おさななじみ 上
何? ヒデとのつき合いがもうどれくらいになるかって?
うーん、ンなこた考えたこともねぇなぁ。物心ついてからこっち、いつでも一緒だったって記憶しかねぇや。
…ってか、元々アイツん家って医者だろう? だから俺ん家じゃ昔っから世話になっててさ。ああ、そりゃもう俺が生まれる前からだぜ。親父が足場からコケ落ちて腕折ったときも、お袋が風邪こじらせて肺炎寸前まで行っちまったときも、ジジイやババアが高血圧だの心臓発作だのでひっくり返ったときも、いつだって俺の家族はアイツの両親…太一先生や紀代先生に助けてもらってきたんだよ。
もちろんそりゃ俺や妹が生まれてからもおんなじこった。やれ俺が縁側から落っこって頭打っただ妹が扁桃腺腫らして高熱出しただ、そのたびごとにあそこに駆け込んで、ものの見事に治してもらってきたからさぁ、いまだにウチじゃ「石原医院」といやぁ神様同然の存在なんだ。
それに何つーても「ご近所様」だし、気がつきゃ幼稚園も小学校もみんな一緒だぁな。しかもアイツが何故か俺の後にばっかくっついてきやがる。ガキの頃にゃ何でだかわかんなくてよく首かしげてたモンだが、今考えりゃ思い当たるフシがないでもねぇ。
ほれ、ヒデの兄弟ってったらトシ―俊之しかいねぇだろう。ヤツにとっちゃ三つ違いの弟だ。ああ、別に珍しいことじゃねぇさ。三つ違いの兄弟姉妹なんざ日本中―いや、世界中ににゴロゴロしてらぁ。でもよ、弟や妹ってなぁ時として兄貴や姉貴のストレスになるってこともこれまた世界中にゴロゴロ転がってる事実なんだ。そりゃぁ、大人になってからのヒデとトシと俺は三人つるんでちょくちょく飲みに行ったり遊んだりしてるしさ、俊之ってヤツぁミョーに大人びてて気配りも行き届いてっから、もしかしたら今じゃアイツの方が俺たちよりもずっと、「精神年齢」ってヤツが上なのかもしんねぇ。だが、それでも俺たちがトシをいっちょ前の自分らの仲間って認めるようになったのはヤツが中学に入学した頃からでよ。それ以前…ガキの頃の三歳違いってなぁやっぱ大きいやな。―ま、俺ん家にも妹しかいねぇから似たようなモンだったが―ヒデにしてみりゃ、トシはいつまでたっても泣き虫の赤ん坊にしか見えなくて、遊び相手としても物足りなかったと思うぜぇ。おまけに何かありゃいつだって叱られるのは自分、「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい!」てなこともよく言われただろうしよ…そーゆーのってやっぱ、かなりしんどかったんじゃねぇか? だってその頃つーたらヒデだってまだまだガキ―ときたま寝小便こいてピィピィ泣いてた幼稚園児にしか過ぎなかったんだもんな。だから、さ。
もしかしたらヒデの野郎、自分も「兄貴」がほしかったのかも…なんて思うんだよ。で、たまたま家が近所で幼稚園も一緒だった俺を、まぁなんだ―そんなふうに見てたんじゃねぇかって。俺はヒデより一つ年上だし、自慢じゃねぇがその頃からガタイもでかくてケンカじゃ負け知らず、幼稚園を完全に仕切っていたからな。ガキ大将だぁ? そりゃま、言われてみりゃ確かにそのとおりだが…おい、そんなに笑うなよ。え? 今もそのまんまだと? あのなぁ、世の中にゃ心で思ってても口に出しちゃいけねぇことってのがあるんだぜ…って、人の話も聞かねぇでいつまでも、それも涙まで流して笑ってんじゃねぇっ! いーかげんにしねぇとさすがの俺でも怒るぞコラ!
ふん…よしよし。そーだよ。最初っからそーやって素直に謝りゃいーんだよ。おい、いくらお座敷席だからって、そんなわざとらしい土下座なんかしてるヒマがあったら酌の一つもやってみな。おー、そうそう。中々手つきがいいじゃねぇか。何、ヒデに習った? え、土下座もだぁ? かーっ、アイツぁどーしてそんなコトまでわざわざお前さんたちに教えるかね。面倒見がいいって言やいいんだろうが、ヤツの場合時々その内容がピンボケてるから困っちまうんだよなァ…。あぁ? でも感謝してる? へん、よく言うぜ。ポン酒の酌の仕方教えてもらったって、俺みてぇなヨッパライの機嫌取る以外にゃ何の役にもたたねぇだろーが。え? うん…そりゃまぁ…。確かにお前さんたちは普通の人間とは違うんだろうし…その能力も過去も、ついでに…だからこそ背負ってるモンの「重み」ってやつもな。万が一そんな特殊事情を無関係の誰か、それも毎日平和にのほほんと暮らしてる「普通人」とやらに知られたら―うーん、残念ながらあんまし楽しい結果は期待できねぇだろうなァ。だからつい、自分たち以外の人間に対して臆病になっちまうって気持ち―理解できるなんておこがましいこた言わねぇが、察するくらいなら…できるぜ。
でもよ、だったら初めてヒデに会ったときにゃ、お仲間全員さぞかしびっくらこいただろうなぁ。いくら拉致されそうなところを助けてもらったとはいえ、あんなにもあっさりとお前さんたちの友達になって、それ以後陰日向なく親身になってくれるヤツなんざ、そうそう滅多にいるわきゃねぇだろうしよ。え? 俺もだって? よせやい、そんな…。正直言うとこっちはよ―職業柄もあるけどさ―アイツほど無条件かつ純粋にお前さんたちの存在を受け入れたわけじゃねぇんだ。お仲間から聞いてねぇか? 何てったって俺ゃ、最初はその件についてマジでヒデと大喧嘩してたくらいだからな。もちろん今は本当に申し訳ねぇと思ってる。すまん! って、何? 頭上げろだぁ? おい、お前だってたった今同じことしただろうが。俺が土下座してどこが悪いんでぇ! …って、また酌かよ。これ以上人をへべれけにしてどーしよーってんだい、この不良青少年がっ!
うー…でもおかげで大分酒が回ってきたぞ。なぁ俺、どこまで話した? お、そーだそーだ。所詮俺も、初めのうちはその「無関係な誰か、平和な普通人」の一人に過ぎなかったってトコまでだったよな。
でもよ、ヒデは違うぜ。いやホント、これだけはマジ命かけて保証すらぁ。アイツの頭ン中にゃ、「普通」とか「特殊」とかなんてぇセコいこだわりはねぇんだよ。大体さ、その「普通」ってなぁ具体的にゃどーゆーこったか説明できるんかい、お前さん。…へっへっへっ、やっぱ黙っちまったな。
あのよ、いくら大仰に騒ぎ立てたところで結局「普通」だの何だのてぇなぁ、てめぇの知ってるごくわずかな世界、このだだっ広い地球上から見れば鼻クソよりもちっぽけな「世間様」限定の「お約束」にしか過ぎねぇのさ。なのに、そんなちゃちなシロモノがこの世の全ての人間に当てはまるなんて思い込むことほどおっかねぇこたぁねぇ。ヒデの野郎はよ、その怖さを骨身に沁みて知ってるんだ。…てか、ヤツ自身が一度それでこっぴどく痛い目見てるからよ。…おっといけねぇ、口が滑った。おい忘れろ! 今の一言だけは今すぐ忘れろっ!!
いや、だからこればっかりは軽々しく話すわけにゃいかねぇの! いくら土下座したってだめなモンはだめだってば! あーっ、もう、しつこいナァ…。
仕方ねぇ、だったら訊くがなお前さん。仮にこの話を聞いたとしても、そのこたぁ決してヒデには喋らねぇって約束できるか? でなきゃこれ以上話はできねぇ。絶対にだ。
ああ、もちろんアイツは何も悪いことなんざしてねぇさ。でも、それでもこれはヒデにとっちゃ悔やんでも悔やみきれねぇ心の傷―いわゆる「トラウマ」ってヤツなんだからよ。
…何? おーし、言ったな。嘘じゃねぇな。「男に二言はない」、「綸言玉の如し」、「男子の一言金鉄の如し」、そんな言葉全てを守れるってお前さん、約束するんだな!!
…は? 意味がわからねぇ? 情けねぇ青少年だぜ、全く。あー、もういいもういい。いちいち説明できるほど俺だって日本語に詳しいわけじゃねぇからよ。ただ、お前さんの覚悟だけは信じていいんだな? よし。だったら話してやろう。
…ありゃぁ、ヒデが小学校四年、いや五年のときだったかなぁ…。
お前さんたちも知ってのとおり、今のヒデの家族と言やぁ太一先生と紀代先生、それから俊之だ。ただその頃にゃ他にもう二人家族がいてさ。太一先生の両親、庄助先生とウメ先生―もっとも俺らガキどもは「お爺ちゃん先生」「お婆ちゃん先生」って呼んでたがね。お爺ちゃん…じゃなかった、庄助先生は内科医兼小児科医、ウメ先生は医者じゃなくて看護婦―それとも今じゃ看護士ってか?―だったんだが、何せこの道五十年の超ベテラン、知識も手際も並の医者にゃ引けをとらねーやな。だから、ウメ「先生」って…石原医院の患者はみんなそう呼んでたんだよ。
ああ、そりゃもうみんないい先生でさ。それに家族の仲もすごくよかった。特にウメ先生と紀代先生は仲良しで、ありゃとても姑と嫁には見えねぇって近所の評判になってたんだぜ。何でも、ウメ先生も本当は看護士じゃなくて医者になりたかったらしいんだが、先生の若い頃つーたら明治…今よりもっと男尊女卑の時代だったろ? 「女が医者になってどうする」とか何とか親に反対されて、看護士になるしかなかったんだと。だからウメ先生は、女であって同時に医者でもある紀代先生のことをできる限り応援してやりたかったんだと思う。紀代先生だって、太一先生と結婚してからこっち、仕事でも家事でもずっとウメ先生に助けてもらったことにすっげぇ感謝してて、その人柄も医療従事者としての力量も大いに尊敬してた。そりゃ庄助先生と太一先生だって同じだったし、ま、ある意味「理想的な家族」ってヤツだったんだなァ…。
もちろん、そんな家族でも時にはケンカしたりするさ。でもよ、一つ家に大人が四人もいりゃ、何かコトが起こったときには誰かしらが仲裁に入るわな。夫婦ゲンカだったら親あるいは子供が、親子ゲンカならそれぞれの連れ合い同士がタッグ組んでなだめたりすかしたり愚痴聞いてやったり。ヒデとトシ、兄弟ゲンカの時にゃもっと簡単だ。太一先生か庄助先生、父ちゃんか祖父ちゃんのゲンコツ一発で瞬時に解決よ。…だからさぁ。
ヒデにとっちゃ、家族のケンカがこじれにこじれてついには互いに憎み合うようになっちまうなんて到底信じられないことだったんだ…。
ここで話は変わるが、当時ヒデが一番仲良しだった同級生にヨシオってヤツがいてよ。これがまたいいヤツでな。明るくて人懐こくてスポーツ万能、三角野球とかドッジボールとかロクムシとかじゃいつだってみんなのヒーローだった。…んぁ? 何お前、ロクムシ知らねーの!? うー…そんじゃいつか、ヒデと俺との二人がかりでじっくり教えてやらぁ。そん時にゃお仲間全員、きっちりしっかり集合かけとけよ! ありゃ、ある程度大人数でねぇと面白くねぇ遊びだからな…って、いけねぇいけねぇ。今話してたのはロクムシじゃねぇ、ヨシオのことだったよな。うん、とにもかくにもヤツはみんなの人気者、遊びの世界のスーパースターだった。なのにあるときからふと、そんなヨシオの元気がなくなっちまってよ。学校の休み時間にもただ自分の机でぼんやりしてるだけ、放課後遊んでたってどっか上の空で、しまいにゃ仲間の誘いさえ断るようになっちまった。ヒデの野郎、そりゃぁ心配してなぁ。あの手この手でヨシオの気を引き立て、元に戻そうと頑張ったんだ。だけど結果はいつも空振り、さすがのヒデも半分諦めかけたときになってようやく、ヨシオが打ち明けたんだと。「最近、両親がケンカばかりしてて…離婚しそうだ」ってな。
それ聞いたヒデがどんなにぶったまげたかは…わかるだろ? 何せヤツん家はそーゆー家族だ、両親のケンカがそんなにこじれた挙句の果てに離婚だなんざ、多分理解の限度を超えてたに違いねぇ。でも、だからってそのままヨシオを放っとくなんざできるヤツじゃねぇしな、今度は何とかヨシオの両親を仲直りさせられねぇかって必死になったんだ。で、思いついたのが自分家で家族ゲンカが起こったときの対処法よ。そりゃもう、思い出せる限りの親子ゲンカ、夫婦ゲンカ、兄弟ゲンカのありとあらゆる顛末、仲直りするまでのいきさつを事細かにノートに書いてヨシオに渡したのさ。「このとおりにやれば絶対、誰だって仲直りできる」って胸叩いてな。何てったってヤツん家じゃ、それで全てのケンカが無事解決してきたんだ、自信満々になったって当然だよな。ヨシオのやつもすげぇ喜んでさ、早速試してみるって、大事にそのノート抱えて家に駆け戻ってよ…。
俺はそんな二人をただ黙って見ていることしかできなかった。正直な話、ヨシオん家はもうかなりヤベェんじゃねぇかって気がしてたし―そんな噂ってなぁ、ご町内の風の便りにガキの耳にも何となく入ってきちまいやがる。…そーゆートコなんだ、下町ってなぁ―おまけに俺の方はヒデより余計な知恵がついてたってか何てぇか、家族が「そんなふう」になっちまうこともありえないこっちゃねぇって、何となくは察していたしよ。
ん? ああ、ウチだって基本的にはヒデん家と同じだったぜ。ただ、俺ん家の連中はどいつもこいつも血の気が多くて、とてもじゃねぇがあちら様みてぇにお行儀のいい家族じゃねえからな。何せ親父は熱血大工で口も荒けりゃ手も早え。片やお袋も三代続いた江戸っ子で、我慢強いこたぁ我慢強いが堪忍袋の緒がキレたが最後、ご家庭内大乱闘よ。俺だって、ゲンコツなんざ喰らったら、親相手だろうが何だろうが三倍返しでやり返すのが礼儀だと思ってたガキだったしな。唯一の例外は妹だが、なぁに、アイツだってあの親父とお袋のの血ィひいてんだ、もしものときにゃどんなになるかわかったモンじゃねぇ。おまけにウチのジジイとババアは俺が小二になるまでに両方あの世に逝っちまってて、他に仲裁してくれる大人もいなかったからな。夫婦ゲンカのとばっちりで脳天にヤカンの直撃喰らったときとか、親子ゲンカの果てに襖ぶち抜きで廊下に蹴り飛ばされたときにゃ、マジ親に対して「殺意」抱いたぜぇ。…もっともそんなのほんの一時限り、一晩寝て起きりゃきれいさっぱり忘れちまってたけどさ。でもな…でもなもし、「ソレ」が毎日続いてたらどうよ? 「一晩寝りゃきれいさっぱり」どころか毎日ケンカ続きで、互いの心に鬱憤だの不満だのが少しずつたまっていっちまったりしたら…でもってそれが我慢の限界を超えちまったりしたら、いくら家族でも―夫婦でも親子でも兄弟でも―一緒に暮らすことなんかできなくなっちまうんじゃねぇかって…おぼろげながらもわかってたんだよ、俺は。
でも、ンなことヒデやヨシオに言えるかい。何とか両親を仲直りさせようとして必死こいてるあの二人によ…。だから俺は黙って見てた。もしダメだとしても、ヤツらには気が済むまでやらせてやろうと思った。それとも―そんな生意気なガキでも心のどっかで信じてたのかもしれん。アイツらの努力が実って、ヨシオん家の両親が仲直りする可能性だって、百分の一―いや、千分の一でも万分の一でもあるかもしれねぇってさ。
でもなぁ…やっぱ、ダメだった。それから三か月もたたねぇうちにヨシオの親は離婚、ヨシオは母親と一緒にその実家―長野に行くからって転校することになっちまってよ。
最後の日の放課後、誰もいなくなっちまった校庭の片隅で、ヨシオは例のノートの中身をびりびりに引き裂いてヒデの足元に叩きつけ、涙声で「嘘つき!」って叫んで、そのまま走っていっちまった。…それが、ヒデとヨシオの別れだったのさ。
残されたヒデの後姿はいまだに忘れられねぇ。黙って突っ立って、破れたノートの切れっ端が風に飛んでいくのをいつまでもいつまでも…見てた。
俺ゃそんときも物陰に隠れてこっそり様子をうかがうしかなかったんだが、ヒデの野郎があんまりいつまでも動かねぇんで、そうっと声をかけてみたのよ。それでもヤツは振り向きもしねぇ。で、今度は前に回ってみたらさ…。
ヒデは泣いてた。声も出さず、肩を震わせることもなく―じっとつっ立ったまま涙と鼻水ボロボロ流して、くしゃくしゃの顔になって―泣いてた。
結局アイツは最後まで何も言わねぇまま、それからもヨシオのことは一切口にしてねぇんだけどよ、思うにあのとき本能的に…悟ったんじゃねぇかなぁ。今までごく当たり前だと思ってたこと―家族はみんな仲良しで友達も一杯、家も学校も楽しくて楽しくて仕方ないって毎日―が実は全然当たり前でも普通でもなくて、たまたまそんな境遇に生まれついた幸運…ってか偶然にしか過ぎねぇんだってさ。人間ってヤツぁ、百人いりゃ百通り、千人いりゃ千通りの境遇や過去、そして人生を背負ってる。当たり前とか普通とかなんてぇモンはこの世のどこにもあるわけねえ。それに気づかず、てめぇの世界や常識だけが絶対だと信じて突っ走ることがどんな結果を引き起こすかってことを…な。
以来ヒデはそんなセコくてみみっちいこだわりの全てを捨てた。この世の人間全ての真の姿を一切の色眼鏡抜きで真っ直ぐに確実に見極められるよう、そいつを取り巻くことども全部に、今度こそ―本当の意味で―誠実に対処できるよう、何年も何十年もかけて懸命に努力してきたんだ。その結果できあがったのが、あの「年がら年中春爛漫、何でもオッケー、何でもありの超お人よし」ってな若先生ならぬバカ先生よ。多分、今のヤツの許容範囲ときたらアリ地獄かブラックホール並だぜぇ。はは…そーいやお前さんの仲間にも一人、そんなお人よしがいたっけなぁ。
…ったく、そんな野郎のそばで、いつまでたっても面倒見なきゃならん俺こそホント、いい迷惑ってモンさ。お前さんだってそうだろが。…ほれ、もう一杯いけや。あー、いいいい、俺が許す。たまにはよ、超天然でバカで危なっかしいお人よしをダチに持っちまったモン同士、とことんまでグチたれ合って飲み明かすってのも悪かねぇだろ、オイ。
…ところでお前さん、どーして今さらそんなことをあらたまって訊いてきたんだい?