スカール様の慟哭 〜腹黒わんこ寝返り編〜 1


 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」とはもちろん、かの有名な松尾芭蕉の『奥の細道』冒頭の一節ですが、思うにその旅路とはかなり心急いた慌しいもののようでございます。先の確定申告にて惨敗を喫した作者が、あまりの怒りと悲しみにトチ狂った挙句、『009』二次創作史上初(多分←笑)の納税ネタSSなどサイトにUP致しまして皆様の顰蹙を買いまくったのはついこの間のはずでしたのに、気がつけばいつの間にやら、あのときと同じ季節がまたやってきやがったではございませんか。
 ならば今年も「企業人スカール様」にご登場いただかないことには皆様方に顔向けできないっ! …と(だから、そう思ってるのアンタだけだからっ→自分)、張り切ってパソコンの前に陣取った作者だったのですけれど。
 よくよく考えてみれば、たとえ全世界直営企業五百社の社長を務め、傘下の企業数千社にも絶大なる影響力をお持ちとはいえ、スカール様にとっての企業経営などあくまでも副業…どころかちょっとした気分転換とお小遣い稼ぎのためのアルバイト、パート、内職も同然でございます。やはりその真のお姿、まことのご本業と言えば、世界に冠たる強大な悪の秘密結社、天下のBG団総帥以外にはございますまい。
 そこで作者、今回はそんなスカール様本来のお姿を描いてみたいと存じます。もちろん、スカール様のご信頼厚い部下にして名相方の横山くんも、ご愛犬のパピ坊も元気に大活躍してくれますので、何卒よろしくおつき合い下さいませ…。



 太平洋Xポイント、絶海の孤島にそびえ立つBG団秘密基地にもまたまた春がやって参りました。元来やや赤道寄りに位置することとて、年間を通して温暖な気候のこの島に暮らす人々にとっても、やはり春という季節はうきうきと心弾むものでございます。いえ、人間だけではございません。
 とてとてとてとてっ。
 いつもながらの軽やかな足音に鼻歌さえも交えつつ、今日もご機嫌よく基地内をパトロールしているのは、言わずと知れたスカール様のご愛犬、パピヨンのパピでございました。
 このワン公、畏れ多くも畏くも、天下のBG団総帥スカール様ご自身の手によって、朝晩二回、きっちり一時間ずつのお散歩(←はっきし言って超小型犬には散歩量多すぎ)に連れて行ってもらっているというのに、それだけではまだ遊び足りないと見えて、ふと気が向くとこうやって基地内のあちこちを歩き回り、探検するのが日課なのでございます。
「はぁ…春ともなるとやっぱり基地の中も何となくあったかくなりまちね。お天気もよさそうだし、こんな日はお弁当作ってピクニックにでも行きたいでち。…お部屋に戻ったらご主人様におねだりちてみようっと」
 廊下の窓から射し込む陽光に目を細めてつぶやきつつ、パピは基地一階から地下への階段をとてとてと下りていきます。地上部ならともかく地下ともなれば、各種秘密研究室だの基地内監視システムだの武器庫だの、果ては巨大核融合反応炉だのといった重要設備、危険設備が目白押し、たとえBG団員であろうとも「担当者以外立入禁止」の所謂「聖域」なのですが―。
 スカール様のご愛犬であると同時に基地内のアイドルでもあるパピならばどのような場所にでも顔がききます。このチビ犬がちょっと尻尾を振って甘ったれた声を出すだけで、どんなに研究熱心な科学者たちも、職務に忠実な警備兵たちもたちまち目尻を下げてどこにでも入れてくれるのでした(それでもさすがに放射線や核物質を扱っている区域にだけは「危ないから絶対ダメ!」と入れてもらえないのですが)。
 例によっていくつかの研究室の科学者たち、あるいは要所要所に立っている警備兵たちに思う存分遊んでもらい、ついでにおやつの一つももらったりしていっそう上機嫌になったパピ。ですが―突然、その足が止まってしまいました。
「あれぇ〜?」
 それまでのご機嫌もどこへやら、パピは不審そうに首をかしげます。それもそのはず、今までとてとて歩いてきた廊下の角をひょいと曲がった途端、「何人たりとも絶対立入禁止」という張り紙つきの巨大なバリケードが、その行く手をしっかりと塞いでいたのでございました。
(おかちいなぁ…)
 このチビ犬の記憶に間違いがなければ、この先にあるのはBG戦闘員のトレーニングルームのはずです。一騎当千の猛者たちが日夜実戦さながらの訓練を繰り広げているこの場所は、ある意味放射線や核物質をはるかにしのぐ危険が充満しているはずなのですが、そのへんの事情はこのチビ犬も充分に心得ておりますから、決して訓練中の戦闘員に近寄ったりは致しません。
 ―ただし、休憩中ともなれば話は別。
 この戦闘員たちのほとんどはサイボーグですし、BGの厳しい訓練プログラムの中には、時として二四時間、あるいは四八時間連続といった過酷な特別訓練ももちろん組み込まれております。ですがいかにサイボーグとはいえ、年がら年中休みなしで訓練にばかり明け暮れていたら完全にくたびれ果ててしまって、いざ実戦の際には何の役にも立たなくなってしまうでしょう。なので通常訓練においては、戦闘員各自の判断で適度な休憩を取ることが許されている…いえ、むしろ推奨されているのでございました。
 結果、トレーニングルームの一隅に設けられた休憩用スペースでは、常に何人かの戦闘員が立ったり座ったり寝っ転がったり、思い思いの格好で一息入れているわけで…。
 たとえBG戦闘員とはいえ、そんなときにはごく普通の人の子に戻ります。しかも彼らは全員スカール様おん自ら選びに選び抜いた精鋭ばかり…となればその犬バカぶりもまた、並大抵ではない連中が揃っていたりして。
 そんな中にこのチビ犬が入って行こうものならさぁ大変。たちまちのうちに全員が訓練を中止し、パピの言うことなら何でも聞いてくれていつまででも遊んでくれる「お犬様の下僕集団」と化してしまうのでした(実は一度、このことが幹部会で問題になったりもしたのですが、スカール様の「パピ坊が喜ぶなら苦しゅうない。好きにさせよ」のお言葉であっさり不問に付されてしまいました←…って、いーのかよオイ)。
 ま、そんな作者のツッコミはともかくとして、このトレーニングルームはパピにとって基地内でもお気に入りの場所の一つなのでした。なのにどうして、こんなものが廊下を塞いでしまっているのでしょう。
(もちかちてボク、道を間違えちゃったのかなぁ)
 ですが毎日のようにここへ遊びに来ているパピが道を間違えるなどということはまずありえません。ますます首をかしげつつ、しばらくバリケードの前を行ったり来たりしていたパピでしたが、やがてその右下隅、床との間にほんの少し隙間が開いているのを見つけました。もっともそれはさすがのチビ犬ですら、身体どころか頭を通すこともできないほどの小さな隙間です。しかしその可愛らしい小さな黒いお鼻の先くらいなら何とか入りそうでした。もちろんパピはすぐさまそこにお鼻を突っ込みます。
 くんくんくんくん。
 しばらく懸命にお鼻をひくつかせていたパピ、ついに目当てのニオイを嗅ぎ当てました。…そう、数日前遊びに来た折、みんなに内緒でこっそりマーキングしておいたあのニオイがバリケードの向こうからかすかに漂って参ります。やはりここはあのトレーニングルームへと続く廊下に間違いありません。
(え〜? だったらどうちて急に通行止めになっちゃったのぉ? これじゃボク、戦闘員のおじちゃんやお兄ちゃんたちに遊んでもらえないじゃないかぁ)
 パピの小さなお口から不満と怒りの唸り声がもれたとき、背後からやけに慌てた足音、そして聞きなれた声が追いかけて参りました。
「パピちゃぁ〜ん! パピちゃん、どこにいるでありますかぁ〜」
(横山のお兄ちゃん…?)
 振り返ったパピはまだ少しご機嫌斜めのままでしたが…。
「横山のお兄ちゃん! ボクならここでちよ! ここにいまちよ〜」
 それでも大きな声のお返事とともに、とてとてと先ほどの曲がり角まで戻り、ひょい、とお首をのぞかせてもと来た方をうかがってみれば。
 丸メガネに丸ヘルメット、丸いお顔がトレードマークのスカール様第一秘書、皆様おなじみの横山くんが、廊下の向こうからすっ転ばんばかりの勢いで走って参りました。
「ああよかった! パピちゃん、ここにいたでありますか! スカール様が心配して半狂乱になってますよぉ。…さ、お兄ちゃんと一緒にお部屋に戻りましょうね」
 いきなり飛びつかれ、ぎゅうっと抱きしめられたパピは目を白黒。しかも、よく見れば横山くん自身も少々涙目になっているようでございます。
(…? ボク、何かご主人様やお兄ちゃんに心配かけるようなことしたかちら?)
 不可解な出来事の連続にすっかりわけがわからなくなってしまったパピ。しかし横山くんの方はそんなパピの思いに気づけばこそ、やっと見つけた小さな宝物を大事に大事に抱っこしたまま、いそいそとスカール様の執務室へと向かいます。しかも時折、その丸まっちいお鼻をぐすぐすとすすり上げる音さえ聞こえて…どうやら横山くんもスカール様に負けず劣らずパピを心配していたようなのですが、パピにはさっぱり心当たりがありません。
 とうとう、業を煮やしたチビ犬は横山くんに直接訊いてみることにしました。
「ねぇお兄ちゃん、今日は一体どうしちゃったでちか? 何か、変なことばっかりでちよ。あのバリケードといい、ご主人様やお兄ちゃんといい…ボクはいつもの基地内パトロールにお出かけしただけなのに、どうちてしょんな心配…」
 必死に訴えるチビ犬を、横山くんはさらにもう一度きゅっと抱きしめました。
「…パピちゃんが不思議に思うのももっともであります。でも今日は、スカール様も朝から忙しくしておいでだったし、自分もそのお手伝いにてんてこ舞いしてたでありますから…パピちゃんに話しておくのを忘れちゃってたんですよ。実はですねぇ…」
 そこで、ふと口ごもってしまった横山くん。
「…あのトレーニングルーム、ぶっ壊れて使用不能になっちゃったんであります。一応まだ部屋の形だけは保っておりますが、壁も床もへこみや穴やひび割れだらけでズタボロの廃墟もいーとこ、おまけにその被害は周囲の壁や廊下にまで及んでおりまして…今あの部屋の半径十メートル以内に、一グラムでも新たな負荷重量が加わったらたちまちのうちに区画丸ごと完全崩壊、それに巻き込まれたら間違いなく命がないであります」
「えええっ!?」
 思いがけないことを言われて、さすがのパピの背中にも冷たい汗が流れます。
「しょしょしょ、しょれってどういうこと!? もちかちて超局地的大地震、ううん、しょれとも敵襲、無差別テロでちかっ!?」
 ですが横山くんはゆっくりと首を横に振って。
「違うであります。…ね、パピちゃんも知ってるでしょ? この間うちの特殊装備研究室と小型兵器研究室が共同開発した新兵器二つ」
「あ…あ、あれでちか」
 そのことなら、パピも耳にしておりました。
「確か…白兵戦用の超軽量装甲スーツと形状記憶合金製の新型戦闘用ナイフでちたね。どっちもすごく性能がよくて使い勝手も申し分ないって、戦闘員の皆しゃんが喜んでたでち」
「はぁ…それはまぁ…その通りなんでありますが…」
 何故だかそこで横山くん、がっくりと肩を落として大きなため息をつきます。
「装甲スーツはこれまでのものに比べて重量は三分の一、しかも強度は四倍近く、衝撃吸収率にいたっては何と七倍という驚異的な測定結果が出ています。アレさえ着てればたとえ数十メートルの高さからダイヤモンドの上に落っことされたって無事、ぶつかったときの衝撃だってあんまり感じないんじゃないでしょうか。一方戦闘用ナイフの方は、前もって三種類の形状をインプットしてありますからして、ボタン一つでナイフと特殊警棒、そしてブーメランに変形できるという画期的新製品であります。だから、戦闘員のみんなが喜ぶのも当然なのでありますが…」
 横山くんのメガネ、いえ違った表情はすっかり曇りきっております。
「みんな、喜びのあまりすっかり舞い上がっちゃって、装備支給と同時に全員そのスーツ着用、ナイフ装備の上で自主トレ始めちゃったんですよ…って、それは大いに結構なことなんでありますが…。問題は、そのスーツとナイフに使われている素材の強度が、トレーニングルームの壁及び床の強度の約五倍だったってことでして…」
「げ…」
「どんなに激しい勢いで投げ飛ばそうが床や壁に思いっきり叩きつけようが、相手が怪我をするどころかほとんど何も感じないとくりゃ、手加減なんてする者はまずいません。そればかりか投げ飛ばされる方も面白がって、みんなでかわりばんこにどったんばったん…何せ、いかに強烈な衝撃を受けたってまるでダメージを感じないんですから。ま、さすがに例の戦闘用ナイフで攻撃することはしませんでしたけど…強度がほぼ同等のスーツとナイフが互いにぶつかり合ったりしたら、どちらかが破損する可能性は大いにありと開発スタッフから厳重注意されていましたからね。ですが、そっちはそっちで壁に描き込んだ的めがけてやれ投げナイフだブーメランだとどっこんばっこん…」
「お兄ちゃん…もういいでち」
 横山くんの説明を聞いているうちに、パピは何だか悲しくなってしまいました。…そう、これこそまさに、BGがBGであるが故の悲劇というものなのでございます。
 世界最高水準さえはるかに凌駕した科学技術力を誇るBG団。当然、その技術開発のスピードもまた加速装置並でございます。どのような新発明・新開発がなされたところで、「画期的」だの「最新」だのとして通用するのはせいぜい数ヶ月がいいところでございましょう。
 例のトレーニングルームだって、建設当時においては「最新」「最強」の建築資材をふんだんに使い、その強度と耐久性は基地内随一といわれていた場所でございました。ですが何しろ世間様の常識からはるかにとっ外れた技術開発速度を持つBGでございます。結果、それから一年、いえ半年もしないうちにより強靭な物質やら素材やらが次々と発明・開発され、武器・防具はもちろんのこと、サイボーグたちの人工皮膚や人工骨、果てはトレーニング用のウェアやシューズにまで使われるようになったのでございました。
 とはいえ、新素材が開発されるたびにトレーニングルームの壁やら床を丸ごとリフォームするなどいかにBGといえども手痛い出費。また、これまでの最新素材の強度はトレーニングルームに使用した建材の一.五倍どまりだったり致しましたので、とりあえずリフォームの件は先送りとなっていたのでした。
 なのに突然、五倍の強度のスーツとナイフ(と特殊警棒とブーメラン)。しかも着用している戦闘員の体重込みでどったんばったん、あるいは渾身の力でどっこんばっこんぶつけられたりしたひにゃ、さすがの壁も床もたまったもんじゃありません。
「考えてみればこの基地の築年数もかなりのものでちからねぇ…」
 ぽつりとつぶやいたパピに、横山くんも大きくうなづきます。
「そーなんですよ。ま、一応減価償却期間はまだ少し残っているとはいえ、建物・機械・備品とも帳簿価格はゼロも同然、かさんでいくのは修繕費ばかり…新しい建物を建設するわけじゃないから建仮(建設仮勘定)にも上げられないし、まことに頭が痛いであります」
 よくよく考えてみりゃ天下のBGが律儀に法人税納めるわけじゃなし、減価償却だの修繕費だの建仮だの、そんな会計処理などまるっきり必要ない気もするのですが、直営会社の経営にも深く関わりあっているこの二人…いえいえ、一人と一匹(←詳しくは「スカール様の憂鬱〜決算編〜」をどうぞ♪ …とさりげなく宣伝)の会話はついついこんな、どっかのうらぶれた中小企業の経理部長と経理課長じみたものになってしまうのでした。
 いつしかすっかりその足取りも重くなってしまった横山くんの腕の中、パピのデカ耳が物思わしげにぴくぴくと動きます。
「ね、お兄ちゃん…こうなったら『例の計画』を予定より早めた方がいいんじゃないでしょうか」
「ああ…実は自分もそう思っていたであります。それじゃパピちゃん、お部屋に戻ったら二人でスカール様に進言してみましょう」
「はいでち」
 そんな会話を交わしながら地下から一階へ、そしてスカール様のお部屋へと急ぐ横山くんとパピに、先ほどと同じ窓越しののどかな春の陽射しがやわらかく降り注いでおります。



 ところで、二人が話し合っていた「例の計画」とは一体何なのでございましょうか…?
 


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