スカール様の慟哭 〜腹黒わんこ寝返り編〜 3


 一瞬、パピはその自慢のデカ耳がおかしくなったのかと思いました。まがりなりにも世界最大級の悪の秘密結社、天下のBGに「お金がない」など、それこそこの地球が破滅したとしても決してありえるはずがございません。
 まして現在は某中東地域での戦争真っ盛りのはず。善良な一般市民にとっては不幸と悲しみをもたらすばかりの無益かつ愚かな戦さではございますが、BGにとってはこんなときこそ稼ぎ時の書き入れ時、戦闘地域のあっちゃこっちゃでびしばし陰謀めぐらせまくりの、いけいけどんどん武器売りまくりの、お金だってもちろんがっぽがっぽ入りまくりのウハウハ状態のはずです。それとも、そう思っていたのはパピだけだったのでしょうか。
「おおおお父ちゃん! しょれって一体どういうことでちか!? 今ウチはあの戦争のおかげで近年まれに見る『超』特需景気、営業マンも製造工場も戦闘員もフル稼働で休みなし、商売繁盛で笹持って来〜い状態じゃなかったのぉぉぉっ!?」
 あまりの衝撃に我を忘れ、ついでにお弁当のササミも忘れたパピはそのままスカール様に飛びつき、そのお膝を細い前足でがりがりがり引っかくやら、泡を噴かんばかりの勢いでまくしたてるやら、完全なパニックに陥ってしまったのでした。
 そんなご愛犬を、スカール様は苦笑とともにそっと抱き上げ…。
「まぁ、落ち着けパピ坊。我がBGはお前の言うとおり、全社員…じゃなかった全構成員一丸となり、業績拡大に向けて邁進しておる。もちろん、売り上げだってうなぎ上りに上がっているから安心するがいい。…ただなぁ」
 スカール様の苦笑が、大きなため息に変わりました。
「我がBGの商品とは言うまでもなく武器・兵器。よって当然、一件ごとの取引額も莫大だし、納品と同時に即日決済などということはまずありえん。このことはお前もよく知っているな」
 スカール様の大きなお手でそっと頭をなでられ、パピもいくらか落ち着いてきたようです。
「はいでち。武器・兵器に限らず、サービス業などを除いた一般の企業間取引においては品物の納品後、先方の受入検収が済んでから代金決済―つまりお金を払ってもらうのが普通でちよね」
「おお、さすがはパピ坊、偉いぞ。ちなみに我がBGが顧客に提示している条件は、原則として一件当たりの取引額が1000万ドル未満の場合は検収期間二ヶ月、1000万ドル以上は三ヶ月となっておる。でもってここからが本題なのだが、実はあの戦争のおかげで最近の取引額は上昇する一方、はっきり言ってここ一、二年、1000万ドル以下の小口取引など皆無といってよい。結果、めでたく売上は伸びたが、そのかわり検収期間もまた延びて、納品しても中々代金を払ってもらえなくなっちゃったわけだ」
 そこまで言って、スカール様は再び大きなため息をおつきになりました。
「もちろん、ひとたび決済期日が来れば入ってくる金はこれまでの比ではない。しかしあとからあとからやってくる注文のおかげで、今ウチでは製造部門の人間の残業代だの戦闘員及び営業マンの出張旅費だの製造工場の光熱費だの製造原価だのも相当にはね上がっておるし…入るものが増えたと同時に、出て行くものも桁外れに増えていく一方なのだよ」
 要は、売上は伸びたものの、検収期間もまた実質一ヶ月延びてしまったおかげで売上債権回転率が下がり、資金繰りを悪化させているということなのでございましょう(いや、そっちの方が余計ワケわかんないからっ→自分)。一瞬、パピは大きく息を呑みました。
「お…お父ちゃん…。しょれじゃもちかちて、お引越し計画自体がもう無理だってこと…? だったら、戦闘員の皆しゃんのトレーニングルームはどうなるのっ!? ううん、基地内のみんなだってボクだって、このままじゃいつどんな目に遭うのかわからないのにっ!?」
 いつしか涙目になってしまったパピを、スカール様はもう一度、優しくなでてやりました。
「心配するな、パピ坊。引越し計画を始め、各種の作戦行動や組織内行事はちゃぁんと予算及び資金繰り計画に組み込まれておる。だがその時期を早めたり、追加予算を請求するのは少々難しいかもなぁ。…あのキャンセルさえなければ、もしかして何とかなったかもしれんが」
「キャンセル…?」
 聞き返したチビ犬に、スカール様は沈痛な面持ちでうなづかれました。
「実はこの前、例の戦闘地域に復興支援部隊を派遣していた某国が突然全軍撤退を決めやがって、よりにもよって決済日半月前にいきなり契約キャンセルしてきよったのだちくしょぉぉぉぉ…っ! 何でも、半ば泥沼化しつつあるこの戦争に嫌気がさした国民どもが、毎日毎日反戦デモだの抗議行動だのを繰り広げ、このままじゃ現政権の存続すら危うくなってしまったというのだが…ったく、たかが一般市民のデモくらい、軍隊出して力ずくで鎮圧すれば済むことではないかっっっ! なのにあの根性なしども、あっさりさっくり全軍撤退決めやがってぇぇぇっ! せっかく揃えたあの戦車、装甲車両、ミサイル及び銃火器各種は一体どうしろというんじゃいっ! ここで余計な在庫が増えたら棚卸資産回転率まで悪化して、余計資金繰りを困難にさせるではないかっ! ただでさえこのクソ忙しいときに余計な手間と頭痛の種を増やしよって、あのバカモノどもがぁぁぁっ!」
 言ってるうちに感極まったか、その場にすっくと立ち上がり、シャケのおにぎりとご愛犬とをしっかと抱きしめたまま、はるかなる蒼穹に向かって絶叫なさるスカール様。たちまち、周囲に屹立する岩山からそのマ〜ヴェラスかつ濃ゆいお声が見事なエコーとなって返って参ります。この常識外れな騒音、いえ雄々しい一喝のすさまじい破壊力に、一瞬白目をむいてひきつけを起こしかけたパピですが、こいつとて犬の身ながらも有能極まりないビジネスマン、いやビジネス「ワン」には間違いありません。大事な話の途中でのんびりひきつけなんざ起こすわけにはいかないと、驚異的な精神力で正気を保ったあたりはさすがスカール様のご愛犬の面目躍如、まったくもってしぶといワン公でございます。
「あの…お父ちゃん? その件なんでちが、キャンセル料なんかは…どうなっているんでちょうか。決済間際のキャンセルなら、当然ウチにはもらう権利がありまちよね」
 恐る恐る訊ねてみれば、スカール様も重々しくうなづかれます。
「おう、心配するな。キャンセル料なら、もちろんしっかとふんだくったぞ。だが、請求額全額むしり取るのはさすがに憚られてな…今後の取引もあるし」
 さすがのスカール様とはいえども、お得意様に対してはあまり強い態度に出られないのでございましょう。並のワン公…じゃなかった、並のビジネスマンや経営コンサルタントならばこのあたりでさっさと諦めてしまうところですが、このチビ犬にそんな可愛げなど、たとえ薬にしたくったってあるわきゃございません。すでにその小さなおつむりの中、とてつもない速度で回転し始めていた灰色の脳細胞が、今度はまた別の角度からの質問を繰り出します。
「それじゃお父ちゃん、その不足分って一体どれくらい…? ねぇ、あとどれだけお金があればお引越しできるんでちか? ねぇ、ねぇ、教えてちょうだいでち〜」
 小さな黒いお鼻をきゅんきゅん鳴らしつつ取りすがられては、さしものスカール様といえどもたちどころにしてイチコロでございます。
「うむ…当初、引越しのための予算はおよそ1000万ドル前後を見込んでおった。だがもしその時期をさらに早めるとなれば、現在進行中の増改築に伴う人件費や資材調達費もさらにかさむだろうし、先のキャンセル料を勘定に入れてもやはり、最低1500万ドルはかかるのではないだろうか」
「1…500万ドル…」
 茫然としたパピに、スカール様のお言葉はなおも続きます。
「それに今回の引越しでは在庫品もある程度は処分せんと…例の棚卸資産回転率の問題もさりながら、引越し先の第二基地はアルタイ山脈のど真ん中、山腹をくりぬいて作ったところだから増改築にも限界があってなぁ…BG創立以来数十年、たまりにたまった在庫品の全てを移すことなどとてもできん」
 そう、先にもちらと出てきた「BGがBGであるが故の悲劇」、加速装置並みの技術開発速度がもたらす弊害は、こんなところにもしっかりと影を落としているのです。
 どのような画期的高性能大量破壊兵器であろうと最新型としての寿命は数ヶ月から半年。当然、かの00ナンバーサイボーグ脱走の際追っ手として差し向けられたのを皮切りに、その後も劇場用映画「○獣大戦争」、あるいは某秋○文庫版009別巻所収の「たのし○幼稚園」版等でも活躍したあの恐竜型ロボットも、ヨミ編当時で五億八千万円、おそらくBGが開発した兵器の中でも一二を争う超高額商品、対超音波砲も、そして同じくヨミ編にて、サイボーグども探索のため地下帝国ヨミ中に配置されていた一つ目ロボットも、とうの昔に現役を退いていたのでした。
 もちろんBGだって、主力商品交代時には綿密かつ慎重な生産調整を行っておりました。ですがそれでも、各機種ごとに数台から数十台の生産過剰品が出てしまうのは致し方ございません。それらの中には即刻解体・再利用されて新たなる兵器として生まれ変わったものもあるのですが、そんなことをしているうちにも次々と開発される新兵器、新素材に押されて再生の機会を逃してしまったものも多数残っていて、いまだに基地内の倉庫を三つ四つ占領してたりするのです…。
「だが、これらを全部処分するとなるとこれまたタダで済むわけがない。そんな費用も加算すれば、不足分は容易に2000万ドルを超えるだろうなぁ…」
 ああ、いつの間にやらこの世の中は、地獄の沙汰どころか世界征服すらも金次第というまことに味気ない場所になってしまったようでございます。金、金、金の世の中で、泣くのは弱い者ばかり…いえ、BGすらも泣かされねばならないこんなご時世がくるとは、一体誰が想像したことでございましょうか。
「まぁそんなわけだから、この引越しばかりは予定通り、今年の秋まで待っていておくれ。…よしよし。よしよし、いい子だな…」
 いつしか無言になってしまったご愛犬を、懸命になだめるスカール様。すると…。
「…わかりまちた。お父ちゃん」
 ようやく聞こえたか細い声に、ドクロ仮面がぱっと輝きを取り戻します。
「そうか! ついに聞き分けてくれたか! パピ坊っ! お前はやっぱり世界一のいい子だな〜♪ おーよちよち可愛い可愛い可愛いっ」
 しかし、スカール様が腕の中のご愛犬を固く抱きしめ、思いっきり頬ずりなさろうとしたそのときには、当のパピはひらりとそのお膝から地面に飛び降りていたのでした。
「そうじゃないでち! お父ちゃん、こうなったら何が何でも作りまちょう、2000万ドル! 手始めはそのキャンセルされた商品でち。できるだけ早く次の買い手を見つけて、うんと高値で売りつけなくちゃ…。ちょうとなればこんなところでピクニックなんてしてるヒマはありまちぇんっ! 帰りまちよっ」
 言うやいなや、茶と白と黒の毛玉は基地へと向けて一目散に走り去ったのでした。
「お…おいパピっ! パピ坊!」
 取り残されて、一瞬地蔵と化してしまわれたスカール様。しかしすぐさま周囲に散らばるゴミやお弁当の残りをかき集めてバスケットに詰め込み、あたふたとご愛犬のあとを追いかけます。
 …こうして、吹けば飛ぶよなチビ犬が、その頭脳と体力と腹黒さの全てをかけて挑む一世一代の大勝負の幕が切って落とされたのでございました。

 ですが、現実はパピが思っていたよりはるかに厳しく、冷たいものだったりして。

 息せき切って基地に戻ったパピは早速商品倉庫に駆けつけ、通りがかった警備兵に頼んで例のキャンセル商品のもとに案内してもらったのですが…。
「えええ…っ? 何これ〜?」
 倉庫の一角を占領して山積みにされていた「商品」は、確かにどれもこれもぴかぴかに磨き上げられ、整備されておりました。しかしどうも普段パピが見慣れている最新兵器とは違うようです。不審に思ってそれぞれの製造年度だの型番などをあれこれ確認してみればなんと! どれもこれも皆1970年代から80年代にかけて作られた中古品ばかりではございませんか。
「しょ、しょんなぁ…。骨董屋しゃんじゃあるまいち、どうちてこんな古いものばっかり…」
 パピの小さなお口があんぐりと開けられたとき、ようやくスカール様が追いついていらっしゃいました。そのお手がそっと、小さなふかふかの背中に置かれます。
「…あのな、パピ。父ちゃんさっき言い忘れておったのだが…」
 そして、いかにも言い辛そうにスカール様が仰せになった台詞はというと。
「さっきの相手先というのがこれまたとんでもない貧乏国でな…。たとえ大口取引とはいえ、先方が出してきた第一条件というのは『何が何でも質より量』! でもって、戦車からミサイルから自動小銃の弾丸一個に至るまでの買値単価を値切り倒すだけ値切り倒し…とうとう我がBGの営業マンも悲鳴を上げてしまったのだ。『そのご予算では二、三十年前の中古品でなければとてもご用意できませんっ!』とな…。したら連中飛び上がらんばかりに喜びやがって、『中古品大いに結構!』とヌカしよった。そうなりゃあとは売り言葉に買い言葉、世界中の中古兵器ショップを回ってこれだけの物を揃えるのにその営業マンがどんなに苦労したか…おかげで奴はいまだに過労による自律神経失調症で入院中じゃいっ! …ったく、ウチの有能な営業マンの一人を潰した上に決済間際のキャンセル…ああ、思い返すたびに腹の立つっっっ!」
 一瞬キレかけつつも、たちまちその鋼の自制心で冷静さを取り戻されたスカール様。
「あ…いやすまんすまん。…だがその話は別として、いくらお前でもこんな二、三十年前の旧型兵器なんぞに新しい買い手を見つけるなど、やはり無理ではないだろうか。…もう諦めて、部屋に戻ろう、な…」
 ですが、こんな優しいお言葉もパピのデカ耳にはまるっきり入っちゃおりませんでした。
 値切り倒すだけ値切り倒した挙句自分の都合であっさりキャンセル、キャンセル料さえ払っておけば、あとは野となれ山となれ…ここまでしたたかな悪徳商売人根性を見せつけられては、同じ銭道(ぜにどう)を極めんと日々精進している人間、いえ超小型犬として絶対に負けられません。そこでなおもあきらめ悪く、ちょっとでもお金になるようなものはないかとあれこれ商品を物色しているうちに。
「ああっ! これはもちかちて、名戦闘機の誉れ高いF15‐イーグルじゃありまちぇんか! ちかも1997年型が三機! これは掘り出し物でち! これなら絶対高く売れまちよ、お父ちゃん!」
 ですが、スカール様は小さく肩をすくめただけ。
「ああ、確かにそれが『本物』なら、いくらでも高値がつくだろうよ。だが、残念ながらそれは偽ブランド品、所謂『パチモン』というヤツなのだ。外観こそ本物そっくりだが性能等はかなり劣る。…値段の安さに目がくらんだあいつらが『どうしても』というから仕入れてやったが、本来ならば取り扱うだけで天下のBGの威信に関わるシロモノ、メンツにかけても一般市場に出回らせるわけには…」
「何言ってるんでち、お父ちゃんっ! 威信やメンツでトレーニングルームやみんなの安全が買えまちかっ! たとえパチモンと言えども巨大なプラモデルだと思えば立派な一流品、アングラサイトのオークションにでも出しときゃ絶対にどっかのミリタリーマニアか飛行機マニア、そうでなければプラモデルマニアのバカな大金持ちが引っかかりまち! とにかくこの三機はボクがもらいまちたから、絶対片付けたりしないでちょうだいねっ!」
 ああ、燃える商魂、炸裂するド根性。金のためならパチモンすらも、屁理屈つけて売りつけるそのセコさは、これまで正々堂々と(?)、悪の王道を歩んできた天下のBG総帥、スカール様には到底真似などできません。
「さぁ、次は今年度活動計画を徹底的に見直ちて、切り詰められるところは徹底的に切り詰めまちよっ。頑張りまちょう、お父ちゃん…じゃなかったご主人様っ!」
 かくて先の「決算編」に引き続き、またしてもスカール様から主導権をふんだくったパピは、意気揚々と総帥執務室に向かったのですが。



 このチビ犬の辛く苦しいイバラの道は、まだまだ始まったばかりだったのでございました…。
 


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