何日君再来 12


 ぼんやりとガラスに映っているのは、またしても究極の仏頂面。
 電車の扉に寄りかかった聖は、自分自身の姿に向かって小さく舌打ちをした。
 かたんことん、かたんことん…。小刻みな、規則正しいリズムで揺れる電車は刻一刻と祖母の家に近づいていく。だが…。
(あーっ、もう! 一体何考えてんだよ初音叔母ちゃんもあのクソババもっ!)
 あの日、ようやく幽霊の正体を突き止めたと思ったのに佐田校長の登場とともにあっさりお払い箱になってしまった三人娘(それとも、三バカトリオ…?←笑)。しかもそのとき佐田校長が口にした「今後のことについてのご相談」とやらの内容は、あれから一週間たった今も彼女たちには明らかにされていないままだ。
 自分一人ならまだいい。祖母と叔母にいいようにコキ使われるのは小さな頃から慣れっこだし、いつか隙を見て存分に報復の一つもしてやれればとりあえずの鬱憤は晴れる。
 だが土曜日の午後をほぼ丸ごと費やして協力してくれた親友二人までも同じく放ったらかしときたら、聖の面目、いや瞳子や煕子への義理が立たない。
(そんなぁ。別に、聖が謝るこっちゃないじゃんよ)
(そうそう。うちらも結構面白かったもんねー。また何かあったらいつでも手伝うよ♪)
 申し訳ないと頭を下げた自分に笑って手を振ってくれた二人の台詞が蘇る。正直、あのときの聖は「友達」というもののありがたさに涙が出そうになってしまったのだ。
 そして、それから間もなく。
(ねぇ聖! 次の日曜さ、みんなで映画観に行こうよ! この前封切りしたばかりのアレ、すっげぇ面白そうなんだー。瞳子もOKなんだけど、聖はだいじょぶ?)
 授業中回ってきた煕子からの「お手紙メモ」、映画への誘いに一も二もなくうなづき、早速次の休み時間からあれこれ計画を立て、指折り数えて楽しみにしていた日曜日。
 なのに前日の土曜日、それも夜になって初音叔母からの電話が入るとは…。
(あ、聖? 明日の日曜、午前十時までにばーちゃんちに来なさい。時間厳守だからねっ。…何、先約? 悪いけどソレ、断って。とにかくこっちはものすごく大切な用なんだから。わかったわね!)
 受話器の向こうでぽんぽんまくしたてる叔母。しかしこっちも、言いたい放題言われて素直に「はい、かしこまりました」と従うほどしおらしい姪っ子であるわけがない。当然の礼儀(?)として一応はごねてみたりもしたのだが…。

(…あっ、そ。嫌なら嫌で別にいーわよ。…例の幽霊―頼豪寺万里子についてこれ以上知りたくないってんならどーぞご勝手に)

 結果。よりにもよって前夜九時過ぎにドタキャンしなければならなくなってしまった約束をどうしてくれるというのだ。
(くっそぉ…あたしが友達全部失くすようなことがあったら十中八九その原因は初音叔母ちゃんだっ! ったく、生徒指導部長が生徒の交友関係にヒビ入れてどーするってんだよあの不良教師!)
 電車を降りて祖母の家へ歩いていく道すがらも、聖のイライラと癇癪はまだこれっぽっちも治まっていない。
(こんちくしょーっ!)
 ふと目についた道端の小石を思いっきり蹴っ飛ばせば、からからとまるで嘲笑するような音を立ててはるか彼方に転がっていった。

 それでも、とりあえずはきっちり時間どおりに聖は藤蔭本家へ到着した。
「ごめん下さーい。聖でーす」
 玄関先から声をかければ、たちまち走り出てくる御法叔母。
「まぁまぁ、いらっしゃい聖ちゃん。急なことだったのによく来てくれたわね。何でも、お友達との約束断ってくれたんですって? 悪いことしたわぁ。…本当に、ごめんなさいね」
 思いがけない優しい言葉に、ついつい目頭が熱くなってくる。毎度のことながら、本当にこの御法叔母にはあの祖母や初音叔母と同じ血が流れているのだろうか…?
 だがそんな感慨も、続いて出てきた初音叔母に一瞬にして叩き潰された。
「あぁ聖、ご苦労様…って、ちょっとあんた何てカッコしてくんのよぉっ! もーちょっときちんとしたマシな服持ってないの!?」
 いきなり大声を出されて、腹が立つよりもあっけに取られた聖はそっと自分の服装を点検してみる。オフホワイトの無地トレーナーにジーパン、黒のスニーカー。玄関をくぐる前にきちんと脱いで手に持ったダッフルコートは薄茶…とくれば、かなり地味めで無難な着こなしだと思うのだけれど。トレーナーの下に着てきた綿シャツこそ大柄の赤黒チェックでかなり派手なものの、襟だけをのぞかせている分には別にどうということもあるまい。ついでに靴下も同じ赤…とはいえこれくらいのアクセントカラーは許してほしい。
 総じて、確かに「きちんとした」正装とは到底言えないが、休日に祖母の家に遊びに来る孫としては全く問題ないのではなかろうか。
 初音も、どうやら同じことに気づいてくれたらしい。
「…ま、仕方ないわ。考えてみりゃ、あんたに言い忘れてた私の方が悪いんだし。…怒鳴ったりしてごめんね、聖。さ、上がって」
 そしてそのまま二人の叔母に案内された先は、いつもどおりの祖母の部屋だったのだが―。
 襖を開けてくれた御法叔母に促されて室内に一歩踏み込んだ途端、聖は飛び上がらんばかりに驚く羽目になる。
「ああ、聖。せっかくの日曜だってのによくきておくれだね。…馬先生、お待たせ致しました。これが私の孫で初音と御法の姪、聖でございます」
 何とそこには祖母ともう一人―今まで全く会ったこともない、学者風の中年の紳士がきちんと居住まいを正して座っていたのだった。
「聖、こちらはN学舎大学で漢文学の教授をなさっている馬修賢先生だよ。お峰さんの古いお知り合いでね、今日は特別に頼んでお越しいただいたんだ。さ、ご挨拶おし」
 祖母の言葉に、聖はへたりこむようにその場に正座し、それでも深々と頭を下げる。
「初めまして、馬先生。藤蔭聖と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「私の言葉が足りませず、先生にお目にかかるというのにこのような格好で…ご無礼、何卒お許し下さいませ」
 聖の後ろ、同じく姿勢を正して平身低頭した初音に、馬教授は穏やかな微笑とともに軽く手を振った。
「いやいや、とんでもない。言葉遣いも立ち居振る舞いも、私が教えている大学生連中よりはずっときちんと、しっかりしておいでだ。さすがは藤蔭家のお嬢様ですね。…初めまして、聖さん。馬修賢(マー・シウシェン)と申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
 そう言って静かに座布団を外し、丁寧な礼を返してくれた馬教授。聖は一瞬にして、この異国風の名前を持つ―おそらく紛れもない外国人の―紳士に好感を抱くようになった。
「今日馬先生においでいただいたのは他でもない。この馬先生こそ、今この世に生きている人間の中で一番、あの―頼豪寺万里子の生涯にお詳しい方だからだ。さっき、お峰さんの古い知り合いと言ったろう。それはね、まだ戦後間もない頃、彼女の消息をお峰さんに伝えたのが他ならぬこの馬先生だったからだよ。今までお前には話していなかったが、万里子はかつてお峰さんの教え子だった。だから、本来ならばお峰さんが全てをお前に話すのが筋。だけど―」
 そこで鎮女は言葉を切り、心を落ち着けようとするかのごとく目の前の茶碗から一口すする。
「お峰さんが言うには、『自分はあまりに万里子様に対する思いが強すぎる』と…。もし自分が万里子のことを話したとしても、きっと彼女への愛しさ、思い入れのあまり決して正確な情報は伝えられないだろうと。何せ今回はことがことだ。余計な感傷や先入観、ひいては教師が生徒に感じる愛情さえも排除した、公正な客観的事実だけを伝えるのがいいだろうと…それでこの馬先生を紹介してくれたんだよ。そんなお峰さんの気持ち…わかるね、聖」
 旧友の胸の内を思いやってか、しんみりと語る鎮女。だが、聖の方はそれどころではない。と言うのも―。
(へ? …それって一体どーゆーこと? 頼豪寺万里子って日本人でしょぉ?)
 万里子が秀桜学園に在学していたのは日本が朝鮮半島や中国(の一部)・台湾などをその支配下においていた時代である。当然、それらの国々から日本に留学してくる若者たちも今以上に多かったことだろう。そして秀桜学園といえば、当時すでに日本で一、二を争う伝統を誇っていた反面、その運営・教育方針においてはかなり進歩的な考え方を取り入れていた学校だったから、そんな留学生たちにも広く門戸を開けていたことは想像に難くない。事実、あのときの学籍簿調査のときにも、何人かそれふうの名前を見つけた。しかし、頼豪寺万里子という名前は間違いなく日本人のものである。ならば万里子が日本人であることはどこからどう見ても自明の理。なのに―どうしてそんな彼女のことを一番よく知っている人間が外国人である馬教授なのだろう。
 声もなくぽかんとしたままの聖に、馬教授がまた、穏やかに微笑みかけた。
「ああ…聖さんが驚かれるのも無理はありません。『日本人であるはず』の万里子について一番よく知っているのが外国人の私だなんて、普通に考えたらおかしな話ですからね。しかし―」
 そこで突然、馬教授が真顔になった。
「頼豪寺万里子は日本人ではありません。赤ん坊の頃に頼豪寺伯爵家の養女となって日本で育ったものの、元々の生まれは『清国』―つまり、大陸の人間だったのですよ」










「えええええーっ!?」
「こら聖! いきなり素っ頓狂な声出すんじゃないっ!」
 今度こそ大声を上げてしまった聖に、すかさず初音の鉄拳が飛ぶ。馬教授もくすりと口元をほころばせたが、その目だけは相変わらず真剣なままだ。
「大陸で生まれ、日本人の養女になったと言えばかの『男装の麗人』、川島芳子が有名ですが…同じような境遇で育ち、同じように先の戦争に巻き込まれて非業の死を遂げた頼豪寺万里子の方はほとんど知られていません。…まぁ、生い立ちや最期が似ていても、彼女たちを取り巻いていた環境や事情はかなり違っていましたからそれも仕方のないことなのかもしれませんが」
 馬教授のため息とともに、鎮女や初音までもが痛ましげに目を伏せる。だが、聖にだけはいまだにさっぱり訳がわからない。大体、「男装の麗人」と言えばあの「ベルサイユのばら」のオスカル様しか思い浮かばない現代っ子の女子高生にとっては、そんな昔―第二次世界大戦の時代にも同じ名前で呼ばれていた女性がいたことからして初耳である。
「川島芳子は清王朝八大世襲家筆頭、肅親王家の第十四王女として生まれ、七歳のときに日本人川島浪速の養女となりました。清朝王族である実父はもちろん、養父もまた清朝復辟(退位した君主が再び位につくこと)を強く望んでいたといいます。彼女も復辟のために力を尽くし、大陸と日本の間を奔走しました。ですがその結果、満州国―日本軍部が清王朝を利用して作り上げた傀儡政権―の協力者という形となり、終戦後中国政府に捕らえられ、漢奸(中国で、敵に通じる者。裏切者。売国奴)として銃殺刑に処されています。現在でも、中国人の多くは彼女に対してあまり高い評価はしていません。ですが日本においての芳子は今で言うスーパーアイドルでした。清朝の王女という高貴な生まれでありながら在野の日本人の養女となった数奇な運命、そして男装に包んだその美貌…昭和初期の日本では彼女をモデルにした小説が出版され、舞台や映画にもなっています。もっともその人気も終戦、そして彼女の死とともに終わってしまったのですけれどもね。しかしもう一方の頼豪寺万里子にはそんなかりそめの華やかささえ一切縁のないものでした。しかも万里子は戦争の終わりを見ることもできなかった上、その死後は中国と日本、生まれた国と育った国の両方を裏切った悪女とされてしまい、その記憶は口にするのも忌まわしいものとしていまだ関係者の間ですら封印されたままなのです」
 聖は息を呑んだ。その脳裏にあの夜目撃した幽霊の姿が蘇る。
(キヨコサマじゃ、ないのね…)
 悲しく儚げなつぶやきだけを残して消えてしまったあの美少女がそんな―二つの国を裏切った悪女などという大それたものだったなんて、絶対に信じることができない。
「ですが聖さん。それは皆誤解と濡れ衣なんだ! 本当の万里子は芳子同様、二つの国の平和のために全力を尽くして働いていたんです! それだけじゃない。彼女の国際情勢に関する見識・視野の広さ、そして分析力や判断力は当時一流の学者や知識人にも決して引けを取らぬものでした。私はそんな万里子の本当の姿を貴女に知ってほしい。そして、一日も早く彼女の魂を安らかに、穏やかに眠らせてやってほしい。そのために…どうか、私の話を聞いて下さい。お願い致します」
 そこで再び座布団を外し、両手をついて深々と頭を下げた馬教授。慌てた聖もすぐさま同じく頭を下げ―きっぱりこう答えたのは言うまでもない。
「そんなそんなっ、こちらこそ! どうか、頼豪寺万里子についての全てを私にお聞かせ下さい。馬先生、お願い致します!」

「かなり…長い話になります。もしかしたら今日一日かかってしまうかもしれませんが、よろしいですね?」
 座卓を挟んだ向かい側から真っ直ぐに自分を見つめる馬教授の言葉に、聖ははっきりとうなづいた。残る二つの席に着いた鎮女と初音は、黙ってじっと二人を見守っている。そんな彼女たちにも軽く会釈し、馬教授は静かに語り始めた。
「先程川島芳子と頼豪寺万里子の生い立ちが似ていると申し上げましたが、それは家柄についても同じことです。万里子の実父もまた、清王朝の流れをくむ高級官僚でした。もっとも、もう何代も前に臣籍降下していたとかで、すでに王族の列からは外れていましたが。もしかしたらそのおかげで、万里子は芳子ほど騒がれずにすんだのかもしれませんね。しかし彼女が養女に入った頼豪寺伯爵家はいうまでもなく当時の華族、特権階級でしたから…少なくとも日本にいる間は万里子の方がより華やかな、注目を浴びる環境で育ったと考えるべきなのですが、この頼豪寺家というのがまた、中々ユニークというか型破りな家でしてね。他ならぬこの家の養女となったことが万里子の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いありません。なので少々回り道になりますが、まずはこの頼豪寺家について説明させていただきましょう」
 頼豪寺家の名前を口にした刹那、それまでどこか切なげな表情を浮かべていた馬教授の口元がかすかにほころんだのを聖は見逃さなかった。どうやらその頼豪寺家というのはよほど常識を外れた―ヘタすりゃ奇人変人の集団なのかもしれない。
 興味津々、ついつい身を乗り出したとき、絶妙なタイミングで御法が二度目のお茶を運んでくる。ここまでですでにかなり喋り続けだった馬教授にとっては何よりありがたかったのだろう、早速新しく置かれた茶碗を手に取り、ごくりと一口飲み込んだその笑みがますます深くなった。そして―。
「頼豪寺家は代々学者の家柄で、その先祖をたどると野見宿祢に行き着きます。つまり菅家―天神様で有名な菅原道真と同族だったというわけですね。事実、菅原家とは結構親密な間柄だったようですよ。ですが道真は藤原時平との政治抗争に敗れて大宰府に左遷されてしまったでしょう。あれで頼豪寺家の先祖は大いに失望し、へそを曲げてしまったらしいのです。一族の誉れ、希望の星―それを抜きにしても、あれほどの学識を持った有為の人材をあっさり中央から追い出してしまった当時の政権、すなわち宮中や殿上人、そして天皇にすっかり愛想を尽かしてしまった頼豪寺家は、それ以後一切の立身出世を『虚しきもの』として完全に見限りました。その代わり、家業である学問にはますます熱心になり―学ぶためならば何でもやってやろう、天皇だろうが幕府だろうが知るものかという姿勢をとことんまで貫き通すようになったのですね。江戸時代の頼豪寺家当主、惟頼などは随分と好き放題に日記や書簡に書き散らしていますよ。その頃の日本は鎖国政策を取っていましたし、それでなくとも公家には保守的な人間が多かったと思うのですが…。そんな中、この惟頼ときたら『夫、古来唐天竺より伝はりし物のうちには数多の重宝あり。かの国々より学びし事ども、またさらに多し。これすなはち、異国にもいみじう優れたる知恵あることのしるしにやあらん。紅毛南蛮の国々とてまた然るべし。青き目、紅き髪に恐れなし、徒に忌み嫌ふばかりなるこそ愚かなれ。南蛮知らずしてその賢愚量る術なし。まづは学び、知るべきなり。身を尽くして励み習ひ、得るもの何もなくばそれすなはち我国南蛮より優れたるゆえならん。その一事を悟るのみとて大いに甲斐あるものと覚ゆ』…つまり『日本は昔から中国やインドからいろいろなものを取り入れ、いろいろなことを学んできた。それはつまり、外国にも優れた知恵がたくさんあるという証拠ではないだろうか。西洋だって同じだろう。青い目や紅い髪を恐れてただ拒絶する、その態度こそ愚かである。西洋について知らなければその優劣を推測することはできない。とにかく学び、知ることだ。その結果何も得るものがなければ、日本が西洋より優れているということだろう。そのことがわかっただけでも大収穫だと思う』などとうそぶきましてね、自分の文机の上には古今の和漢籍とともに蘭学関係の書物を堂々と並べ、人前だろうが何だろうが平気で読みふけっていたそうですよ。寡聞にして私もそこまで蘭学に熱心だった公家というのは他に知らないのですが…もうこうなると完全な学問マニアかマッド・サイエンティスト…いえ、マッド・エンサイクロペディストとしか言いようがありませんね」
 そこでまた、聖がきょとんとした顔になった。大学の漢文学教授である馬教授の口からマッド・サイエンティストなどという言葉が出てくるとは夢にも思っていなかったのである。聖の表情に気づいたのか、馬教授も少しばかり首をかしげて。
「…? 漢文学者がマッド・サイエンティストの話をしてはおかしいですか、聖さん。私はこれでもかなりのSFファンなんですよ。小説や映画はもちろんのこと―ここだけの話ですが―マンガやアニメだって大好きです。最近では『宇宙戦艦ヤマト』が大ヒットしたおかげでいい大人、こんなおじさんでも堂々とマンガ・アニメファンを名乗れるようになってきたのは何よりありがたい。そうそう、近いうちに『サイボーグ009』が再アニメ化されるという噂も聞いています。…楽しみですね」
 そう言った馬教授の表情はこれまでと変わらず真面目そのもの、ついでに言えばその瞳の中にはかなり嬉しそうな光が宿っていたのだが、いきなり話題を江戸時代から現代に―それもマンガとアニメにすっ飛ばされてしまった方としては一体どう答えればいいというのだ。第一、どこからどう見ても謹厳実直で完璧な紳士である馬教授とマンガやアニメだなんて、これほど似合わない組み合わせもない。…と、いうより。
(もしかしてこの馬先生…アニメ観るときもテレビの前で正座してたりなんか…する?)
 考えただけで盛大に噴出しそうになり、聖は慌てて口元を押さえ、自分の腿のあたりを思い切りつねりあげた。そうでもしなければこの場で笑い死にしかねない。ちらりと初音や鎮女の方に目をやれば、二人ともまた何とも言えない珍妙な表情になっていた。思うにどちらも―初音はもちろん、鎮女だってあの小さなせいると同居しているのだからアニメくらいは知っているだろうし―聖同様、体のどこかを力の限りつねるかひっかくかしているに違いない。
(うーむ…あのばぁちゃんと叔母ちゃんにここまでさせるなんて、この馬先生…只者じゃねぇっ! )
 だが、馬教授の表情は少しも変わらず。
「もしその噂が本当だとしたら聖さん、貴女も是非観るべきです。『009』はいい作品ですよ。子供向けマンガだからとバカにしてはいけません。もう四十代も半ばに入った私ですら、教えられることがたくさんある」
 だから馬先生っ! そんな、大学で講義するようなクソ真面目な顔で「009」是非観ろだなんて言わないで下さいってばぁぁっっっ! …軽いめまいすら覚えつつ、心の中で密かに絶叫していた聖の目がふと細くなる。馬教授の今の台詞―「もう四十代も半ばに入った私」という言葉―が妙に引っかかったのだ。
(さっき、馬先生は「万里子は戦争の終わりを見ることもできなかった」と言った…。だったら彼女が死んだのは戦時中ってことになる。でも今はもう終戦からも三十数年がたっているわけで…)
 自称「四十代半ば」である馬教授の年齢を四五歳あたりと仮定すれば、終戦時にはまだ十二、三歳の少年だったはず。もしも万里子がそれ以前に亡くなっていたとしたらさらに年下、ヘタすりゃ十歳前後ということもありうる。
(そんなん、まるっきしのガキじゃんよぉ!!)
 そりゃぁ聖とて、両親や祖母、叔母たちから戦時中の話はあれこれ聞いている。この日本においてすら、戦争末期―「非常時」と称された異常な時代の中ではまだ年端も行かぬ子供たち、現在の聖と同じくらいの少年少女までもが勤労動員だの学徒隊だのとして大人と変わらぬ労働を余儀なくされたばかりか戦場にすら駆り出されたというのだ。それと同じ時代、他国である日本に支配されていた大陸の状況はいっそう過酷なものであったろう。だが―だがしかし。
(昭和八年当時の万里子は秀桜高等女学校の五年生だった。だったら終戦の頃にはもう三十歳近くになっていたことになる。しかも彼女は「二つの国の平和のために全力を尽くして働いていた」…)
 国と国との平和のために働くなど、ただの一般庶民にできるはずがない。だとしたらそのときの万里子は何かしらの特殊な立場にいたか、でなければ二つの国々に影響を及ぼすだけの大きな力を持っていたと考えるのが当然だ。と、すると…。
(いくら「非常時」の「大陸」とはいえ、まだ十歳前後の小さな子供が、そんな特殊な立場にいた、あるいは大きな力を持っていた立派な大人―万里子と接点を持つなんて、そう簡単にできることだろうか?)
 ちら、と馬教授を見やった聖の瞳には、かすかな疑問―いや、疑惑の影が宿り始めていた。もちろん、教授への好意はそれでも決して変わるものではなかったけれど―。

(どうやらこの馬先生の話…最初から最後まで疑いなしに信じていいものじゃないのかもしれない)

 やや上目遣いにもう一度馬教授を見つめた聖の視線には、ほんの少し―鋭さが加わっていた。
 


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