スカール様の慟哭 〜腹黒わんこ寝返り編〜 10


 その頃にはもう、00ナンバーサイボーグたちも基地のすぐ近くにまで迫ってきておりました。
 この島は南から北に向かって徐々に標高が高くなっているらしく、進めば進むほど道は険しく、岩塊や岩山なども増えて足場も悪くなってまいります。ですが、このような場所にはさすがのBGも先ほどまでのような大型兵器は繰り出してこられないでしょうし、自分たちが身を隠す場所もふんだんにあるというもの、そう考えればかえって気が楽です。
 ただ、今や周囲のあちこちに屹立する大小さまざまな岩山の一体どれが敵の本拠地なのかを見極めるのは少々困難かもしれません―と、思いきや。
「一番怪しいのはあそこよ、みんな」
 先ほどの疲労困憊状態からいくらか回復したらしい003が、その白い指で真っ直ぐにとある一点を指し示したのでございます。
 それは高さ三十メートルほど、底面の直径は二十メートルほどのいびつな円錐形をした、この中では中規模程度の岩山でした。
「ちょっと見ただけでは他と変わらない普通の岩山だけど、あれはまぎれもなく人工の建築物だわ。ただ…地上部は今のところ完全な無人、そして地下にはバリヤーが張られている。さほど強力なものではないし、いつもの私ならもっと詳しく探れるはずなんだけど…ごめんなさい。今は…まだ…」
 それでも懸命に目を凝らし、耳を澄ませていた少女がこめかみを押さえ、かすかに眉をひそめました。
「無理しないで、003。君はまだ本調子じゃないんだから…」
 すかさず支えの手を差し伸べたのは009。こーゆーところだけは(?←オイ!)本当によく気がつくまめな少年です。
「ま、地上部が無人だってことだけでもわかりゃかなり手間が省けるぜ。となりゃ、調べるべきは―地下だな」
「どこか侵入できそうな場所があるといいんだが…それも、わからんか? 003」
「向かって右手に通風孔らしい穴が一箇所。そこから、一階部分の廊下に抜けられるわ。さっきも言ったけど地上部分には誰もいないから、そこまでは多分安全でしょう。でも、それ以上のことは…」
 言いつつ、申し訳なさそうにうなだれた003の頭に、ぽんと004の手が置かれました。
「そこまでわかれば充分だ。ありがとうよ、マドモアゼル」
 そしていよいよ、00ナンバーサイボーグたちはBG本拠地へと潜入したのでございます。

 先ほどの通風孔は、真っ直ぐに伸びるかなり長い廊下のちょうど真ん中あたりにつながっておりました。ですが003の言葉どおり、そこには人っ子一人見当たりません。
「この廊下は回廊みたいに基地内を一周しているわ。そしてここのちょうど反対側に、大きな階段がある…。中央部にはエレベーターも設置されてるけれど」
「エレベーターはやめようや。中に閉じ込められでもしたらえらいことだ」
「それじゃ、左右に分かれるか。それぞれぐるっと半周して、異常がなければその反対側のでっかい階段から地下に下りるってのはどうだ?」
「よし、それじゃ僕らはこっちへ…」
「じゃ、俺たちはこっちだ」
 二手に分かれ、がらんとした廊下を慎重に進み始めた00ナンバーたち。ちなみに今度は一方が9、2、5、3、そしてもう一方は4、6、7、8といった組み合わせです。
 そしてそのうち、009を始めとする一組が最初の角を曲がり、しばらく行ったところで。
「何だ? この細っこい通路は」
 これまで進んできた広い廊下の左側、ちょうど直角の角度で人一人通れるのがやっとというような細い通路がぽっかりと口を開けております。
「人の気配がないのはこっちの廊下と一緒だけど…一応調べておいた方がいいかな。じゃ002、僕がこの通路を探ってみるよ。もし異常がなければすぐに後を追うから君たちは先に行ってて」
「オッケ。何かあったらすぐ連絡しろよ」
「009、気をつけて」
 仲間たちの言葉に軽くうなづき、009はそのまま一人、脇通路へと入り込みます。そして残りの三人は、これまで進んできた廊下のさらに奥へと踏み込んでいったのでした。

 00ナンバーどもの進入を察知した途端、地下作戦司令部にも緊張が走りました。ボグート氏の指がさっとコンソールに伸びるや、一瞬にしてディスプレイの分割画面が基地外から基地内へと切り替わります。…ですがこの基地、例によって内部の監視カメラの中にも耐用年数切れで調子の悪いものがあるらしく、ぽつりぽつりと歯が抜けたように沈黙している画面があるのが情けないっちゅーか何ちゅーか。
 そこへ、海底ドックでの任務を終えた横山くんが帰ってまいりました。
「ただ今戻りました、スカール様、ボグート様、大佐殿…そして…あれ?」
 敬礼とともに張り上げた声が、怪訝そうな表情とともに途切れます。
「ぬゎんだよくぉやむゎっ! 貴様、帰還報告もまともにできねーのかよっ! 初年兵は去年で卒業したろーがっ。う〜いっ」
 途端、例のパチモンイーグルのあまりにあっけない最期に少々ご気分を害されたスカール様の怒鳴り声が響きました。しかし横山くんはきょとんとした顔できょろきょろと室内を見回しているばかり。
「あ…あの、皆さん…。パピちゃん…は?」
「パピちゃん? パピちゃんならほれ、そこに…」
 何の気なしに振り向いたボグート氏の目が、次の瞬間大きく見開かれました。
「い…ない?」

 ひゅるるるるる…。

 刹那、室内を吹きぬけた冷風、凍りついた人々。
 そしてもちろん、あとに続いたのは絶対零度の沈黙でございます。
 しかしやがて。

「ふ…ふおぉぉぉっ!! パピ坊ぉぉぉぉぉ〜っ!!」
 当然と言えば当然のことながら、真っ先に解凍したのはやはりスカール様でいらっしゃいました。さっと椅子から立ち上がろうとしたものの、気が動転しておられたのか見事にすっ転び、それでもなおかつ両手両足を床についた体勢のまましゃかしゃかと壇上を駆け下りてびっしり並んだ幹部席の下を一つ一つ丹念に見て回るそのお姿、そして素早さはゴキブリもまっつぁお、ついでに部下たちまでもをまっつぁおにさせちゃったりなんかして。
「スカール様、お気を確かに!」
「そ…そうだ! もしかしたら先に脱出艇に避難したのかも…。ほれ、パピちゃんは自分の身の処し方もしっかりわきまえた犬だし…」
「残念ながらそれはありえませんッ! 実は自分、先ほどのボグート様の命令を思い出し、戻ってくる途中で全脱出艇、全人員の避難状況を確認してきたんであります! ですが…そのどれにも…パピちゃんの姿は…」
 必死に叫ぶ横山くんの声も途中から震え出し、最後まで続けることができません。さしものボグート氏とシロオスラシ大佐といえども、こうなっては顔面蒼白のままただ顔を見合わせるばかりです。再びの沈黙に包まれた室内で、動き回るのはもはや相変わらずのゴキブリ走法でしゃかしゃかと床を疾走するスカール様お一人のみ。
「パピ坊、どこだあぁぁぁっ。父ちゃんだぞ〜。隠れんぼなどしとらんで早く出ておいで、いや…出てきてくれぇぇぇ…っ」
 静まり返った室内に響く悲痛なお声が、何とも切のうございました…(涙)。
 そんなお声を聞いては、元々この上司の影響で犬バカ街道驀進中の横山くんが黙っていられるわけはありません。
「スカール様! それでは自分も、パピちゃんを探してくるでありますッ!」
 かなりの早口でそれだけ言い捨て、敬礼する間ももどかしく―横山くんはせっかく帰ってきた作戦司令部から再び全速力で飛び出していったのでございました。

 ですがこんな有様など、当のパピには知る由もございません。飼い主のあまりのバカさ加減に見切りをつけ、さっさとトンズラこいたチビ犬はただひたすらに上階を目指しておりました。
(あの人たち―00ナンバーでちたっけ、ナンパでちたっけ―を見つけるなら、絶対に地下一階以上の場所でなきゃだめでちよね。…何ちろ地下二階中央部に侵入されたが最後、自爆装置が作動しちゃうんでちから。―急がなくちゃ)
 とてとてとてとて、ちょこまかちょこまか。懸命に先を急ぐパピですが、その足取りは中々思うようにはかどらないようです。…というのも。
 過去の全てに決別して出奔してきたからには、このチビ犬とて二度と戻らぬ覚悟でございます。となれば、まかり間違っても監視カメラなどに引っかかるわけにはまいりません。
 もちろん、冒頭から何度も申し上げておりますとおりこの基地は丸ごとパピの遊び場、縄張りもいーとこでございますからして、各所に設置されている監視カメラの死角およびその作動状況―すなわち、どこのカメラがまともに動いていてどこのカメラがぶっ壊れているか―などはしっかりとその小さなおつむりに叩き込まれているのですが。
 いくら超小型犬とはいえ、その姿を全く察知されずにこの基地内を移動するなど至難の業、その道筋は自然と限られてまいります。すなわち機材・器具の隙間やら狭っ苦しい非常通路やら廊下の穴やら壁のひび割れやら―そんな道なき道、障害物競走顔負けの難路をたどって行ったのでは、通常の倍以上の時間と手間がかかるのも仕方がないでしょう。
 それでも何とか地下三階から地下二階へと到達できたというのはまさしく執念、ド根性。
「はぁやれやれ…これからはちょっと楽することができまちね。確か、この区画の監視カメラは先月初めに配線がショートちて撮影不能になってるはずでちから、この周辺だけは堂々と廊下を歩くことができるはず…」
 一体どこをどう通ってきたものやらすっかり埃まみれになったパピ、それでもとにかくしばらくは誰憚ることもなし、と一気にこの廊下を走り抜けようとしたのですが。
(お…っと、いけない)
 そこでふと、チビ犬は大事なこと―すなわち自分自身の「戦装束」を思い出したのでした。ちなみにこの戦装束とはもちろんあの「スカール様印」の必勝ハチマキのことでございます。
(こんなの締めたままであの人たちに見つかったりちたら、たちまち敵だと思われて撃たれちゃうでち。今のうちに外しておかなきゃ…)
 かりかりかりかりっ! 考えるよりも早く、その後脚が目にも留まらぬ素早さで動き始め、例の犬特有のポーズで何とかハチマキを引き剥がそうと頭だの耳だのをかきむしります。そしてしばしの後、無事ハチマキははらりと床に落ちたのですが…。
 がりっ!
「きゃいいぃぃ…んっ!」
 ハチマキが取れた拍子に後脚が引っかかったか力加減を誤ったか、小さな可愛らしいあんよの先についているお爪が思いっきり、そのデカ耳の内側を引っ掻いてしまったのでした。
「ひ〜ん、痛いよぉ…血が出ちゃったぁ…」
 真っ白な脚先にほんのちょっぴりついてしまった赤いシミにたちまち泣きべそをかいたパピ、しかし次の瞬間何を思ったか。
(あ…! ちょうだ!)
 そのつぶらなお目々がきらりと光ったと思うや―ごしごしごしごしっ! 今度は傍らのハチマキに、そのデカ耳を思い切りこすりつけ始めます。しかしながら所詮犬の身にとっては床に落ちたハチマキに耳(しかも内側!)をこすりつけるなど中々難しい作業、やってる間に耳ばかりでなく頭から肩から背中から全身で床を転げ回るという大騒ぎになってしまいました。しかし…。
(そろそろいいかな…)
 頃合いを見計らって立ち上がり、ハチマキを点検してみれば、果たして人間の親指の爪程度の大きさの赤いシミが二つ、そしてかすれたような赤い筋が何本もついておりました。
(どーせお別れしゅるんなら、余計な未練は持たせない方がいいでちからね…しょれにおかげでお耳の出血も止まったみたいだち、これがホントの「一石二鳥」というものでち)
 一人うなづいたチビ犬は、そのままそこに血染めのハチマキを残し、さらなる上階を目指して再びとてとてとてっ…と走り去って行ったのでした。

 ところで、悪路といえば先ほど皆と別れ、一人脇通路に入り込んだ009も少々難儀しておりました。別にこちらは廊下の穴やら壁のひび割れをくぐるわけではありませんからまだマシなのですが、とにもかくにもこの通路は狭い。東洋人ということもあって男性メンバー中比較的華奢で細身の009さえ、まともに歩くのは一苦労です。
(やっぱり、僕がこっちに来て正解だったなー。こんな細い通路を歩くなんて005みたいに体格のいい人間には絶対無理だし、ヘタすると002でも危なかったかも。体が細くて得することもたまにはあるんだ…)
 敵地の真っ只中でたった一人になってしまった割には随分と呑気な独白ですが、これぞ天然の天然たる所以というものでございましょう。ですが最後の台詞から察するに、どうやらこの少年、仲間たちに比べてイマイチたくましさに欠ける自分の体型にちょっぴりコンプレックスなど抱いているようです。
 ですがそんなことはともかく。
 やっとのことで通り抜けた通路の行き止まりは五メートル四方ほどの薄暗い吹き抜け、その片隅にちんまりと設置された、これまた狭くて急な階段でした。五メートル四方といえば大した面積ではありませんが、どうやらこの吹き抜けは基地の最上階から最地下までをぶち抜いているらしく、上下どちらの終点をも確認することはできません。しかも壁面のあちこちには通気ダクトや送電ケーブル、はたまた空調設備とおぼしき機械がむき出しになっており、さながら巨大な怪生物の内臓にも似た不気味な雰囲気を漂わせております。しかもその階段ときたらただ鉄骨を組み合わせただけのいかにも頼りないシロモノ、試しに一段下りてみただけで心なしかゆらゆら揺れ動く気さえいたします。
 こんな場所のこんな階段を下りていくなど、それだけでかなりの勇気を要する行動ですが、そこはそれ、この天然少年がそう滅多なことでたじろいだりするはずがございません。
(うーん…。せっかく調べにきたんだし、どうせならこの階段がどこに続いているか確かめてみよう。皆も地下に下りるって言ってたし、別に地下一階で合流したっていいよね…)
 そこで009、そのまま恐れ気もなく一歩踏み出します。そして途中の踊り場ごとに向きを変えてしばらく下って行ったところ、先ほどと同じ通路がこれまた階段と直角に真っ直ぐのびている場所に行き当たりました。
 階段はなおも下に続いておりますが、009は通路の方を選びました。いつまでも単独行動を続けているよりは、ここでいったん仲間たちと合流した方がいいと判断したからです。そしてまたまた狭っ苦しい通路を通り抜けた先はやはり人気のない、広々とした廊下。どうやらこの基地、各階ともどれも似たような構造になっているようでございます。
 しかし、どんなに似ていようがここはすでに地下一階、さすがの003もバリヤーに阻まれてその内部を探ることができなかった区域です。油断は禁物、009は慎重に一歩踏み出し、壁に背中をぴったりつけて素早く周囲に目を走らせ、耳を澄ませました。
 と―。
「!」
 ふと誰かの視線を感じたような気がして振り向いた茶色の瞳が、天井付近でかすかに光ったレンズを捉えました。
「監視カメラかっ!」
 とっさにその場から飛びのきつつ、構えたスーパーガンのトリガーを引く009。一瞬のうちに、ただの鉄屑と化した監視カメラ。
 009は、大きく息をつきました。基地内に全く人の気配が感じられないのをいいことに、こんな―監視カメラその他の存在など今まですっかり失念していたのです。
(いけない…。たとえ無人でも、「敵」が僕らの動向を見張る手立てはいくらでもあるんだ)
 ところが―。軽く自分の頬を叩き、気を引き締め直した途端、再び新たな物音が聞こえてきたのです。
(何―?)
 見れば数メートル先に、半開きになった扉のようなものがありました。同じような造りとはいえ、一階にはこんなものはなかったはずです。茶色の瞳がすい、と細められ、009はスーパーガンを構えたまま、一歩一歩ゆっくりとそこに近づいて行きました。
 その小さな音は間違いなく扉の向こうから聞こえてきます。しかも、今の監視カメラ―機械の作動音とは微妙に違うような…。
(これは―機械じゃない―生き物だ!)
 今や扉のすぐそばまでやってきた009、半ばカンとも言える確信のもとに内部に向かって鋭い声を投げかけます。
「そこにいるのは誰だ! 出て来い!」
 小さな音はだんだんと近づいてまいりました。どうやらかなり小型の敵のようです。それも―。
(怯えてる…?)
 まさかとは思うのですが、漂ってくる気配はどう考えても怯えた小動物のもの。一瞬首をかしげた009の耳の中、物音はかちゃかちゃという小さな足音に変わります。
 そして―。

(え? えええぇぇぇっ!?)

 とっさに口から飛び出しそうになった大声を間一髪で飲み込んだ009。ですがそれも仕方のないことでございましょう。
 だって、扉の中からおずおずと顔を出し、そのままぷるぷる震えながら自分の目の前までやってきてちんまりとお座りしたのは―。
 やたらとデカい二つの耳とふさふさの尻尾を持った、一匹の小さな小さな犬だったのでございます。

 A boy meets a dog―。

 これこそ、史上最強と言われるサイボーグ―009と、史上最凶と言われる腹黒わんこ―パピとの初めての出会いでございました…。
 


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