前略、道の上より 9


「おい、だからってどうしていきなりそんな話になるんだ?」

 それは、ジョーとジェットがコンビニでの用心棒兼バイトを始めてから四、五日たったある日のこと。
 昼食も済ませ、ギルモア邸のリビングでのんびりと読書にふけっていたアルベルトは、突然のことにただただ困惑するばかりであった。だがそれも無理はあるまい。深夜の仕事を終え、早朝ようやく帰宅して仮眠を取っていたはずの青少年どもがいきなり険しい顔でリビングに入ってきたかと思うや、自分の前に並んで直立不動、さらには腰を九〇度以上に曲げた最敬礼で用心棒の助っ人を頼んできたのだから。
「迷惑だってことは重々わかってるんだ、アルベルト…。でも、君にお願いするしかないんだよ!」
「頼む! 助けると思って手ェ貸してくれ、オッサン!」
 その必死な面持ちから察するに、よほどの事情があるのだろう。だが…。
「あのな、お前らの話…というより頼みってのはよくわかった。いざとなりゃ俺だって、協力するのにやぶさかじゃない。しかし肝心の理由をすっとばしていきなり頭を下げられても困る。とにかく、詳しい事情を話してみろ。引き受けるかどうかを決めるのはそれからだ。…いいな?」
 薄氷の瞳でぎろりと睨まれ、わずかにひるんだ青少年ども。だがアルベルトの主張は完璧な正論、二人で束になったところで到底言い返せるわけがない。
「あ…あの、実はね、アルベルト」
「お前さんたちがコンビニの用心棒兼バイトを始めたいきさつまでは俺も知ってる。話は、その先からでいい」
 意を決して話し出そうとした途端にびしりと先手を打たれ、ジョーが泣きそうな顔になる。が、「頑張れ」とばかりにジェットに背中を軽く叩かれ、もう一度―勇気の全てをかき集めて再びその口を開いた。
「実は…前にみんなにも話したあの子供たち…。あの子たちが今回の件で、完全に拗ねちゃったんだ…」



(こんな事件が起きちゃったからにはあの子供たちをこのままにちておくわけにはいかないんじゃないの?)
(さすがの俺たちもこれ以上あの子たちの件に目をつぶるわけにはいかないよ)
(今この状況であの子たちを本当に守るためにはどうすればいいのかは、わかっているはずだな)
 パピや今井、竹内両警官の忠告はもっともだった。だからあの夜、ヤスとジョー、そしてジェットは集まってきた子供たちに全ての事情を打ち明け、例の強盗犯どもや付近を騒がせている放火犯が逮捕されるまでは絶対にこのコンビニには近づかないよう―いや、夜中の外出そのものを控えるよう、誠心誠意説得したのだが。
「そんな、兄ィ! 水臭いよっ! だったら俺たちも手伝う! 兄ィを困らせる奴らなんか、俺たちみんなでギタギタのコテンパンにしてやるぜっ!」
 話を聞いたと同時に立ち上がって叫んだタケシに、他の子供たち―特に小学校高学年から中学生の男の子連中―が我も我もと呼応して、蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまったのだった。
「おい、ちょっと待てっ! …いや、もちろんお前らの気持ちは嬉しいんだけどよ…」
「でもこれは遊びじゃないんだ! 一歩間違えばどんなことになるかわからない―本当に、危ないんだよっ」
「大体てめぇら、身体張って店守るってのがどーゆーことだかわかってんのか?」
 ヤスやジョー、そしてジェットが声を張り上げても騒ぎは一向に収まらない。すっかり興奮してしまったた子供たちは、「何が何でも兄ィとこの店を守るぞぉ!」と声を合わせて叫ぶやら、拳を天に突き上げるやらと、限りなく盛り上がっていくばかりである。
 さすがの三人とて、この大騒ぎを収拾するなど並大抵のことではない。
(ヤス…)
(おい、一体どうすんだよ。こうなったら、あとは力ずくで押さえ込むしか…ない、ぜ…?)
 もはや打つ手なし、と不安げに自分を見つめる「ダチ」二人に、とうとうヤスも覚悟を決めたらしい。ジョーとジェットにかすかにうなづきかけ、一瞬、何とも言えぬ複雑な表情をその顔に浮かべたかと思うと。
「うるせぇ、黙れっ! てめぇの力もロクすっぽ知らねぇ奴らがガタガタ口ばっかで騒ぐんじゃねぇ!!」
 それは、ヤスと長いつき合いのジョーでさえ初めて耳にする―聞く者全てをたじろがせ、震え上がらせてしまうほどにドスの効いた―渾身の一喝だった。
 たちまち、あれほど騒いでいた子供たちがしんと静まり返る。しかし、タケシを始めとする何人かの少年たちだけはそれでもなお、不満げに口を尖らせたままで。
「な…何だよ兄ィ! 『口ばっか』って! 『てめぇの力』って! …もしかして、俺たちが信用できねぇってのかよ?」
「ガキだからって、バカにしてんのか!?」
「あんたらだって、俺たちよりたかが五つや六つ年上なだけだろうっ!?」
 今の一喝が相当効いたとみえて、さすがにそれまでの元気はないが、それでも口々にくってかかる少年たち。ヤスの目が、すい、と細くなった。
「…バカにしてるとかガキだとか、そんな問題じゃねぇ。何せコトがコトだ、はっきり言わせてもらうがな…」
 そこで、じろりと子供たち全員を見回して。
「おい。今、お前らの中に俺とサシでゴロまいて勝てる奴がいるか? 何だったら出血覚悟の大サービスでハンデもつけてやるぜ。エモノ持ってでも何ででも、素手の俺と一対一で戦って、勝てる自信のある奴ぁさっさと出て来い! 相手になってやらぁ!」
 そこで再び、子供たちを見回すヤス。だが、彼の言葉に応える者は誰一人として…いない。
「へん、どうだ。どんなに威勢のいいことわめいていても、実際はそんなもんだろが。…いいか、今回の件はな、お前らがそうやってビビってる俺、そればかりか俺以上に強いこのジョーやジェットでさえどうなっちまうかわからねぇ、大変な事態なんだ。そんな中にお前らがわきゃわきゃ紛れ込んだりしやがったら足手まといなんだよ!」
「足手まとい…?」
 消え入るようにつぶやいたタケシの頬が、真っ青になっていた。
「…それじゃ兄ィ、もしかして俺らのこと迷惑だって思ってたのか? 兄ィが…ここに来ていいって言ってくれたこと、俺らは…みんな…すごく嬉しかったのに…だから…少しでも恩返ししようと…思ったのに」
「違う!」
 ヤスの団栗眼が、真正面からタケシを見据えた。
「さっきも言ったろう。俺たちゃ決して、お前らがガキだからってバカにしてるわけじゃねぇ。迷惑だなんて、思ったこともねぇよ。…だがな、今のお前らが俺たちより―少なくともケンカにかけては弱いってなぁどーしよーもねぇ事実だろうが。いいか。ケンカに加勢するにも、強い奴と弱い奴にはそれぞれの『やり方』ってモンがあるんだよ。このジョーやジェットみてぇに腕っ節の強い奴ならそのままケンカに加わりゃいい。だが、腕に自信がねぇ場合は戦ってる奴の邪魔にならねぇよう安全な場所に避難して、全てのケリがつくのをそこでじっと待ってる、それだって立派な助っ人なんでぇ! …俺だって、最初から強かったわけじゃねぇぞ。お前らくらいの時にゃ、ケンカふっかけられるたびに逃げて、このジョーが一人で戦ってるってのに物陰でガタガタ震えてばっかで…」
「ヤス!」
 鋭く叫んだジョーがヤスの肩をつかみ、かすかに首を横に振ったのは「そんなことは言わなくていい」という合図。そして、今度は自分が子供たちの前に進み出て。
「昔…弱かったのはヤスだけじゃない、僕だってジェットだって、誰だってみんな、最初は弱かったんだよ! そんな僕たちが、君たちをバカにするわけないじゃないか! いつか君たちだって、僕たちと同じくらい…いや、もしかしたらそれ以上に強くなれるはずだよ。ただ、それにはまだ少し時間が必要だって、それだけのことなんだ。だからどうか…どうか今回だけは素直に言うことを聞いて…」
「もう、いいよ!」
 タケシの絶叫が、ジョーの言葉を断ち切る。いまだ青ざめたままの少年の目は、かすかに潤んでいるように見えた。
「兄ィがそういうつもりなら、俺たちはもう二度とここにこねぇ! それでいいんだろっ!」
 そしてそのままくるりと後ろを向き、握った拳で目のあたりをぐい、と擦るような仕草をしたあとで。
「おい、みんな行くぞ!」
 声をかければ、子供たち全員がのろのろと動き出す。そして、一足先に皆の輪から抜け、すたすたと歩き出したタケシの後を追い―気がついたときには揃って一目散にその場から駆け去ってしまっていた。
「あ…ねぇ! ちょっと待って!」
 慌てて引きとめようとしたジョーの肩を、今度はヤスがつかんで引き止める。
「…もう、いい。放っとけ、ジョー」
「だけどヤス!」
「あいつらだってバカじゃねぇ。俺たちの言葉全部は無理でも、今がとんでもなく危険な状況だってコトくらいはわかってくれたはずさ。だからもういい。これで、いいんだ…」
「でもこのままじゃ、あの子たち、ヤスのことを…」
 懸命に食い下がるジョーに、ヤスは淋しげに笑った。
「ま、それも仕方ねぇやな。…さ、ジョー、ジェット。戻るぜ。悪りぃけど、店の仕事もまだ覚えてほしいことがいっぱいあるしな」
 くるりと背を向けたヤスの肩は、ほんの少し、落ちていた。だが、ジョーとジェットにはそんなヤスにかける言葉すら見つからない。彼らにできることは、この店とヤスとを何が何でも守り抜くことだけだった。

 そしていよいよ、ジョーとジェットの「仕事」が本格的に始まった。原則として勤務は午後九時から午前五時までの八時間。コンビニの店員、ヤスのヘルプとしての仕事は二時間おきに交代するが、用心棒としての仕事に交代はない。ヘルプの仕事が休憩中でも控え室に待機して、店内の様子や不審な客の出入りに油断なく目を光らせる、そんな手筈になっていたのだが。
「ごめん、ヤス、ジェット。ちょっとの間だけ、外に出てきていい?」
 その夜一回目の交代時刻。ジェットとバトンタッチしてレジを離れたジョーの声に、レジ内の二人は同時に顔を上げる。
「ああ、構わねぇよ」
 あっさり承諾したヤスにひきかえ、こちらは少々怪訝な顔のジェット。
「構わねぇこた構わねぇが…どこ行くんだ、ジョー?」
「ん? 店の前。パピちゃんに、カイロ持ってってやろうと思ってさ。今日はほら…結構冷え込みきついし」
「おい、またかよお前…。あのワン公甘やかすのもいい加減にしろっての! 何てったってアイツは自前のご立派な毛皮着てるんだぜ!」
「いや、いくら毛皮着てても確かに今夜は寒みぃよ、ジェット。ジョー、カイロならそこの棚に並んでっから、いくらでも持ってってやってくれ。…ああそんな、金なんていいからよ!」
 指し示された棚からホッ○イロを二つほど取り出し、ポケットの中から小銭を出そうとしたジョーを、ヤスが慌てて押しとどめる。そんな二人の横で、ジェットはこっそり、大きなため息をついた。
(…やれやれ。「犬バカのダチ」が知らねぇうちに一人から二人に増えやがった)
 そんなジェットの心中など知る由もなく、パッケージから取り出したカイロをもみほぐしながら店の外に出たジョーは、周囲に異常がないことを確かめると、そのまま自動ドアの脇に積み上げられたダンボールの山の前に膝をついた。
「パピちゃん、カイロ持ってきたよ。寒かったろう」
 声をかければダンボールの隙間からぴょこんと突き出てきた小さな黒い鼻、そして…。
「あ…ジョーしゃん。お心遣い、畏れ入りますでち」
 響いてきたのはまぎれもない、あのチビ犬の舌っ足らずな声であった。
 店の前に積んであるダンボールを利用して作ったこの「即席見張所」は、ジョーたち三人(…ってか、ほとんどジョー一人で作ったといっても過言じゃないかも←お約束)の自信作である。
 パピの体がぴったり入るくらいの小ぶりのダンボール箱を本体とし、あとはそれを隠すように、さまざまなダンボール―まだ箱のまま無造作に積み上げられているもの、あるいはいつでも資源ゴミ回収に出せるよう、きちんとつぶして束ねられたもの―を立てかけ、ちょっとやそっとのことでは崩れたりしないよう、ガムテープでしっかり補強もした。もちろん、客や通行人にはただのダンボールの山としか見えないよう、外見も工夫してある。おまけに本体のダンボール箱はぴっちりとビニールシートでくるまれているから、少々の雨が降ってもパピが濡れて凍えることなどまずないだろう。ここまでくれば「即席」どころか立派な犬小屋である。
「カイロ…一応二つ持ってきたんだけどどうする? 両方入れる?」
「いえいえ、一つで充分でち。ダンボールの中ってね、意外とあったかいんでちよ」
 ダンボールの隙間からのぞいた小さな鼻だけがぴょこぴょこ動いて答えるさまは、何ともユーモラスで可愛らしい。ついつい口元をほころばせたジョーは、あらかじめ準備しておいたタオルに包んだカイロをそうっとその隙間に押し込んだ。…と、そのとき。
「誰だっ!」
 はじかれたように振り向いた体が、反射的に戦闘体勢を取る。たった今、背後にうごめく複数の人間の気配を確かに感じたのだ。だが、店の周囲は夜のしじまにひっそりと静まり返り、怪しい人影などもちろん見えず、足音の一つすら響いてはこない。ただ、店の前の大通りを一台のベンツがかなりのスピードで通り過ぎていっただけ。
(どういう…ことだ?)
 眉をひそめたジョーのズボンの裾を、誰かがかりかりとひっかいた。つと視線を足元に落とせば、そこには案の定、見張所から這い出してきたパピがちんまりと座っていて。
「ね、ジョーしゃん。大通りの向こうに公園が見えるでしょう。ちょっとそこを見てごらんなちゃい。…ジョーしゃんなら、こっからでも中の様子がわかるでしょ?」
 どこか意味深なパピの台詞に、ジョーはますます怪訝そうな表情になったが、この「犬バカ」青少年が犬の言葉に逆らうわけがない(←いやだからそれ、かなり情けないからっ)。言われるまま、通りの向こう側に広がる中規模な公園に目を凝らし、そして、耳を澄ませてみれば。
(…!?)
 一瞬にしてぎょっと目を見開いた少年が、再び足元のチビ犬を見る。…と、前脚をぺろぺろなめて毛並みを整えていたパピが、何とも意味ありげな視線を返してきた。
「…わかりまちたか? あそこに潜んでいる『もの』の正体が」
 だが、言われた方はただ目を白黒させて、足元のチビ犬と例の公園を見比べているばかりである。
「だってパピちゃん…あの夜…あの子たちはあんなに怒って…っ。ヤスやジェットや僕をすごい目で睨みつけてて…」
 …そう。強化されたサイボーグの目と耳が捉えたのは間違いなく―あの夜、完全にへそを曲げて走り去ってしまった子供たちにほかならなかったのだ。
 公園の植え込み。ベンチの陰。遊具の後ろ。深夜の闇の中、何対もの―あの、ガラス玉の瞳がまっすぐにこの店を―この店に近づく不審者を、見張ってる。
「いくら憎まれ口を叩いても、やっぱりあの子たちはみんなこのお店が…そちてヤスしゃんが好きなんでちよ。だから…ね。ああして遠くからそっとこのお店を見てる…もちも何かあったらすぐに竹内しゃんや今井しゃんのいる交番に通報できるように…」
「パピちゃん…。じゃ、君は最初からみんな、気づいていて…?」
 茫然とつぶやいたジョーへの返事は、大きく伸びをしたパピヨンの、いかにも気持ちよさそうな「あ〜うぉぉ〜ん」といううなり声だけだった。



「…だからね。だから多分、あの子たちはもう、いくら言っても決してあの公園から動かないだろうと…どんなに言い聞かせても、追い払っても、決してあの店を見守ることをやめないだろうと…思ったから…」
 全てを話し終えたジョーの声はもう、すっかりか細く、小さくなってしまっていた。
「あの店とヤスだけなら、俺とジョーとで充分守れる。例の強盗犯どもがどんな手を使ってこようが、所詮は生身の人間だしよ、ヤスにも店にも指一本触れさせねぇうちに必ずとっ捕まえる自信はあるぜ。だが、外の…それも通り一本隔てた公園にまではとてもじゃないが手が回らねぇ」
「最初はジェットと二人、レジの手が空いてるときに交代でそっちも見張ろうかと思ったんだけど…何しろあの子たちは数が多いし、公園中に散らばってるから…」
「加速装置を使っても無理なのか?」
 少々意地の悪い質問に、たちまちジョーは口ごもってうつむき、ジェットの頬が鮮やかな朱に染まった。
「おいオッサン! てめぇ、わかっててそんなコト訊くのかよ? この一件にゃ、ヤスが絡んでるんだぜ? ジョーの大事な昔の仲間の前で、俺たちがサイボーグだってバレるような真似できるわけねぇだろがっ!」
「…冗談だ」
 ジェットの吠え声などどこ吹く風、アルベルトはぱたんと手にしていた本を閉じる。
「ま、正直なところ『甘ったれるな』と言いたいのは山々だが…確かにそんな状況なら、もう一人別働隊がいた方がより安全ではあるな」
 まるで独り言のようなつぶやきに、うなだれていたジョーの顔がぱっと輝いた。
「えっ!? それじゃ、アルベルト…」
「この貸しは高いぞ。覚悟しておけよ、ガキども」
 にやりと唇の端だけをつり上げる、銀と青の「死神」特有の笑顔。
 かくてもう一人の00ナンバー―アルベルトが、ヤスと店の用心棒として参戦することになったのであった。
 


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