おさななじみ おまけ


「…うらやましかったんだよなァ」
「…僕も」

 暖かな春の夜もすでにもうかなり更けてきた頃。ギルモア邸のテラスに置かれた瀟洒なテーブルセットに腰を落ち着け、缶ビールを酌み交わしていた青少年二人がそれぞれ独り言のようにつぶやいた。
「今の自分が孤独だってわけじゃねぇ。俺たちにだって仲間が…それも、長いことずっと一緒に闘い、文字通り生死をともにしてきたかけがえのねぇ仲間がいるんだしよ。この世にたった九人、同じ過去を背負い運命を共にしてきた絆の強さは、他のどんな連中にも負けたりなんかしねぇ。しかし…」
 四日前、街に買い物に出た際偶然松井警視に出会い、そのままなし崩し的に飲み屋に直行、挙句の果てにはベロベロの午前様でご帰還と相成り、フランソワーズにさんざん叱られたジェットが小さなため息をついた。
 一方こちらはつい昨日、例のごとくギルモア博士のお使いで石原医師を訪ねたところ、今日は家族が全員留守なので夕食につき合ってほしいと誘われ、そのままとことこ近所の定食屋へお供仕ってしまったジョーが、こくりと一口、ビールをすする。
「それでもあんなケンカなんて、僕たちにはとてもできないよね…」
「ああ。もっともケンカ自体がまるっきりないわけじゃなし、時にはお互いブチキレてかなり派手な立ち回りをやらかしたりもするが、何せ俺たちは体が体だ。万が一本気でやり合ったりしたら死人が出かねんってことはみんな嫌というほどわかってるんだろうよ。それに、俺ら仲間は出会ったときからどいつもこいつも立派な『大人』ばかりだったしさ、あんなガキのじゃれ合いみてーなこたぁ、バカらしくってやってられねぇんじゃねぇの?」 
 テラスの向こうには真っ白な砂浜と鮮やかな青い海が広がっているはず。だが今はどちらも闇色に塗りつぶされているばかり。春の夜特有の、霞がかかったような濃い灰色の空には水面をきらめかせる星の光も、白砂を銀色に染め上げる月の光も見ることはできなかった。
「だから…うらやましかった。子供の頃そのままに言いたい放題言い合って、遠慮会釈なしに取っ組み合って。そのくせお互い何でも解ってて、何かあったときには一番頼れる相手だって認め合ってる…もう、とうに大人になってしまっているのにそんな関係を続けていられるあの二人が…本当に…ものすごくうらやましかった…」
「ま、それが『おさななじみ』ってやつの強みなのかもな。…残念ながらこればっかりは、俺たち―いや、少なくとも俺にとってはもう永遠に縁のないシロモノだ」
 そこでふと、ジェットが缶ビール片手に席を立った。そしてそのままテラスにもたれ、手にした缶をちょっと脇に置いて。
「俺たち仲間がばらばらになっちまうなんてこたぁ、多分一生あり得ねぇ。仲間以外のプライベートな『ダチ』だっていないわけじゃなし―中にはそれこそ石原先生や松井さんみてぇに、俺たちの『事情』も承知の上で親しくしてくれる人たちさえいる。だが、ガキの頃を一緒に過ごした連中にだけは多分…もう二度と会えねえだろうなァ。奴らと別れてからの俺は、あまりに変わり果て過ぎちまった…」
 背後でジョーが目を伏せ、かすかにうなづいたのに気づいているのかどうか。わずかな沈黙の後、ジェットの周囲がほんの少し、明るくなった。どうやら、ポケットから取り出した煙草に火をつけたらしい。
「もっとも俺の場合、必ずしも『それ』だけが理由じゃねえけどさ」
 言葉とともに、ゆっくりと広がっていく白い煙。
「昔一緒に育ったヤツの半分は大人になる前に死んじまった。事故やら病気やら…犯罪に巻き込まれて殺されたりしてな。残ったうちの半分は裏社会の住人、のこのこ訪ねて行ったところで、ポリの手先と間違われてナイフか銃弾の一撃喰らうのがオチよ。さらに残ったその半分は住所不定のホームレス、居所はおろかその生死だってわかりゃしねぇ。でもってまたまた残りの半分、残りの半分…いくら繰り返したところでみんな同じ、でもって、最後の最後に残った一人か二人は…」
 そこでまたかすかに周囲が明るくなる。胸一杯に煙を吸い込んだジェットが、次の瞬間にはその同じ煙をまるで吐き捨てるように周囲に撒き散らす。
「あの街じゃ考えられねぇような幸運、まっとうな暮らしってやつを手に入れて故郷を捨てた。多分もう、二度と戻ってこねぇだろう。でもって俺も…そう思われてるのかもしれねぇな。あそこに残ってる連中のうち、一人でも俺のことを覚えているヤツがいればの話だけどよ」
「それは…! 僕だって同じだよ!」
 つい大声を出してしまったジョーが慌てて口を塞ぐ。しかしジェットの背中が特に不快な様子もみせていなかったのにほっと息をつき、おずおずとまた、話し出す。
「施設で一緒だった仲間のうち、養子に貰われて行った子のほとんどは音信不通だ。大抵の場合養父母の…そしてごくまれには本人の希望で、もう二度とあの頃の仲間には会わせたくない、会いたくないって言ってくることが結構多かったからね。そうでない仲間たちだって施設を出れば散り散りばらばら…みんな、生活していくのに手一杯で…昔の思い出になんて浸ってる暇もなくて…。『いつかまた必ず会える』なんて思ってたって、引越しだの転職だのを余儀なくされることもある。で、それを何度か繰り返してるうちに…結局誰とも連絡を取れなくなってしまうんだ…」
 いつしかジョーもジェットと並んでテラスにもたれていた。相変わらずの闇色の空間の遠くから、これだけは昼間と変わらぬ波の音が高く低く―響いてくる。
「でもよ、お前にゃヤスがいるじゃんか。今だってほれ、あのコンビニに行きゃ店中総出、ときには可愛げのないガキどもやクソ生意気なワン公つきで歓迎してくれるだろうがよ」
 ちょっとばかり意地悪にも思える台詞は、ジェットの妬みだったのかもしれず、思い遣りだったのかもしれず。でもジョーにはどちらでもよかった。
 ただ―話したいだけ。聞いて―ほしいだけ。自分と同じ運命を生きる仲間、あの濃灰色の夜空の彼方から自分をこの地上に引き戻してくれた相手、そして―。
 多分今、自分と同じ思いを痛いほど感じているだろう赤毛のアメリカ人に。
「あ…うん。確かにそうだね。ヤスがいるってだけで、僕は君よりずっとずっと恵まれていると思うよ。…でも、ね…」
 一瞬、コンビニの制服姿で笑いかけてくるヤスの顔が脳裏をよぎったけれど。
「ヤスと僕は、石原先生と松井さんみたいにはなれないよ。だって…」
 言いかけたとき、不意にのどの奥からこみ上げてきた何か。苦くてしょっぱい味のするそれをジョーは無理矢理飲み下し、かすれた声を絞り出す。
「僕はもう…ヤスと本気でケンカなんてできないもの」
 再び煙草をくわえたジェットの青い目だけがちらりとジョーを見て―そして、かすかに細められた。
「口ゲンカだけなら大丈夫かな、って思うときもある。だけど、もしそれがエスカレートして取っ組み合いになっちゃったら? 頭に血が昇って本気になって、手加減なしで殴りつけちゃったら? 生身のヤスを…サイボーグの…僕、が…」
 問いかけへの返事はない。ジョーも、期待などしていない。
「それを思うと怖くて怖くて…だから時々、僕はヤスに嘘をつく。本心とは違っていてもヤスの意見にうなづき、そうだそうだと話を合わせる。今のところはどれもみな、ほんの些細なことだけどね。でもいつか、ケンカを避けるためにもっと大きな嘘をつくようになるかもしれない。…こんなんじゃ、あの二人のようになるなんてとても無理だよ。それに…」
 夜の海。暗黒の波が沖から浜辺へと打ち寄せる音が聞こえる。
「いつかまた、僕はヤスの前から姿を消さなくちゃならなくなるだろう。僕だって…自分の正体をヤスに知られたくなんかないもの」
 加齢による外見の変化には個人差がある。だがそれを理由にしても、十五年後、二十年後のジョーとヤスとは、とても同年代には見えなくなっているに違いない。
 ジェットの口元のあたりが、またほんのりと明るくなった。
「…そんなん、今から決めつけることもねぇだろうによ」
 続いて聞こえてきた返事はそっけなく無愛想だったが、真実だった。―ヤスがジョーの『事情』を知っても、今までどおり友達でいてくれる可能性はゼロではない。ただ、それが限りなくゼロに近いこともまた確かなのだ。
 もっとはっきり保証してほしい気持ちはもちろんある。「ヤスなら絶対大丈夫だから心配するな」とでも言ってもらえれば、どれほど安心できることか。でも、落ち着いてよく考えてみれば、そんな耳ざわりのいい言葉なんてただの気休めにしか過ぎなくて。
 だから。
「そう…だ…ね」
 うなづいたジョーの口元は、こわばりながらもほんの少し―ほころんでいた。

 それからしばらくは、どちらも黙ったままだった。並んでテラスにもたれたまま、好き勝手にビールを飲んで―時折ジェットが煙草をふかす。久しぶりに吸いたい気分になったジョーも、一本貰って火をつけた。そしてそれが、かなり短くなった頃。
「そー言えば、よ」
 突然言われてジョーは振り向く。しかしジェットは相変わらず、遠い夜の海を見つめているだけだ。
「俺たち仲間が出会ったのは確かに大人になってからだが―未成年だったり大人になったばっかだったり―どっちかってーとガキに近い奴がまるっきしいなかったわけじゃない。例えば、俺とかお前とか」
「え? あ、うん、そりゃまぁ…」
 何を今さら、とジョーはかすかに眉をひそめる。
「だったらよ、俺らはぎりぎりセーフで『ガキの頃』に出会ったことにならねーか?」
「ん…まぁ、そう言えないことも…ないかも」
 だが、どちらかというとそれは単なる法律上の問題にしか過ぎないというか、かなり強引なこじつけというか…。
「だったら俺らも『おさななじみ』って言えないこたねぇんじゃねえか? …もっとも、つき合いの長さじゃまだまだ石原先生と松井さんにゃ及ばねぇけどよ」
「ジェット?」
 ますます怪訝な顔になったジョーに、ジェットが振り向く。
「まぁ聞けよ。いくら俺たちだって、生きてりゃいずれはあの人たちくらいの年齢、外見になる。そのときには多分、つき合いの長さもあの二人に負けないくらいになってるはずだぜ」
 にやりと笑ったその手のひらが、きょとんとしている栗色の髪をくしゃくしゃにかき回す。
「…だからさあ! ガキの頃を一緒に過ごした『本物の』おさななじみってわけにゃいかねぇだろうけどよ、俺とお前だって…出会った時期は少々遅くても、年月重ねりゃあんなふうになれるかもしれねぇってこと。少なくとも、そう思ってた方が人生楽しいんじゃねーの?」
 つい今しがたまでの鬱屈はどこへやら、その口調は完全にいつもの陽気なアメリカ人のそれに戻っていた。
「いつになるかはわからんが、お互い三十代になったらうんと派手でバカで、救いようのねぇくらいガキっぽいケンカしようぜ! 仲間たちはもちろん、本家本元のあの二人―石原先生や松井さんまで呆れ果てるくらいのな♪ …あ、でも、ヤスのことも大事にしろよ。何てったってお前らはホントのおさななじみなんだ、もしもこのまま一生ダチのまんまでいられりゃそれ以上のことはねぇんだからな!」
 その言葉に、ジョーが泣きそうな笑顔で大きくうなづいたのは言うまでもない。



 そんなこんなでようやく家の中に引き上げることにした二人が、手分けしてテーブルを片づけ始めたとき。
「…でも僕、三十代になったジェットなんて想像できないよ。やっぱ、かなりのオジサンになっちゃうのかなぁ…」
「へん、そんなの大きなお世話だ。お前だってその童顔じゃ、どうすっ転んでも完璧な『とっちゃん坊や』になるしか道はねぇくせによ」
「そっ、そんな…っ! そっちこそ余計なお世話だ! 僕だって、好き好んで童顔に生まれてきたわけじゃないんだからねっ!」
「けっ! 最初に『オジサン』なんてほざいたのはお前の方だろーに、よく言うぜ」
 そこで「ふん!」と口をとがらせ、そっぽを向き合った二人。だがしかし、すぐにまた顔を見合わせて。
「…うーむ。本来ならここで手が出るべきなのに、どーしてお互い口とがらせてそっぽ向いたりしちまうかな。くっそー、『おさななじみ道』ってのも中々奥が深いぜ」
「仕方がないよ。何せ僕たちはまだまだ駆け出しなんだし。『師匠』たちの域に達するにはこれからも…」
「精進、また精進ってか?」
 大きく笑い合った二人の頭上、暗黒の空が少しずつ、夜明けの明るさに染め上げられようとしていた。

〈(今度こそホントに)了〉
 


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