関心を引く「白拍子」のような存在にまで成り果てるわけだが―。
 そんな落ちぶれた巫女の一人が、ふとしたきっかけからとある貴公子と恋に落ちた。愛し愛され、やがて彼女はその男の子供を産むことになる。男は天にも昇るほど喜び、彼女を正式な側室として迎えようとしたが、己れの身分を憚った巫女は頑としてその申し出を拒み―生まれてきた子供さえ、息子としてではなく忠実な臣下として父に仕えさせた。男は深く落胆したものの、結局は女の決心の固さに折れるしかなく―以後、息子にして臣下であるその子の一族を自らの片腕として篤く信頼し、常に傍らに控えさせていたという。そう、まさにその貴公子こそが、当時有力だった橘氏や大伴氏を押しのけ、着々と力をつけてきた藤原氏の一族。そして、藤原の姓を賜ることすら辞退し、陰の存在に徹する決意を秘めて藤蔭の姓を名乗ったその母と子の末裔こそが、聖。…藤蔭一族はあくまでも藤原氏の意向のままにその能力を使い―さまざまな貴族、豪族を陥れ、破滅に導き―彼らの恨みと呪詛を一身に引き受けてきたただの形代、操り人形に過ぎない。
 しかも、「一族最大、最強の霊能力者」などと言われてはもう、照れくさいとか片腹痛いのを通り越して大笑いするしかないほどである。
 一応は「一族」の末裔である聖だが、残念ながらさほどの「能力」を持って生まれたわけではない。せいぜいが、この世にあるもの全ての「気」―存在に関わる基本エネルギー―を感じ取り、多少自由に操ることができるだけ。「この世にあるもの全て」というからには当然、生きているもの死んでいるもの、人間動物植物鉱物ひっくるめた話だから、俗に言う「幽霊」や「妖怪」なんぞの気配や姿もはっきりとわかるし、いざとなればちょっとした意思疎通もできるけれど―結局はそれだけ。「気」を操るといったところで、落ち込んでいる人間のそれをちょっといじって気分を明るくしてやるくらいが関の山である。
 もっともそれは聖に限ったことではない。何でもここ数百年「一族」における「能力者」の割合は減っていく一方で、最近では二、三代おきに一人生まれればいい方なのだそうだ。実際、聖が知っている「能力者」は、今となっては祖母の鎮女(しずめ)―一族の長であるその人くらいしかいない。鎮女の息子である父光一郎にはその手の能力はまるっきりなかったし、その妹に当たる叔母たちも似たようなものである。ただ、もともと男よりも女に能力が出やすい家系だったとかで、叔母たちの方はそれでも、生身の人ならざるものの気配くらいなら感じ取れるらしいが―それでも到底、能力者といえるレベルではないようだ。
 とはいえ、ほんの六年前までなら、祖母に勝るとも劣らぬ能力者がもう一人、すぐ身近にいたのだけれど。

(お姉ちゃん…)

 その人のことを思い出すたび、聖の瞳は暗くなる。
 「一族最大、最強の能力者」と言われるべき人間は、聖ではなく、その姉の光(ひかり)だった。何しろあの祖母をして「この子は育て方を間違えると大変なことになる」と恐れさせ、その一方で将来の藤蔭家を託す人間として大いに期待させたというのだから、その能力は生半可なものではなかったろう。だが、聖の知っている光はいつでもにこにこと優しく、せがめばいくらでも一緒に遊んでくれて、泣きべそをかいているときは必ずぎゅっと抱きしめ、頭をなでてくれた優しい姉でしかなかった。幼い聖はそんな姉を誰よりも慕い、懐き、誇りに思い―その名の通り、光り輝く憧れの存在として崇拝していたのである。  だが、姉は―光の中で輝くはずだった姉は―恋に悩み、闇の虜となった挙句、わずか十九でその命を絶った。そのとき聖は十一だったはずだが、姉の死の前後の記憶はうっすらとしか残っていない。もしかしたら、心が思い出すのを拒否しているのかもしれなかった。
 今でも、聖は思う。どうして自分ではなく、姉が死ななければならなかったのだろうと。…そう、どうせ死ぬなら自分が死ねばよかったのだと神を呪う。あれだけの能力を持っていたということだけでも、姉は自分などよりもっともっと藤蔭家に必要な人間だったはずだ。いや、そうでなくとも。たとえ姉と自分の能力が入れ替わっていたとしても、やはり生き残るべきは姉の方だった。何故なら―

「ほら聖! 今日はそっちじゃないってば! 行くんでしょ、『楽音堂』!」
 放課後、昇降口を出ていつもの通り左に向かおうとしたところを煕子にどやされ、聖ははっと正気に返った。…そうだ。今日は帰りに、煕子や瞳子と近所のレコード屋に寄るって約束してたんだっけ…。
「早く行こうよぉ。予約券、なくなっちゃうよっ」
「煕子ぉ…そんな、焦んないの。いくらユーミンのニューアルバムだからって、あんな小っぽけなレコード屋だもん、そうそう予約が殺到するわきゃないよ」
「だったらどうして予約券なんか出すのさ! ね、急ご。駄目だったらあたしもう、泣いちゃうからねっ」
 楽音堂に寄るのなら、いつもの高等部通用口ではなく裏門から出た方が近い。きゃあきゃあ賑やかに言い合う煕子と瞳子にくっついて、聖は遅れまいと足を速める。
 登下校時に裏門を使っているのは圧倒的に中等部の生徒が多く、高等部の三人がその中に交じるといやでも目立つ。たちまち、そこかしこで聞こえるざわめき、密やかなささやき声。ふとそちらを振り返ると、「きゃあああっ」という歓声を上げて恥ずかしそうに逃げ去る下級生の姿が見えた。
「ほれ聖、あんまりよそ見しない」
 瞳子がさり気なく注意の声をかけてくる。
「あんたはあんまり自覚してないかもしんないけどさ、下級生の中には『聖様ぁ』ってきゃあきゃあ言ってる奴がたくさんいるんだよ。ヘタに視線送って即死でもされたらヤバいだろが」
 何でもないことのように瞳子は言う。だが、聖からすれば「あんたほどじゃないわよ」と言い返してやりたいくらいだ。何しろ瞳子はきりっと涼しげな若衆顔の美貌に加えてバレーボール部の主将、一回戦でコケたとはいえ、全国大会にも出場している。しかも、その大会で優勝したS高校の監督が、勝利者インタビューで「この大会で一番怖かったのは一回戦で当たった秀桜の松宮選手だ」と言ったとか言わなかったとかで、今や校内のちょっとした有名人なのである。
「んもう、瞳子も聖も何ぐずぐずしてるのよぉ。も、あたしホントに泣いちゃうよっ」
 ぷっと頬を膨らませてこちらを睨んだ煕子は瞳子とは正反対、小柄で華奢で、おとぎ話に出てくる美少女そのものだ。「不思議の国のアリス」の扮装でもさせたらさぞ似合うだろう。しかも元華族の血筋とくれば、(その性格とか言葉遣いとかは置いといて)正真正銘のお姫様である。それに煕子とて、美術部の副部長など務めているものだから、クラブ関係のファンも多い。それに比べれば聖など、どこのクラブに入っているわけでもなし、この目立つ二人としょっちゅう一緒にいること、そしてあの傍迷惑な噂のおかげで騒がれているに過ぎないと思う。
 ふと、聖は中ノ坊寧子のことを思い出した。
(あいつがあたしを目の敵にしてるのは、もしかしたら「嫉妬」かもしれない―)
 煕子と瞳子のファンは中等部ばかりではなく、高等部にもかなりいる。当然、友達―それも特別の―になりたがっている者も多かろう。もちろん二人は聖だけでなく、他のクラスメイトやクラブの友達、あるいは中等部時代の仲間などとも親しくしているのだが、いざとなると何となくこの三人で集まり、一緒になって行動することが多い。少なくとも聖としては、煕子と瞳子が一番気を遣わずに楽につきあえる相手であることは間違いないし、多分彼女たちもそう思っているからこそこうしているのだろうけれど。
 聖が二人と知り合ったのは去年、高等部一年のときである。たまたま同じクラスになって、どういうきっかけでだか言葉を交わし、気がついたらいつのまにか「仲良し三人組」になっていた。友達になるのに理屈はいらないし、気の合う者同士が自然と寄り集まっただけなのだから、別に誰にも遠慮することはないはずである。だが、中等部の頃から彼女たちに憧れて、「特別の」友達になりたいと思っている人間がもしいたとしたら―高等部になってから初めて知り合った聖があっさりと煕子や瞳子の仲間になり、自他共に認める「三人組」になってしまったことをあまり面白くは思わないだろう。
(他の子にはバリバリのタメ口きくのに、あたしにだけいっつも敬語使ってさ。それも中一のときからだよぉ)
 憤慨していた煕子には悪いが、それはもしかしたら昔の主従関係になど関係なく、寧子本人が煕子に好意を持っているからではないのだろうか? …確かに、中学入学以前から親や親類に後三条家との関わり合いを聞かされていたとすれば、最初から寧子にとっての煕子が特別な存在だったとしても不思議はないけれど…だが、いくら何でも今は二十世紀も終盤、あと二十年かそこらで二十一世紀に入るという時代なのだ。もしそんな因縁を気にしていたとしても、煕子という人間が全く寧子の興味を引かぬ存在であったなら、無理して近づく気にもならないのではないだろうか。幸か不幸かこの学校は中高一貫、もしかしたら偶然同じクラスになったりもするだろうが、そのときはそのときで当たらず触らず、とりあえず失礼のないようにしておけばいいのだ。そうではなくて、もし逆に―寧子が現代っ子にあるまじき忠誠心の権化のような性格だとしても、それはそれで主筋の姫君と親しくするなど言語道断、ある程度の距離を置いてひっそりと煕子を見守ろうとするだろう。なのに寧子は煕子に対して結構ずけずけとものを言う。今朝のことだって、煕子は聖への態度だけにぷりぷり怒っていたが、あれは煕子に対してもかなりの嫌味と言える台詞だった。なのに、敬語を使うことだけはやめない―。
 そういえば、煕子が単独でいるとき、あるいは瞳子と二人でいるときに寧子から気に触ることを言われたなどとも聞いたことがない。多分あれは、聖と一緒にいるときだけの憎まれ口、当てこすりなのだ。
 聖の家への侮蔑や恨みももちろんあるだろう。―そうされても仕方のない家系なのだから。だが、煕子自身に何も興味がないのなら、放っておいて陰で笑っていればすむことであろう。なのにああやって、わざわざ嫌味の一つも言いたくなるなんて、「好きな相手の興味を惹きたい」という心理そのものではないのか。
 おまけに聖や煕子といつも一緒にいる瞳子は、今や押しも押されもせぬ学校中のアイドルだ。密かに恨み、見下している「外法使い」が、自分の憧れている人間を二人とも独占し、親友面していると思えば、癪に障らない方がどうかしている。
 大人げないと笑い飛ばすのは簡単。だが、自分たちはまだ十七なのだ。大人のふりをして、悟ったような顔をしていても、ついつい子供じみた嫉妬や癇癪を起こして当たり前の―。
「ほら聖! 早く! 置いてっちゃうよーっ」
 すでに門までたどり着いた煕子と瞳子がこちらに向かって手を振っている。
「あ、ごめーん!」
 慌てて二人の方へ駆け出しながら、聖はふと―自分はこうして―彼女たちのそばにいていい存在なのだろうかと不安になり―それこそ子供じみた僻みだと思いなおして、心の中で少し、笑った。

「…ったくねぇ、こんな小っぽけな店が予約券なんて出すご時世になるなんて、あたしゃ夢にも思ってなかったよ」
 「楽音堂」の女主人が、ぼやきながらもどことなく嬉しげに三枚の「予約券」を差し出した。だがそれは、四、五センチ四方の正方形に切った色画用紙にマジックの手書きで数字が書いてあって、裏に店のハンコが押してあるだけというシロモノ。学校から息せき切って駆けつけたおかげで、三人の番号は「7・8・9」であった。一桁の番号なら、とりあえずは及第点であろう。
「まさかこんなに問い合わせが来るとは思わなかったからねぇ。昨日、孫に手伝わせて大急ぎで作ったんだよ。…本当に、『うーみん』てのはすごいねぇ」
「やだおばちゃん、『うーみん』じゃなくて『ユーミン』だよ、『ユーミン』!」
 すかさず言い返したのはもちろん煕子。その後ろ、聖と瞳子はただ苦笑するしかない。
「ああそう、『ムーミン』だったね。うん、あれは人気があった。孫が小さい頃、よく観てたもんさ」
「…それも違うよ」
 さすがの煕子もそれ以上議論する気が失せたらしい。何しろこの女主人、一応皆からは「おばちゃん」と呼ばれているが、実際はどうみても「お婆ちゃん」間違いなしの年齢で―言いたい放題の煕子などは、こっそり「楽音堂の砂かけババア」などと失礼なあだ名をつけているくらいである。だが、そんなことを本人の前で口にしたりしたら、たちまち予約券は無効、たとえこの世が破滅してもレコードなど一枚も売ってもらえないに決まっている。
「それよりおばちゃん、これ持って発売日の土曜に来れば、あのポスターももらえるの?」
 煕子が指差したのは、レジの後ろに貼ってあるユーミンの特大ポスターだった。今回のニューアルバムの付録ではあるものの、レコードを買えば漏れなくついてくるというものでもないらしい。このときばかりは聖も瞳子もぐっと身を乗り出す。
「ああ、あれかい?」
 砂かけババア―もとい、おばちゃんがにんまりと笑った。
「あれは、予約券持参でレコードを買いに来たお客の中から先着三十名様にだけ差し上げる特別付録だよ。言っとくけど、予約券の番号は関係ないからね。早いもん勝ちさ」
「ええ〜」
 途端にがっかりした声を上げる三人。おばちゃんの目が、ふと優しくなった。
「そんな、しょんぼりすることはないよ。ここのお客はお嬢ちゃんたちと同じ、近所の中学生や高校生がほとんどだからね。土曜日だったら学校はお昼までだろ。二時か三時くらいまでに来ればまず大丈夫のはずさ。ただし、ズル休みはいけないよ。そんなんで早く来たって、レコードは売ってあげないからね」
「二時か三時ね! わかった! 絶対それまでに買いに来るよ」
 きっぱりとした煕子の宣言とともに楽音堂をあとにした三人を、おばちゃんの声が追いかけてきた。
「創立記念日なんて嘘つくのもなしだよ! あたしゃ、この近辺の学校の創立記念日はみんな覚えてるんだからね!」
 だが、そんな怒鳴り声になど三人が振り向くはずもない。
「おし! こーなったら土曜日は、ホームルーム終了と同時に楽音堂にダッシュだぜい!」
「おうっ!」
 がっちりと手を握り合い、「三国志」の桃園の誓いよろしく決意を確かめ合った三人は、もらった予約券を大事に財布の中にしまいこんだ。これさえ手に入ればもう、あとは家に帰るだけである。
 三人とも電車通学、最寄り駅に出るにはもう一度、学校の前を通らなければならない。校門を通り過ぎるとき、聖は何気なく学校の中をのぞきこんだ。と―。
「あれ?」
「どうしたの、聖」
 隣を歩く瞳子が首をかしげる。が、聖は何故かぶるっと身を震わせ、妙にきっぱり「何でもないっ!」と答えたのみであった。
 実は。
 のぞきこんだときふと見えた、校舎に向かって歩いていく人影。銀ねずの着物にくすんだ臙脂の羽織を重ねたその後姿に、何となく見覚えがあったような気がしたのだが―。
(…冗談じゃない。冗談じゃないぞおおおっ! 何で『あの人』が今頃こんなトコに…)
 見間違いだ。絶対そうに決まってる。だが何故か、体の中から言いようのない悪い予感がむくむくと湧き出してきて、首筋の辺りがちくちくする。
(…みんな、気の所為っ! そーだよ…あたしには、「先読み」の能力なんてないもんっ。こんな胸騒ぎなんて絶対に嘘っ! 落ち着け、聖っ)
 顔を強張らせ、歯を食いしばって必死に自分に言い聞かせる聖。

 だが。

 この予感、残念ながらものの見事に大当たりする羽目になるのである―。
 


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