2006.08.25.(金)      あっと驚くタメゴロ〜(<古過ぎ)!!

 えー、昨日あんなにしんみりした文章を書きたれておきながら今日は一体何なんだ、てなタイトルですが…。

 だって冥王星が惑星じゃなくなっちゃうんだってよぉぉぉぉっ!?(茫然) これを驚かんであーた、どーしろってゆーの?

 まーねぇ…。それでも「009」読む分には大した影響もないんだろうけど(だって確か「怪奇星編」でも「スター・マーメイド伝説編」でもジョーくんたちってばワープかなんかでああっと言う間に遥か銀河の彼方の惑星まで行っちゃったし、「宇宙からの伝言編」で途中寄り道したのは木星とその衛星ガニメデのあたりだし…でも待てよ、「超銀」のときはどーだったっけ? あれ…?<ファン歴が長すぎて記憶が曖昧になってる<モーロクとも言う<笑)、「宇宙戦艦ヤマト」とか「銀河鉄道999」なんかは一体どーなっちゃうんだろぉ…。

 いえ別に冥王星自体がなくなっちまうわけじゃないし、小さい小さい言われてたって直径2,320kmもあるんだからガミラスの前線基地でも氷の墓地でも余裕でおっ建てられるはずだけんどもさ。
 ヤマトや999が冥王星軌道のあたりで太陽系に別れを告げるあのシーン、2006年現在の立派なオジサン、オバサンたちにとっちゃ思い出しただけで青春の日々に逆戻り、滂沱の涙もちょちょ切れる感動的なあの名場面が、50年後とか100年後のガキどもにゃ「太陽系に別れを告げるんなら海王星の軌道上でなきゃおっかしいよな〜」とか「科学考証間違ってんじゃねぇの?」とか「…変!」とか言われて笑いものになっちまうってのぉぉぉぉぉっ!?(いやそりゃあまりに極端な被害妄想だからっ>自分)

 …うん、確かにそこまで極端に走るこたぁまずないと思われるが、これってオジサンオバサンたちだけじゃなく現在小中高校大学に通ってる学生さんたち、若者にとっても結構衝撃的な事件なんじゃないのかなぁ。だってさぁ、昨日まで学校で習ってた「天文学上の常識」がわずか一夜にして丸ごとひっくり返っちまったんだから。

 しかし若者たちよ、覚えておくがよい。世の中のジョーシキだの何だのゆーヤツがこんな具合にある日ころっとひっくり返るのは実によくある話なのだよ。オバサンなんかさっ、はっと気がつきゃベルリンの壁は崩壊しちまうわソビエト連邦はロシアになっちまうわエベレストはチョモランマになっちまうわ、ああ、一体何度世界地理を必死こいて覚え直したか…(涙)。特に最近じゃ寄る年波で新しいコト覚えるのがとんでもなく大変になっててねっ!! はっきし言って今のアタシにゃCGIも地デジもハンカチ王子もまるっきしワケわかめの異次元の単語だよ悪いかコラ! しかし他の二つはともかく地デジがわかんねーってなぁかなりヤバイかも2011年にアナログ放送が中止されちゃったら一体どーやってTV観りゃいーってんだぶつぶつぶつ…(ちょっと待ていつの間にか愚痴になってるぞオイ>自分)。

 なんて、こんな年寄りの愚痴はともかく、今回のようにこれまで信じていたことどもがあっけなく崩れ去る衝撃にぼーぜんとしつつもそれを自分の中でどう受け止め、どのように対処していくべきか必死こいて考える、そんな経験を繰り返していくことが人間としての成長、あるいは老成というものなのかもしんないなー…(おお、最初はどーなることかと思ったが一応最後はそれなりにしんみりまとまったじゃないかオイ♪<いやしかし昨日のしんみりと今日のしんみりは明らかに別モノと思われ<だからもういいやめろコラ)。



 あっ!! そーいやも一つ気になることがあったんだった!
 冥王星が太陽系惑星から外されちゃったら、西洋占星術ってばどーなんの? 現代のホロスコープじゃ確かアレ、さそり座の守護星だったよーな気が…。もしかして冥王星発見以前の古典的占星術に戻ってさそり座の守護星は火星ってことになっちゃうのかしらだとしたらさそり座生まれの人はえれーこと混乱するだろーなーそれで運勢変わっちまうなんてことないんだろーかだいじょぶかしらどーかしら…(ママッ! いつまでも何ぶつぶつ言ってるんでちか! 明日は町内会総出の樹木消毒の日でしょっ! 朝早いんだからさっさと寝てちょうだいよっ!<鋼の低血圧を誇る管理人を叩き起こすのに毎朝四苦八苦している案内人)



2006.08.24.(木)      一寸の虫にも…

 今回は悲しい報告をしなくてはなりません。06.02.28.付の日記でちらりと書いた「我が家のもう一人の子供」、でんでんむしのででこが昨日ついに永眠致しました。享年九歳と十ヶ月(<推定)。あと数ヶ月で「足掛け」どころか満十歳を迎えるはずだったのですからでんでんむしとしてはまさにギネスブック級、おそらく老衰による大往生だったのでしょうけれど…。

 先にも書いたとおり「たかがでんでんむし、されどでんでんむし」。懐くわけでも甘えるわけでもなし、おまけに鳴き声一つ上げることもなければ一緒に遊ぶこともできない、本当に「ただそこにいるだけ」のヤツでしたが、約十年間毎日毎日霧噴きで水分補給、二日に一度はエサのレタスを取替えてやっていた飼い主としてはやはり一抹の淋しさを禁じえません。



 初めて見つけたときは小指の爪ほどの大きさしかない、生まれたてのチビでした。
 しょってる貝殻もサランラップ並に薄くもろく、つまみ上げるたびに潰してしまわないかとヒヤヒヤものでした。
 案の定、飼い始めて半月後、エサを取り替えてやるときにうっかり強くつまんでしまい、貝殻にヒビを入れてしまいました。
 翌日慌てて本屋に駆け込み、立ち読みした本(買えよコラ>自分)の「貝殻へのカルシウム補給には卵の殻」との記述を頼りに卵の殻をエサとして与えてみました。
 そしたら何と見事に完治、ヒビの痕は多少残ってしまったものの、それでも元気に成長していきました。
 本来なら冬眠するはずの季節でさえ、エアコンと床暖房で見事乗り切った根性持ちでした。
 冷夏のおかげで野菜の価格が急騰した年も、八百屋のおばさんに呆れ果てられながらででこのためにレタスを買い続けました(<だって他の野菜全然食わねぇんだもんコイツ)。
 そのありがたいレタスを食うときには意外と大きな音を出し、飼い主をびっくりさせてくれました(<マジ、深夜周囲が静まり返るとはっきり聞こえた)。
 十年の間に三、四回、直径二ミリほどの白い卵を産みました(<しかし無精卵だったらしく一個も孵化せず…<涙)。
 そしてついには親指の爪大の貝殻、最長四〜五センチ(<いや、何せ伸び縮みするしコイツ)の「実」を持つ一人前のででむしとなり…約十年にも及ぶ天寿を立派に全うし、静かにひっそりと旅立っていきました。



 「一寸の虫にも五分の魂」と申しますが、あんなヤツでも結構たくさんの思い出を残して行ってくれたんだなぁ…と管理人はただ今しみじみと感慨に浸っております。しかしその反面、たとい命は短くとも自然のままに過ごさせてやった方がよかっただろうか、と少々反省したりもしてブルーな気分になっていたら、飼い主の寵愛をめぐってででこをライバル視していた案内人(笑)が慰めるようにぺろん、と頬をなめてくれました(でもはっきし言ってオマエの方が完全な新入り、弟分だったんだからなわかっとんのかコラ>案内人)。
 亡骸は庭の紫陽花の木の根元に埋めてやりました(いや何てったってでんでんむしつーたら紫陽花だし<?)。一生ガラス瓶の中から出ることのできなかったででこでしたが、願わくばどうかその「五分の魂」が紫陽花の葉っぱの上で自由に遊ぶことができますように。



 それでも、ね。



 ででこ、お前はよく頑張ったよ。

 ご苦労様。

 そして…。


 ありがとう(合掌)。



2006.08.20.(日)      祝・ピュン誕!! なのに結局自己嫌悪

 相も変わらず残暑厳しい日本列島、しかし本日ばかりは暑さも不快指数も完全にどっかへ吹っ飛ぶちゅーモンでございます。
 しなやかな肢体、華麗なフォームで自由自在に水中を泳ぎまわる「水の覇者」、ああもうそのお姿を想像しただけで気分はスキューバ・ダイビング…とくれば言わずと知れた!!!

 ピュンマ様ぁぁぁっ! お誕生日おめでとうございますぅぅぅっっっ(管理人、絶叫しつつ喜びの舞踊りまくりっ<ただし東京音頭)!!!

 …ぜーはーぜーはー。やでやで、やっぱ久々の東京音頭は腰に来るわ。今度喜びの舞を舞うときにはドンパン節にしよう…(<そーゆー問題じゃねーだろオイ>自分)。
 とまぁ、例によって例のごとくバカ丸出しの管理人ではございますが、いかにめでたきピュンマ様生誕記念日とはいえ、熱狂と興奮から醒めてみればやっぱキツいぞ、日本の夏。…なんて言ってるとアフリカご出身のピュンマ様に「だらしがないなぁ(くす)」なんて笑われてしまいそう(でも笑われてみたい気もちょっと…うふ♪<バカ)。ま、気温はともかく何しろ日本は湿度がね…。ピュンマ様が今年のお誕生日をどちらでお迎えになったかはわかりませんが、もしもギルモア研究所だったりしたらさすがの彼も今頃「暑いなぁ…」なんてつぶやきながら甚平さんスタイルでうちわパタパタとかなさっておられるかもしれませんvv でもなー…アフリカ大陸つーても広いしなー…。ムアンバが砂漠気候やステップ気候ならともかく熱帯雨林気候だったりしたら多分日本以上に蒸し暑いかもしれないし(やめんか>自分)。

 いえ別にムアンバと日本の蒸し暑さ比べなんてする気は毛頭ないんですケド、しかしとにかく何とかしてほしいわ、この残暑。
 特にこのところの管理人を苦しめているのは最高気温ではなくて最低気温だったり致します。も、最近の関東地方(もしかして全国的にか?)ときたら夜になっても全然涼しくなりやがらなくてねっ! 夜の天気予報観るたび本日の最低気温は25℃とか26℃とか27℃とか気象予報士さんが平然と言いたれて下さりやがってねっ!! この前なんかしっかりきっぱり「28℃」とかヌカして下さったこともあったな確か…そう、かなりの確率で熱帯夜が続いてるんですよ、これが…(涙)。

 世の中の奥様方お母様方にはまことに申し訳ないことながら、いー年こいて完全負け犬の管理人はてめぇの事情さえ許せば比較的気楽に朝寝坊できる立場だったり致します。もちろん仕事とか用事とかがあればそーも行かないし、一応犬一匹飼ってる身でもありますからさすがに限度ちゅーモンもありますが(<散歩とか朝メシの世話とかあるし)。それでもやっぱ完全予定なしの休日前夜、「さー明日は寝坊できるぞ〜」とほくそえみつつ布団に入るときのあの喜びはまさに「小市民のささやかな幸福」とでも言うべきものでありましょう。なのに最近そのささやかな幸福がぶっ壊されっぱなしでねぇぇぇっ! というのも…(号泣)。

 うち続く熱帯夜のおかげで明け方近くになると暑くて目が覚めちまうんだよコンチクショウっ!!

 それでも初めのうちは意地と根性でそのまま寝続けようと致します。しかしやがてどーにもこーにも耐え難くなってついに目を開けてみればまだ部屋の中は真っ暗、枕元の目覚まし時計の表示が3:00AMとか4:00AM。こりゃぁ一体どーゆーこったい「夜明け前」と言えば一日のうちで最も気温が低くなる時刻なのに暑さで寝てらんねぇってなぁ何なんだー!!!
 そりゃ、早起きしなきゃいけない日だったらそのまま起き出しちまえばいーよ。しかし休日に朝3時起きとか4時起きなんて鋼の低血圧を誇る管理人にとっちゃ死ぬより辛い。だもんで、「いっそエアコンつけちまおうか」などという不埒な考えがちらりと脳裏をよぎったりするんですけど…。
 いくら何でもまだ日も昇らぬ暗いうちからエアコンだなんて完璧な電力の浪費、資源のムダ。第一エアコンつけっぱなしで熟睡したりしたひにゃ鉄板で風邪ひくだろうし…。などとまたもや輾転反側、うだうだ思い悩んでいるうちに一瞬とろっとまどろんだり、再び暑さで目が覚めたりを繰り返しながらふと気づけば、おお! 部屋の中がほんのり明るくなっている! くっそぉ〜、もう夜明けかよ!!
 そこで管理人もとうとうぶちキレ、エアコンのスイッチオン! ただし電力節約&風邪予防のためいつもの冷房モードじゃなくて送風モードに切り替えるこたぁ忘れずに(しかし風邪予防はともかく送風モードでホントに節約になるのかな?<悩)。
 ちなみに最初目を覚ましてからここまでの所要時間は平均約二時間といったところ。

 と、いうことは。

 いかに遅くまで寝てたところで睡眠時間二時間丸損、おまけに夜明けからこっちの分はどー頑張っても三、四時間がいーとこではちっとも寝坊した気になれません。そればかりかいざ起き出したあとには救いようのない暗い気分が襲ってきやがります。
「あーもうこんなことなら最初に目が覚めた明け方にそのまま起きちゃえばよかったわそーすりゃ放ったらかしのSSの続きだって書けたはずだし日記だって更新できたしいやそれ以前にずっと気にかかっていたアレもアレもアレもできたはずなのにぃぃぃっ! なのにどーしてアタシってばこーもだらだらいぎたないワケ? いー年こいてこんなに時間の使い方がヘタなヤツ他にいねーよ恥を知れ、自分!!」
 そして結局山のような後悔と自己嫌悪で目一杯落ち込んでいるうちに休日終了…って、これじゃ一体何のための休みだか(涙)。

 ちくしょぉぉぉっ!! いつまでアタシを苦しめりゃ気が済むんだ夏の太平洋高気圧っ!! ゆったり心穏やかな休日を返せぇぇぇっ!!



 …え? そりゃ結局てめーがだらしないだけだ? はは…ええ、確かにそのとおりでございましたね、すみません…(<と結局いじいじ自己嫌悪に浸って終わる。めでたしめでたし<え?)。



2006.08.15.(火)      初心に還れ

今回のエッセイは書き出したが最後止まらなくなりやがったおかげで異常に長いです。おまけにUPも二日遅れになっちゃいました…すみません(土下座っ)。
なお、例によって例のごとく非国民的発言てんこ盛りの文章ですのでご覧の際には覚悟を決めた上、途中ご不快に感じた場合は潔くブラウザを閉じて下さいますようお願い申し上げます。
管理人



 
 あーあ、あの獅子舞オヤジ、とうとうやっちゃったわねぇ、敗戦記念日の靖国参拝…。管理人みたいな一介のオバサンからしてみりゃ一国の最高責任者とも言うべき地位にありながらどーしあーも自分の信念にばっかこだわるんだかワケわかんないんだけど、とにもかくにもやっちゃったモンはしょーがない。今後発生、あるいは悪化するであろう諸問題についてはやらかした本人及び政府に責任とって何とかしてもらいましょう。

 ただそのおかげで靖国神社周辺には朝も早よからマスコミ関係のヘリがちょー低空飛行でぶんぶんぶんぶん飛び回りやがってねっ! 周辺半径5km以内の住民はその騒音でえれー迷惑こうむったんだぞ! ウチだってなぁ、朝の散歩に連れてった案内人がヘリの音に滅茶苦茶びびりまくりやがって尻尾下げっぱなしの歩行拒否、結局散歩自体が成立しなかったんだよどーしてくれんだ!

 ついでに言えば神社に参拝するってのに一礼だけで済ませるたぁ明らかなマナー違反。正式な神社参拝作法は二礼二拍手一礼だって知らねぇたぁ言わせねーぞっ。…いやそりゃね、過去このコンテンツにおいて数限りない地雷踏み、山のような非国民的発言を垂れ流してきた管理人は言うまでもなく公式参拝反対派だが、どーせやるならとことんまできちんとやれっっての。おそらくあとで「神道式参拝をしたわけじゃないから憲法の政教分離原則には違反してない」とかなんとか言うつもりなんだろうけど、そんな姑息な言い訳するくらいなら最初からやるんじゃねぇぞコラァァァッ!!!

 大体さー、「靖国神社の公式参拝が何故問題なのか」って話になると必ず「中国・韓国が反発するから」って理由が一番に上げられる現状ってのも何とかならないモンかなー。…いやそりゃね、管理人が公式参拝反対派になったのも元はといえば「周辺諸国への心配りが足りないんじゃねーのか?」と思ったことが発端ではあったんだけどさ、最近じゃむしろそんな海外からの批判なんざはっきし言ってどーでもよくなりつつある。だって「海外から批判されるのが問題」っつーなら中韓が問題視してるA級戦犯を分祀しちゃえ、それでむこうが公式参拝に文句つけないようになりゃ全て解決、めでたしめでたし…なんてことになりかねないじゃん。それって、はっきし言ってかなり安直かつ乱暴な考え方なんじゃないのかね。
 大体この国はその手のイチャモンつけられるたびに国内問題だ」って頑固に突っ張ってきたんだから、この際外国の国民感情や思惑なんざ完全無視して純粋な国内問題として考えてみちゃどーよ。現代日本の諸法律、加えて過去数千年の長きにわたってこの日の本に連綿と受け継がれてきた神道の原点をもとに検証した場合どうなのかってことをさ。ま、そーなったらなったできっと、あっちゃこっちゃの学識経験者やら知識人やらが百家争鳴右左の喧々諤々、さぞややかましい議論が巻き起こるんだろーケド。少なくとも、学識も経験も一切なしの無知蒙昧な一介のゴクツブシには疑問がてんこ盛りなんだけどなー…。

 疑問その一はやっぱ、一度お祀りした御霊の分祀は本当に不可能かってこったわね。これは前述のA級戦犯だけに限らず、信仰や思想信条に基づいて靖国神社からの分祀を願い続けている日本の一般兵士遺族、及び「侵略者」であった日本の神社に家族が祀られているのは耐え難いとして同じく分祀を望んでいる韓国・朝鮮人兵士遺族にも関わることだから何を置いても真っ先にはっきりさせとくべきだろう。

 これら全ての分祀要請に対し、神社側は一貫して「ろうそくの火を移しても元の火は残るのと同じで、分祀しても元の霊は神社に残る、だから分祀不可能」という立場を取っているようだが、オバサンは以前からこの理屈には首をかしげ続けていた。というのも学生時代に読んだ『折口信夫の晩年』(岡野弘彦 昭和52年 中公文庫)の一節がずっと心に引っかかっていたからだったりする。
 折口信夫といえば民俗学、国文学を始めとする数々の分野で偉大な業績を残した一方、釈迢空の名で歌人としても有名な大学者だが、著者の岡野弘彦氏(歌人・現國學院大學名誉教授)はその最後の弟子として晩年の折口博士と同居し、最期を看取った方である。
 でもってこの本曰く、折口博士は自宅の「守り神」として男女の河童像を神棚に置いてずっとお祀りしておられたそうな。しかし博士の死後は家も河童像もずっとそのままにしておくわけにはいかない。そこで博士の同僚であり岡野氏にとってはやはり恩師だった方に相談すると《「魂を入れて先生が長く祀っていられたものだから、よそへ移す前に、まず魂を抜いておかなければいけないでしょう。君も神主の家の生まれなのだから、あなたがなさい」といって、その方法を教えてくださった。》(『折口信夫の晩年』306頁)というのだ。
 つまり神道には、祭祀の対象から魂を抜く方法だってちゃんとあるということになる。
 しかし折口博士や岡野氏がいかに神道と関係浅からぬ方々とはいえ、あくまでこれは家庭内で祀っていた「守り神」の話、果たして一般の神社にあてはめていいものかどうか…なんてこたぁたかが元バイト巫女風情にわかるこっちゃない。なので今まで管理人はオンオフ関わらず誰にもこんな主張はしなかったのだが。

 つい先日新聞を読んでいたところ、作家の海老沢泰久氏のこんな文章を見つけたのだった。
 《神道の歴史も、一度祀った祭神は分祀できないとは教えていない。》(2006.08.02.東京新聞夕刊)
 さらに海老沢氏は神社の祭神が変更、あるいは廃された例をいくつか挙げておられるのだが、中でも一番の有名どころといえばあの神田神社、すなわち明神様の例だろう。
 《ほかにも、平将門が朝廷に反逆した逆臣だというので、明治七年に神田神社や築土神社の祭神から除かれた例をあげてもいいが、事情はどうあれ、こういう例はなくはないのである(神田神社は昭和五十九年に復座)。》(同上)
 これには管理人もぶったまげ、早速ネットで調べてみたら神田神社のHPにもちゃんと載ってたよ、この事実…(茫然)。
 と、いうことは。神道にはやはり、一度お祀りした御霊を祭神から外す儀礼もまた先例もしっかりあると考えないわけにはいくまい。

 ただオバサンね、分祀を求める一般兵士の遺族や参拝反対派の人々に対しても疑問があるの。「現在祀ってある御霊を祭神から外してほしい、あるいは他所に移してほしい」てな要求すんのにどーして「分祀」って言葉を使うかね。これ、はっきし言って思いっきし用法間違ってるぞ。少なくとも「分祀」という単語の意味のみに限って言えば靖国神社側の説明の方が全面的に正しい。何故なら「分祀」ってなぁそもそも《本社の祭神の分霊を他所に勧請し、新たに祠を建てそれを鎮祭したもの。…(中略)…ある祭神を祀る本社から遠く離れた地域の信者に、容易に参拝できるようにその本社の分霊を勧請した場合や、明治期に新開拓地への移住民が本国の産土神の分霊を勧請鎮祭した場合などがみられる。》『神道事典』(國學院大學日本文化研究所編 平成6年 弘文堂)ものであり、上記の「ろうそくの火云々」の考え方をしないことには実行不可能な行為だからだ。
 そうじゃなくて御霊を他所に移すってんなら「遷座」という言葉を使うべきだろう。ちなみにこの「遷座」ってなぁ決してオバサンの造語なんかじゃなくて『広辞苑』にだってちゃんと載ってるから、嘘だと思うなら調べてみんさい。厳密に言うならコレ、「祭神から外す」って意味はないみたいだけど、靖国神社の祭神から外したってその御霊はまた別のお社、あるいは遺族家庭の神棚、仏壇、あるいは祭壇その他モロモロの場所に鎮まるわけでしょ。だったらこの場合も「遷座」で構わないと思う。少なくとも「分祀」よりははるかに実態に近いんじゃないのかねー。

 なんて、ちょっくら調子に乗って脱線しちまったが本題に戻って疑問その二。
 そもそも人は何のために神を祀るのか? …うーん、自分でもあまりのシンプルさに赤面しちまうくらいだが、これって全ての根幹となる問題じゃなぁい?

 言うまでもなく日本には「八百万」、すなわち数え切れないくらいの神様がおいでになる。当然、その成り立ちやら性格やら霊験やらもさまざまだ。例えば太陽や月や星、あるいは山や森や川や海、風や雷、はたまた動植物などの自然物及び自然現象を神格化した「自然神」とか、人間の社会集団を守る氏神や鎮守神、人間の成長過程や各種活動に関わる産神や死神あるいは農業神、商業神、学問神、果ては人間そのものが神となった人間神等といった「文化神」とかね(<ただしこれはヒッジョーに大雑把な分類なので、もっと詳しく知りたい方は既出『神道事典』等で調べて下さい<無責任)。
 しかしながらこんなにも千差万別かつめちゃ個性的な神々にも一つだけ共通した性質があって。それすなわち、どの神様も極めて人間的な行動やら反応やらをなさるということ。…そう、八百万の神々は決して「悟っちゃった超越者」ではないのである。

 なので人間どもが敬虔な気持ちできちんとお祀りしていれば神様もまたご機嫌よくお過ごしになるが、祀りが不十分だったりいーかげんだったりすればたちどころにヘソを曲げて大暴れ、人間社会やその生活に大打撃を与えちゃったりする(<これがすなわち「祟り」ってヤツね)。でもって「祀り」の語源は「まつらふ(=服従する)」だと言われているからして、神様にご機嫌よく過ごしていただくための「きちんとしたお祀り」ってなぁ「神様の霊威に人間が従い、奉仕すること」だと考えることができる。
 いくら「人間的」な日本の神様といえども人間どもなんかよりずぅぅぅっと格が上の存在であることは言うまでもない。そして本来の「祀り」とはそんな「畏れ敬うべき」神様に喜んでいただき、ご機嫌よく過ごしていただくために人間どもが精一杯ご奉仕、そしておもてなしすることなのだ。

 そういった観点からすると、現在の靖国神社のあり方について、考えるべきことが全くないとはいえない。中でも早急に対処すべきなのはやはり「疑問その一」で述べた「分祀(遷座)を要求している一般兵士遺族」の問題だろう。
 従来の「八百万」感覚に慣れた日本人は概して宗教意識が希薄、あるいは逆にとんでもなく寛容な場合がほとんどである。しかしそんな日本人の中にも厳格な仏教徒あるいはキリスト教徒である人々は確かにいるはずで。まして先祖代々その宗教の信徒であったとしたら、死後も自らが信ずる仏、あるいは神の元で供養、祭祀してほしいと思うのは至極当然の人情だろう。なのに自分の信仰とは何の関係もない神道方式で、それも国家の手で半強制的に神として祀り上げられてしまった、そんな神様が果たして喜んだりご機嫌よく過ごすことができるだろうか?
 こんなことをゆーと必ず靖国賛成派が「文句を言っているのは遺族だけであって、英霊ご本人の気持ちかどうかはわからない」とか何とか言い出すんだろうけど、百歩譲ってご本人がそれで納得したとしても、あとに残された家族がその件で悲しんだり苦しんだりしているのを見れば、やはり心安らかになど到底なれないんじゃないのかね。
 韓国や朝鮮など、旧植民地出身の兵士の場合はもっと深刻だ。どのような理屈をつけようが、彼らにとっての日本が「侵略者」であったことは間違いない。自国語を取り上げられ、それこそ先祖代々の名前まで改めさせられ、勝手に日本人呼ばわりされた挙句「日本人の義務」として戦争に駆り出されて命を落とした御霊が、当の侵略者側の神社に勝手に祀られて何をどう喜び、ご機嫌よく過ごせというのだろう。しかも同じ境遇で戦場に送られ、生きて帰ってきた人々―靖国に祀られている御霊にとっては「戦友」だ―は「すでにもう日本国籍を失っているから」との理由で日本の恩給法や遺族援護法の埒外に置かれている。死ねば神様、生き延びれば外国人として完全無視、これを矛盾と言わずしてどーする。
 戦友の絆はともに命を懸けて戦った分、一般的な友情よりはるかに強いと聞いている。靖国に祀られている御霊は生き延びた戦友たちのその後にどのような思いを抱くか、一度想像してみるといい。

 神の心を乱し、安らぎを奪って何のための祀りか。

 この点において、彼らの分祀(遷座)はある意味A級戦犯のそれよりも優先して早急に対処しなければならない問題だと思う。

 なお、先程「半強制的に祀り上げられた」と書いたのは、靖国神社に戦没者(軍人・軍属)名簿を提供したのが旧厚生省だからである。神社側の要請にしたがって1956年から始まったこの名簿提供は、その後「政教分離の原則に触れる」との批判を受けて1987年には中止された。そして1990年以降は遺族らが神社に報告して合祀する形を取ってきたが、結局それ以前に祀られた祭神はそのままだったり…するんだよねー。
 この件については韓国人の元軍人・遺族らが「戦没者名簿の提供は政教分離を定めた憲法違反だ」と訴訟を起こしたが、2006年5月、東京地裁にて原告全面敗訴の判決が下っている。

 しかし昔はどうあれ今は民間の一神社に国家機関が便宜を図るなんてなぁやっぱ政教分離違反だと思うんだけどなー。ま、この判決はどーでも、事実名簿提供を中止したっちゅーのはやっぱ提供する側される側双方に「言われてみりゃ確かにそうかも」という気持ちがあったからじゃないのか? あくまで違うってんならその時点で全力を挙げて国民に事情を説明し、理解を求めりゃよかったじゃないよ。
 …こんなふうに、かつて「憲法の政教分離に抵触する」という批判を受けるよーな手段で手に入れた名簿、それに基づいて祀った祭神を何故いまだに靖国神社はそのままにしているのか。そして、こーゆー過去があったにもかかわらず何故国は「政教分離」を理由に靖国神社関連の問題に「触らぬ神に祟りなし(<こりゃぁまさしくそのとおりっ♪)」を決め込んでいるのか。
 これが、管理人の第三の疑問である。

 しかしこの第三の疑問にはこんな解釈もできなくはない。冒頭に記した「神道の原点」のそのさらに昔、言わば「原始神道」の時代には必ずしも神社―社殿があったわけではなかった。古代日本人は祭祀のたびに神が降臨するにふさわしい場所に神の座やら依り代だのをしつらえて神霊を迎え、祭祀が終わればまた本来の神の国へと送り返すのが常だったのだ。つまり祭祀その他特別の場合以外は、神様は神霊界及び人間界を自由に行き来していたってわけ。神社が造営されるようになってからも、年がら年中そこに神様が鎮座ましましておられるわけではない。出雲で八百万の神々が集会を開くという十月には全国津々浦々の神々はほとんど社を空けて出雲にお出ましになるというし、それでなくとも人間なんかよりはるかに強力かつ偉大な力を持つ神々のこと、ふと気が向けば神代の昔とかわりなくお心のままにあちこち出歩かれるとしても不思議はあるまい。
 だったら、人間どもがどんなに立派で豪華絢爛な神社をおっ建てて荘厳な祀りを執り行おうが、それが神意にかなっていなければ神様が降臨することなんざありえないのではなかろうか。いかな神職といえども「そんなトコ行くのやだもんね〜」とおっしゃる神様をとっ捕まえて無理矢理神社に閉じ込めるなんて真似はまずできないに違いないし(ンなことやらかすヤツぁウチの藤蔭先生以上の「外法使い」だ<大笑)。
 だから。
 案外、そこに祀られることを潔しとしない御霊はひっそりちゃっかり懐かしい家族のいる家の祭壇に鎮まりまし「私たちはちゃんとここに―ここだけにいるんだから、そんなに苦しんだり悲しんだりすることはないんだよ…」とにっこり笑って仰せになっているかもしれない。



 以上、例によって例のごとく大いに非国民的発言を垂れ流した管理人ではあるが、靖国神社自体を廃止させろなんていうつもりは毛頭ない。分祀(遷座)を求める遺族が日本国内外を問わず多く存在しているのと同様、靖国神社を心のよりどころとして、家族を失った悲しみを乗り越えてきた遺族が多数存在しているのもまた事実だからだ。自分が反対派だからといって賛成派の存在までも非難・否定する権利や権限なんて管理人にはない。
 ただ、同様の理屈で賛成派の方にも反対派の存在を無視し、その思いを踏みにじる権利はないといえよう。まして賛成派・反対派双方が混在している日本という国の代表者である首相がいかにも全国民の心を代弁するかのような「公式参拝」という形でお参りするのはやはり公人として不適切だと思わざるをえない(いくら私人だ私人だちゅーたってあれほどの地位についてりゃ最早私人としての自由やら勝手やらは許されねーんだよっそれが”Noblesse Oblige”ちゅーヤッちゃ覚えとけっ!!)。

 現在、靖国神社に関する問題あるいは論争は国内外を問わず花盛りである。正直、政府・民間に関わらずここまでこじれにこじれた案件にはどういう立場を取ったらいいかわからないと思う人々も少なくはないのではなかろうか。
 しかし、そんなときにもしこの国の本来の姿、はたまたこの国をずっと守り続けてきた神々の存在についてもう一度じっくり考えてみたとしたら、我々が今後歩むべき道筋、やらなくてはならないことどもがはっきりと目に見えてくることもあるんじゃないかな〜…とオバサンは愚考する次第である。



2006.08.09.(水)      ○○パワー、恐るべし!

 うわああぁ〜…先の更新からまたまた一か月近く経ってしまった…(力なく床に崩れ落ちて涙)。はっと気がつきゃいつの間にか梅雨も明けてるし、ここしばらく東京じゃ35℃前後のとんでもねー暑さが続いた上台風まで接近してきやがるし、ついでに前回UPしたオリジナルの続きまだ書けてないしっ! おかげで管理人のPC内では藤蔭先生がもう二ヶ月近く飲んだくれていらっしゃいます(<この状態はマジ怖い)。あああ…本当にすみませんすみませんすみません…(<平伏しつつ恐怖のあまり布団かぶって般若心経唱える管理人)。

 …とまぁ、暑さと台風と恐怖のトリプルパンチで完全パンチドランカー状態、ますます人として壊れまくりのオバサンではあるものの、世の中よくしたものでそんな救いようのない人間のクズのもとにもごくささやかな幸福が訪れることもあるのだった。
 それはずばり実母の北海道旅行土産、巨大カニ爪と生ウニしこたま!! 何でも帰りの飛行機に乗る直前、空港内の某漁港直売所で本日早朝水揚げしたばかりのヤツを見つけ、清水の舞台から飛び降り自殺する覚悟で大奮発したんだって。
 で、早速晩メシに食ってみたら、う〜ん、スーパーとかで買ったのとは味が全然違うわ〜vv 何てったって「本日早朝水揚げしたばかり」っちゅーことは、昨日の今頃はまだ海の中で泳いでた(いや待てよ、カニとウニだから泳いではいなかったかも<そーゆー問題じゃねぇ)ってことじゃない? これが美味しくなくてどーするってのよあーやっぱ海産物は新鮮さが命ねぇアトピーのおかげでこれ食えない案内人が本当に可哀想(<放っといて下ちゃい!! 別にアトピーなんかどーでも、元々カニとかウニっていうのはボクたちわんこの体質には合わない食べ物なんでち! お肉の方がずっと美味ちいもん、食べられなくても全然可哀想じゃないでちよ〜<…と言いつつ本当に鼻も引っかけずに通り過ぎやがった案内人<このバチ当たりっ@飼い主)。…なんてワケわからんことをほざきつつ、焼酎片手に北の海の恵みを存分に堪能していたのだったが。

 ばくばくばくばく。…あれ?

 ふと気がつけば何か腕のあたりがおかしいぞ。いや、痛いとか痒いとか痺れるとかじゃなくてね、皮膚の表面がみょーにデコ…ボコ…? と首をかしげるヒマもなく、そのデコボコが両腕の肘から手首までどんどん広がっていくではないか。
「何じゃぁぁぁっ、こりゃぁぁぁぁっ!?」
 ついつい絶叫してしまったものの、先にも述べたとおり痛みや痒みはまるでない。ただ皮膚だけが何つーか、そのー…。ほら、蚊に食われた直後ぷっくり腫れた状態のうんと軽いヤツみたいな、台所用スポンジのデコボコを目一杯地ならしして平らに近づけたみたいな感じになっちゃってさー。普通にしてればほとんどわかんないんだけど、ちょっと腕をかざして光の当たる角度を変えるとそりゃもう気味悪いデコボコが一面に…状態。
 えーっ、何で何で何でぇぇぇっ!? と管理人がパニクったのは言うまでもない。が、そのうちにふと友人のMちゃんのことを思い出した。実は十数年前、彼女と管理人も一緒に北海道に行ったことがあるのだが、そのとき夕食に出たカニを見て彼女がしみじみとのたもうたことには。
(…あたしさー、カニは好きなんだけどカニの汁が皮膚につくとアレルギー起こして滅茶苦茶腫れちゃうんだよねー)
 当時の管理人は「えーっ、カニの汁でアレルギー!?」とびっくりしたり(いえ、カニ汁アレルギーってそれまで知らなかったもんスから<もの知らず)、「好物なのにアレルギー起こしちゃうなんてMちゃん、可哀想…」と涙しているばかりだったのだが。

 ―カニの汁が皮膚につくと腫れちゃうんだよねー。

 …ってことはもしやこれってカニ汁アレルギー!?
 おいおい、いくら何でもそりゃないだろう。だって管理人ってばこの年になるまで数え切れないくらいの回数カニ食って…いや、カニに限らずどんな食材口にしたってアレルギーなんてほとんど起こしたことないんだぞっ!!
 だったらもう一方のウニのせい? ってのも何だかなー…。だってオバサン、ウニだってこの年になるまで数え切れないくらい…(以下同文)、いや、それより何より素手で殻むいてたカニと違ってこっちはちゃんと箸使って食ってたからして、腕はおろか指先にだって汁あるいは本体がくっつく可能性はまずなかったと断言できる。それに、カニにしろウニにしろそれを口にしたが故に起こるアレルギーなら腕に限らず全身にデコボコができてしかるべきなんじゃないだろか。

 …となりゃやっぱ原因はカニ汁、そしてその鮮度か…? 考えてみりゃこれまで管理人が食していたカニのほとんどは東京都内のスーパーあるいは魚屋さんで買ってきたむき身だのカニ缶だのカニカマボコ(いや最後のは絶対カニじゃないからっ>自分)、その日の朝まで海にいたなんてシロモノにはほとんどご縁がなかったしなぁ…。

 と、いうことは。

 獲れたてぴちぴち、イキのいいカニちゅーモンはそのパワーもケタ外れだってかぁぁぁぁぁっ!?
 うーむ、恐るべしカニパワー。やっぱカニ汁にはかぶれてなんぼ、これぞ新鮮さの証明ってことなのねっ♪(ンなわけねーだろこのバカモノ>自分)
 …ともあれ、産地直送獲れたてのカニ&ウニが天にも昇るほど美味しかったことには違いないし、ま、いっかvv(<脳天気)



 ちなみに腕の腫れも一晩寝たら完全に治りましたので、皆様どうぞご心配なく。お騒がせ致しました〜。ちゃんちゃん♪



2006.07.14.(金)      まさかと思えば三周年!

 皆様、いつも弊サイトにお越し下さいましてありがとうございます。
 おかげさまで本日、開設三周年を迎えることができました。飽きっぽくてだらしなくていーかげんで無責任な「人間のクズ」が運営しているサイトがここまで続いてきたのも、ひとえに遊びにおいで下さる皆様方のおかげでございますっ!! そんな皆様方に少しでも楽しんでいただけるよう、これからも管理人、案内人ともども精一杯努力していく所存でおりますので、何卒よろしくお願い申し上げます(管理人&案内人、並んで深々と平伏)。



 …とまぁ一応ご挨拶申し上げたものの、なーんか白々しい雰囲気が漂ってる気がする今日この頃。
 だってウチ、このところすっかりSSの更新滞っちゃってるしぃ〜(「太陰」で調べてみたら06.04.29.に「おさななじみ 下」をUPして以来まるっきし新作UPしてねぇんでやんの<最低)、日記・エッセイだってぽつりぽつりの雨だれ更新ならぬ「カラ梅雨」更新だしぃ〜。

 こんな状態で「皆様方に少しでも楽しんでいただけるよう努力」なんてよー言うたな一体どの口がヌカしとんじゃいどの口がっ!!(>自分)



 なので。
 先日から思わせぶりな予告もどきだけでUPの気配すら見えなかった例の「藤蔭先生in2006」のオリジナル、ほんのサワリ程度ですがご披露させていただくことに致しました。
 ただコレ、作品紹介にもあるとおり、マジとんでもなく暗くて救いようのない話なんですよねぇ…。三周年記念日なんておめでたい日にはどー考えても合わねぇっちゅーか何ちゅーか。
 でもそれをあえてやっちゃう脈絡のなさと非常識がこのサイトのウリですし、こーゆー日に暗い話をUPするってぇのもサイトの未来を暗示しているようで結構いいかも♪(よくねーよ>自分)

 願わくば、皆様方におかれましては「ま、サイトがサイトだし」とか「ま〜た管理人の頭のネジが二、三本吹っ飛びやがったか」とか思し召して(あきらめて?<笑)、生ヌルい目で嘲笑と共に見守ってやっていただければ望外の幸せでございますです…。



 皆しゃま、今日のよき日にまたまたウチの飼い主がアホなことをしでかちまちてごめんちゃいでち。でもあのオバサンはオバサンなりに、皆しゃま方にはホントのホントに感謝ちてるんでちよ。
 もちろんしょれはボクも同じでち。いつも遊びにきて下さって、ボクともいっぱい遊んで下さって心の底からありがとうございますでち〜vv これからもたくしゃん遊んでちょうだいねっ! ボクはいつでも尻尾振り全開でお待ちしてますでちよ〜。

 …あとね、オバサンが言ってた「暗いお話」ね、実はボクも出演ちてるんでち。…いえしょの、だからって別にどうってことないんでちけど、やっぱり一言お知らせちたくなっちゃったの…えへ♪(<最近自分の出演作をさりげなく宣伝することを覚えた案内人)



2006.06.22.(木)      ○十の手習い

 以前「聖母たちの謀略」で藤蔭先生が和服―着物を着ている場面を書いたが、何を隠そう管理人も結構着物が好きである。だって着物ってばさー、短足寸胴なで肩っちゅーアタシの体型三重苦を見事に隠してくれるんだもん。これはやはり、自分をより美しく見せたいという女の知恵、あるいは本能であろうか(違うって>自分)。

 でもって、着付けもある程度は自分でできたりするんだけど、たった一つ、管理人の着付けには致命的な欠陥があるのだった。
 それすなわち、帯が結べないこと。だから自分で着付けた場合伊達締め締めた段階で完全フリーズ、どんなに頑張っても帯だけは実母に締めてもらうしかなく、ついでにそのとき「何よこの衿の合わせ方はっ! 背縫いの線だって背筋からずれてるじゃない! あーもう最初から全部やり直しっ!!」などと怒鳴られどつかれ振り出しに戻って最終的には全部着付けてもらう羽目になるのが「お約束」。それがいつの頃からかどうにもめんどくさくなり、気がつけばほとんど着物なんぞ着なくなってしまった今日この頃なのである。

 しかしこれではいい年こいた大和民族一応♀としてあまりにこっ恥ずかしく情けない。…てなわけでもう一度基礎の基礎から着付けの練習をしてみようと決心した管理人、「まずは着付けの基本、浴衣からっ♪」と早速箪笥の奥から中学二年の家庭科で縫わされた浴衣(オイコラ何でそんなモンがいまだに箪笥の中入ってんだよそんなだからお前の居住空間は万年ゴミ溜め状態なんだぞ>自分)と半幅帯を引っ張り出してきたのであった。

 そして…。

 久し振りにもかかわらず、浴衣自体は何とかそれなりに着られました。着付けの本と首っ引きで格闘した結果、帯もどーにかこーにか締められるようになりました。しかしどうやらコレ縫った当時の管理人、いまだ成長期の真っ只中であったらしく…。
 確かあんときゃ身丈裄丈その他モロモロの採寸もきちんとやって、とにもかくにも寸法だけはジャストフィットのぴったりサイズに仕上がったはずなのに…。

 今、何故にこんなにつんつるてん

 …てか、おはしょりがほとんどないんですケド、コレ。
 管理人の記憶に間違いがなければ、確か着物のおはしょりちゅーヤツは着付け完了時点で帯下線から5〜7センチ前後下まで出るべきモノのはず。なのにこんなふうに帯下わずか2〜3センチってなぁやっぱ「つんつるてん」としか言いようがナイ。

 そーかそーか。オバサンの成長期、どーやら中学卒業くらいまでは続いてたワケね。自分では結構早めに成長止まっちゃった方だと思ってたけど、やっぱ中二の頃よりはいくらか背が高くなってたちゅーことか。よかったよかった♪(そーゆー問題か?>自分)
 ま、多少つんつるてんだろうが何だろうが家の中で着てる分には問題なかろうし、今年の夏は当分コレで浴衣の着付け練習しよっとvv
 秋になったら袷の着物、そして袋帯のお太鼓に挑戦だ〜い。頑張るぞっ!!!



 …と、ここで話は変わりますが。
 ここしばらくSSの更新が滞っててすみません…(泣きながら土下座)。一応書いてはいるんです、先に掲示板で予告した「2006年現在の」藤蔭先生主演のオリジナル…。ただこれがどーにもこーにも進まなくて、一日数行の亀さんWalk状態…(滝涙)。
 ああ、やっぱ藤蔭先生ってば素直に作者の言うこと聞いてくれるようなタマじゃなかったのね。プロットだの伏線だの完全無視、ひたすら強引ぐ・マイウェイでやりたい放題やって下さっちゃって…一体何度書き直したら仕上がるのかしらこの話(うるさいわねっ! 自分の筆力のなさ棚に上げて人のせいにするんじゃないっての。そんなグチたれてるヒマがあったらさっさと続き書きなさい! さもなきゃ今すぐこの場で呪い殺してやるからねっ!!<藤蔭@マジギレ<コワい)

 …なんて具合に藤蔭先生にキョーハクされつつ、一日も早く皆様方にお目にかけられるよう誠心誠意努力しておりますのですみません、あともうしばらく待ってやって下さいますよう伏してお願い申し上げます…。



2006.06.12.(月)      明るい農村と禁断の壺

 管理人宅の庭には梅の木が三本生えている。しかし毎年を楽しんだ後は完全に放ったらかし、この季節になるとたわわに実るの方はただムダに熟して地面に落ちて、たま〜に気が向いたときに庭掃除する管理人の手によってゴミ箱へ直行、というのが例年の「お約束」なのだった。
 で、いくら何でもこれではあまりにもったいないと心を痛めていたらしい実母が例によってわんわん仲間のママたちに声をかけ、本日は朝も早よから「明るい農村」、お供のわんこちゃん及びウチの案内人がわんわんきゃんきゃん賑やかに駆けずり回る中せっせと梅取りに精出した結果、見事梅の実5〜6kgが収穫できたのである。
 あとは早速梅酒の漬け込み、母と娘が手分けして梅の実洗って水気を拭いて、氷砂糖と交互に瓶の中に詰め、最後の仕上げに果実酒用ホワイトリカーをどぼどぼどぼ…ではい、終わり。大体一ヵ月後から飲めるそうだが、梅の風味が程よく酒に移り、まろやかな味わいになるまでには六ヶ月ほどかかるという。ま、元々ウチは甘いモン嫌いの母娘だからして(<たとい酒であろうとも)、待ちきれずに飲んじゃうなんてこたぁまずあるめぇ。それより、漬けたはいいが来年の今頃になって「きゃぁぁぁぁっ! 忘れてたぁ〜っ!!」なんてことにならないよう気をつけなきゃねー♪ なんて笑っていた母と娘はふとあることを思い出し、何とも言えぬ複雑な表情で顔を見合わせたのであった。

 …それは、我が家の台所の食器棚、その最奥に鎮座ましましている「禁断の壺」…じゃなかったガラス瓶。かつて管理人の母方の祖母が漬けた梅酒様である。
 管理人の祖父母は酒にはあまり強くなく、まともに飲めるのは梅酒だけだった。特に祖父は祖母の漬けた梅酒が大好物だったので、毎年青梅が出回る頃になると(<当時ウチの庭には梅の木はなかった)祖母はせっせと梅酒の漬け込みに精を出し…その姿はまだほんのガキんちょだった管理人の目にもしっかと焼きついている。しかしやがてその祖父母も彼岸へと旅立ち、残されたのは一瓶の梅酒。以来管理人の両親はそれを「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの思い出」として大切に保存し、正月だの家族の誕生日だのといった「特別な日」だけにちびりちびりと口にしては祖父母の思い出をしんみりと語り合っていたのであった…。

 とまぁ、これだけなら「心温まるちょっといい話」ですむんだけんどもさ。

 さらに月日は流れ流れて、残された家族の中で唯一の甘党(っちゅーか、辛党甘党の両刀使い)だった父も他界し、我が家は完全辛党、甘いものなんて食べ物でも酒でもとんでもないわ料理にだってお砂糖や味醂なんか一切使わないわよ全て調理用日本酒で代用すりゃいーじゃないの何か文句ある!? 派の母と娘の二人きりになった。なので当然、飲む酒も梅酒よりゃビール、日本酒、焼酎ばっかになっちゃってねぇ…。

 気がつきゃ祖父母の二十七回忌もとっくに過ぎちゃってるんですけど(汗)。





 とはいえ何しろ元はアルコールだ、そう滅多に腐るモンじゃないだろうし、ワインとかブランデーとかウィスキーとかの中にゃ三十年モノとか五十年モノとか百年モノとかだってあるし、しかもそーゆーのってみんな軒並み超高級酒だったりするし…。
 だけど温度から湿度から事細かに調整された酒蔵で厳重に品質管理されつつ熟成を待つ銘酒と違って、ウチのはごく普通の一般庶民宅の台所の棚の奥で半ば忘れ去られていたも同然の梅酒だぞ。
 そりゃ確かに管理人は飲んだくれ、「酒の一滴は血の一滴」がモットーではあるけれど、やはり三十年近い歳月の重みというヤツはヘタな背後霊よりもずっしりと骨身に食い込んできたり…するんだよなー。
 しかしこいつはまぎれもない祖父母の形見、粗末に扱ったらバチが当たるような、祟られるような…。



 かくて長い長い逡巡ののち、管理人は再び食器棚の戸を閉めたのであった。
 いつか「禁断の壺」の封印が解かれる日が来るのかどうか、それは神のみぞ知ることである…。



 あーあ、またウチのオバサンが何が何だかワケわかんないことで悩んでまちね。食器棚の奥に三十年放置されていた梅酒が何でちか。「もったいないおばけ」の超強力パワーに守られたママの胃袋がしょんなもんでどーにかなるなんてコト、たとい地球が破滅ちたってあるわけないじゃないのっ。ちぇっかくお祖母ちゃんが作っていってくれた大事な大事な梅酒、ちゃんと残さず飲み干さなきゃ、バチが当たる前にボクが渾身の力を込めてしょの口に喰いつきまちよっ!!(<…と言いつつそっと仏壇に向かって両前脚を合わせる案内人<飼い主よりよっぽど孝行モンだぞコイツ<笑)



2006.06.05.(月)      飼い主の誤算

 世のお犬サマ族の大多数がそうであるように、案内人もボール遊びが大のお気に入り。管理人が投げたボールを全速力で追いかけたり、はたまた自分であっちゃこっちゃに転がしたりと本当にご機嫌よく遊んでくれやがります。
 そんな彼の不満は転がったボールがいつしか必ず静止してしまうこと。勢いよく転がっているうちは本当に嬉しげに追っかけまわすくせに、止まったが最後一瞬にして不機嫌MAX、鼻にしわ寄せてすさまじい剣幕で吠えかかってうるせーのなんの。しかしまぁ、どんなに案内人が怒ろうが吠えようが、所詮はただの犬用おもちゃ、種も仕掛けもないゴムボールに永久運動求めたって物理法則上不可能だし、だからと言ってワン公に万有引力だの摩擦係数だの慣性の法則だのの説明したってわかるわけないし。
 てなわけで、こーゆー時の管理人はひたすら忍の一字でワン公が吠え疲れるのを待つか、ワン公が飽きるまでひたすらボールを投げ続けるかのどっちかしかできなかったんですけどさ。
 ある日出かけたデパートのペットショップで素晴らしいおもちゃを発見♪ それすなわち電池モーターで勝手にどこまでも転がってってくれるボール!! おお、これこそアタシ(…とワン公)が求めていたものっ! …と管理人が大喜びで購入したのは言うまでもない。

 そして帰宅後早速包みを開けて説明書を取り出してみれば「本製品はプラスチック製ですので破損すると思わぬ怪我をする恐れがあります。愛犬の性格をよく見極めた上、必ず飼い主の目の届くところで遊ばせて下さい」「噛む力の強い犬には与えないで下さい」などなどの注意書。あら…やっぱ電動式だけあって結構難しいのねコレ。そーいやウチのワン公もよくおもちゃ咥えてぶんぶん振り回してるけど…だいじょぶだろか? 
 だがせっかく買ってきたものを使わないのももったいないし、とにかく乾電池をセット、案内人の前に置いてスイッチオン! したらまぁこれが見事に大当たり、案ずるより生むが易し(喜びの舞っ)vv ころころころころ部屋中転がりまわるボールにすっかり夢中になったワン公、嬉々として追っかけ回すわ興奮して吠えるわ前脚でつつき回すわ、そりゃもう大騒ぎしてくれましたがボールにかじりつくことだけは一切せず…そーいやコイツってば確か筋金入りの内弁慶の弱虫坊主だったっけ。考えてみりゃそんなヤツが生まれて初めて見た「一人で勝手に動く正体不明のボール」なんぞに食いつく甲斐性など持ってるわきゃないもんね〜♪ とお遊び開始後わずか五分で飼い主の不安は雲散霧消、以後はすっかり舞い上がった犬をよそ目にTVなど観つつ、こっちはこっちですっかりくつろいでいたのですが…。

 さらにしばらくすぎた頃、管理人はふと新たな不安をおぼえたのであった。
(…どーでもいーけどコイツ、さっきから全然テンション落ちてねぇよなー…そろそろ遊び始めて二十分、いつもならいーかげんくたびれてそのへんに寝っ転がる頃なのに…)
 ましてこの日はお天気もよく、窓から差し込む陽光のおかげで室内温度は上がりまくり状態だったから余計心配になってくる。そこでやおら席を立ち、ワン公が遊んでいるリビングに戻った飼い主が見たものは…っ!
 ガラス窓越しとはいえ直射日光モロ受け、舌丸出しでぜーぜーはーはー息切らしながらそれでもとどまることを知らぬ勢いでボールを追っかけ、部屋中駆けずり回るワン公の姿。しかもその目はしっかり据わってるわ耳はびんびんにつっぱらかってるわ出した舌さえつっぱらかって先端が上に巻き上がってるぅぅぅっ…とくりゃこりゃもう完全な興奮状態ハイ状態、トリップ状態もいいとこじゃないかああぁぁぁっ!!
(ヤベぇっ!!)
 瞬時にして真っ青になった飼い主、そりゃもう慌ててワン公からボールを取り上げましたともっ。
 …が。
 したらワン公、今度は「どうしてボクのおもちゃを取っちゃうんだぁぁぁぁぁっ!!」と大激怒、飼い主に向かってがうがうわんわんきゃんきゃんきゃん…あーうるせぇ。仕方なく実母とのコンビネーションプレイでようやく件のボールを押入れに隠したところ、その前で座り込みなんざしやがって「くぅぅ〜ん、きゃふぅぅぅ〜ん、ひぃ〜んひぃ〜ん」世にも哀れな声でおねだり。…結局飼い主側が五分で音を上げ、しっかりスイッチ切ってただのボールと化したそれを再び案内人の前に出してやったところでようやく案内人の気も済んだらしく(それでもしばらくは突然動かなくなっちゃったボールをあれこれいじり回しておりましたが<苦笑)、やがてその場に倒れこむかのようにぐっすりお休みあそばしやがり、飼い主もまたその場にへたへたと座り込んでしまったのでございました。

 いやしかし、たかがボール一個でこんな大騒ぎになるとは…。





 管理人、「せがまれてTVゲームを買ってやった途端に子供がゲーム中毒の完全夜型人間になっちゃって朝も起きられず学校にも行かず注意すればキレて暴れるしああもう家庭崩壊の危機だわ一体どうすればいいの…と苦悩する親御さん」のお気持ちが骨身に沁みてよくわかりましたです…(ため息)。



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