まあじゃんほうかいき 8
ゆっくりと目を開けば、ジョーが泣きそうな顔で自分を見つめていた。
「ピュンマ! 気がついた? よかった…」
「ジョー? え…? 僕は…一体…」
いまだ混濁した意識に戸惑いながらも起き上がろうとしたピュンマを、ジョーがそっと押し留める。
「だめだよ、まだあと少しは安静にしてなくちゃ。ピュンマはさっき、最初の半荘が終わった途端に倒れて…一時はかなり重体だったんだよ。…覚えてない?」
「あ…」
言われてみればそんな気もする。確か、ゲーム終了と同時に激しい眩暈を感じて、頭を押さえようとした…そのあとの記憶が、ない。
「そうだったんだ…。悪かったね、ジョー。迷惑かけて」
だがジョーは、ゆっくりと首を振る。
「迷惑だなんて思ってないよ。…だってあの勝負、凄かったんだろう? 僕には詳しいことはわからなかったけど、石原先生が『あんなの、人間のやる麻雀じゃない』って顔面蒼白になっていたもの。それに途中で周や松井さんが大乱闘起こしちゃったりしたし。すぐそばにいた君や藤蔭先生に怪我がなくて本当によかった。ちょっと離れていた僕たちでさえ、あのときは机の下にもぐったまま、出るに出られなくなっちゃって…」
心底ほっとした顔で、あれこれと話し続けるジョー。だが、その中に「石原先生」という名前が出てきた途端、今度こそピュンマはジョーが止める暇もなく跳ね起きた。
「そうだ、先生っ! ねぇジョー! 石原先生は!? 先生は一体どうしたんだ!」
…正直、自分が絶叫した瞬間、ぴたりと口をつぐんでうつむいてしまった少年を見れば、ある程度の応えは予測できていたのだけれど。
「…あっち」
やがて、思い切ったようにある一点を指し示したジョーの指先を追ってみれば。
(あ、やっぱり…)
相変わらずじゃらじゃらと賑やかな音を立てている麻雀卓、やたらと盛り上がっている他の三人の中でたった一人、がちがちに固まりきった青年医師の姿。ピュンマの目に、見る見る熱いものがこみ上げる。
(先生…僕の力が足りなかったばっかりに、申し訳ありませんっ! ああ…とうとう生身の貴方を守りきることができなかった…僕は…サイボーグ失格だ…)
そのまま声もなく肩を震わせるピュンマに、ジョーもどう言葉をかけていいのかわからない(でもな〜。この勝負の場合、生身もサイボーグもあんまし関係ないような…「普通」かつ「人並」の神経の持ち主は皆「犠牲者」って気がするぞ)。それでも、栗色の髪の少年は懸命に仲間の気を引き立てようと頑張った。ピュンマが倒れてからのことを逐一説明し、その後勝負に加わったギルモア・コズミ両博士が完全無事であった事実もきちんと報告する。しかしそれは、ピュンマにとってはかえって心の傷に塩をすりこまれたのも同然で。
(そんな…それじゃ、僕や石原先生って一体…)
つい先ほどの石原医師と同じ理由でピュンマがまた滂沱の涙を流したのはお約束♪(←鬼婆)しかしピュンマとてサイボーグ008、そうそういつまでも無駄な涙を流してばかりいるはずがない。
「そうか…じゃ、石原先生は僕に君のことを託して行ったんだね。…わかった。じゃ、ルールの続きは僕が教えてあげよう。僕が先生でも…いいかい?」
どうせ、いくら嘆いても後悔しても無駄なこと。石原医師はもう、自分たちの手の届かないところに行ってしまった(いやまだ充分手は届くからっ! …でも半荘途中でメンツ交代なんて申し入れたらまたややこしいことになりそうだし、第一今のピュンマ様に再度あの中に飛び込むだけの体力も精神力も残っているわけないし…←このところ、キーボードを叩きながらついつい考え込むことが多くなった作者)。だとしたら、自分がその遺志を継ぐしかない(←こら待て! まだ石原先生は生きてるぞっ)。
確固たる決意を秘めて、にっこりと白い歯を見せたピュンマに、ようやくジョーも安心したような笑顔を見せた。
「もちろんだよ! ピュンマ先生! よろしくお願いします!」
いかにも嬉しそうに、姿勢を正してぺこりと頭を下げた少年に、ピュンマの笑みがますます深くなった。
「ところでジョー、どこまで石原先生に教えてもらったの? うん、うん、そうか。じゃ、残ってるのは役の作り方だけなんだね?」
そこでちょっとピュンマは考え込む。麻雀の役というのは結構…いやかなり複雑だ。完全初心者のジョーに、一体どう説明すればすんなりわかってもらえるだろう。
が、やがてその唇が思い切ったように開かれた。
「あのね、ジョー。麻雀の役っていうのは手牌一三枚に当たり牌一枚が加わって初めて完成する。つまり、合計一四枚で構成されるわけだね」
一度話し始めれば、ピュンマの言葉はよどみない。すでに彼の頭の中では、今回の講義の流れや重要点等が一編の原稿となって完成しているのだ。
「その一四枚を、二枚ずつの組一つ、三枚ずつの組四つに分けて考えるのが役作りの基本だ。そして、最初の二枚一組は、必ず同じ牌でなければならない。例えば、二索(ソーズの二)なら二索を二枚、中なら中を二枚集めるわけ。この同じ牌二枚を『雀頭(ジャントウ)』という。これがないとどんなにすごい役ができても和がれないから気をつけてね」
ちらりと見やった少年が、こくこくとうなづく。…そう、たとえ天然とはいえジョーの知能指数はかなり高い。この調子なら、当初の計画どおりの説明でおおむねわかってもらえるだろう。ピュンマの瞳がいかにも満足そうに細められた。
「残りの三枚組の方は、それぞれ同じ牌三つか、同じ種類で連続する数字三つを集める。こちらも例を挙げれば、東を三枚とか、マンズだけで三四五、六七八って具合に揃えていくんだね。ちなみに、同じ牌三枚の組み合わせは刻子(コーツ)、同種で連続した数字三枚の組み合わせは順子(シュンツ)と呼ばれる。それとね、順子として通用するのはあくまでも数牌の組み合わせだけだ。字牌の方は…ま、一応『東南西北白發中』なんて一まとめに説明されることも多いけど、もとは全くの別物だからね。『東南西』とか『白發中』なんて組み合わせは順子として認められないから、ここも要注意だな…」
優秀な教師と優秀な生徒。麻雀教室は面白いほどにさくさくと進んでいった。だからピュンマもジョーもすっかり忘れていたのである。…そう、自分たちの傍らで楽しげに(?)卓を囲んでいる四人のうち三人が、人の皮をかぶった野獣、あるいは妖怪変化であるということを…。
「もちろん例外もある。さっき、雀頭以外の一二枚は三枚一組で考えると言ったけど、全く同じ牌を揃えた場合に限り、四枚一組の組み合わせも認めてもらえるんだ。その場合の四枚組は槓子(カンツ)と呼ばれて…」
ピュンマの説明がそこまで進んだ瞬間、ことは起きた。
「手前ぇ、このアマ! さっきからロコツに引っかけばかりしやがって、何考えてんだ畜生!」
「はん! なーにが引っかけよ! 最初要らないと思って捨てた牌をまたまたツモってきたと思ったら、幸運にもそれにくっつく牌が連続してやって来ただけじゃない! 大体ね、筋だの裏筋だの間四ケンだの、そんなのみんな確率の問題に過ぎないでしょ! どんなに当たる確率が低くったって、決してゼロじゃないってのが麻雀の鉄則よ。それにまんまと引っかかるあんたこそ、学習能力本っ気でゼロね、騒音ゴリラ!」
「何をぉぉぉっ!」
どっ派手かつ威勢のいい言い合いとともに、またまたその場に出現したご家庭内コロシアム。…でなけりゃご家庭内闘牛とか闘犬とか闘鶏とか(しかしこんなことで引き合いに出されるゴリラや牛、犬や鶏もさぞ迷惑だろうな〜(←この世の全てのゴリラ、牛、犬、鶏の皆様方に深くお詫び申し上げます@作者)。瞬間、ピュンマとジョーはさっと机の下にもぐりこんだ。周と松井警視の言い争いの声が耳に届いた途端、頭で考えるよりも先に身体が動いてしまったのである。こうなるともう、どこに出しても恥ずかしくない立派な条件反射というものであろう。
「やれやれ、また始まった…二人とも、怪我なんかしなきゃいいけど」
「松井さんは一応手加減しつつ闘ってるんだろうけど…問題は、周だよね」
ふと、ピュンマの脳裏に藤蔭医師の言葉が蘇った。
(…御覧なさいな、彼女の姿…ちゃんと、いつもどおりの周じゃない。獣眼鉤爪の戦闘モードに入ったわけでもなし、大丈夫。彼女は決して手加減を忘れたわけじゃないわ)
だから何なんだ、と絶叫したいのは山々だが、とにかく今はあの言葉を信じるしかない。
「まぁ、周だってさすがにそこまで逆上してはいないと思うよ。それに、周と松井さんは乱闘の当事者なんだから、万が一かすり傷の一つも負ったとしてもある程度自業自得かも。むしろ心配なのは石原先生と藤蔭先生だよ。二人ともこの乱闘には全然関係ないんだし、もし巻き添えになったりしたら、あんまり可哀想…」
ジョーと二人、机の下でひそひそこそこそ話し合いながら、そろそろと首を出して様子を伺うピュンマ。一応こっちは乱闘現場から二、三メートル離れているし、注意しなければならないのは乱闘のあおりを食って吹っ飛んでくる麻雀牌や点棒及び研究室内の備品だけなのだからまだ安全なはず(もっとも、猛獣二匹のどちらかが投げ飛ばされて飛んできた場合はどうだかわからんけど)。
だが、例の麻雀卓は乱闘現場のすぐ脇…というより現場そのものといっていい位置にあるのだ。もし繰り出される拳の、蹴り出される足の狙いが少しでも外れて石原医師、あるいは藤蔭医師を直撃したとしたら…?
ごくりと唾を飲み込みつつ、精一杯伸び上がった瞬間、ピュンマの全身が凍りついた。
「うわ…一体、何やってるんだ二人ともっ!」
その叫びに、すぐさまピュンマに倣ったジョーも、そのまま声もなく硬直する。
何と、石原医師も藤蔭医師も、避難するどころか先ほどと全く同じ姿勢で、そのまま麻雀卓に居座っているではないか。
「ふ…二人ともっ! そんなところにいたら危ないっ!」
「早く…早くこっちへ! でなきゃ、せめてその机の下に…っ!」
ピュンマとジョーの絶叫に藤蔭医師がふと顔を上げる。だが、彼女は次の瞬間にっこりと微笑み、軽くこちらに向かって手を振っただけ。と、そのこめかみからわずか数センチのところで周が放った回し蹴りのつま先が空を切る。続いて松井警視の左ストレートがシニョンをかすめ、後れ毛をふわりと舞い立たせ…。
それでも藤蔭医師はまるで気にするふうがない。それどころか、やがてその艶やかな唇がゆっくりと動いて―。
「し・ん・ぱ・い・し・な・い・で」
無言のままではあったが、その唇の動きは確かにそう読めた。ジョーとピュンマの肩ががくりと落ちる。…そうだ。どうせ彼女も一皮むけばあの猛り狂う猛獣二匹と同様、あるいはさらに始末の悪い妖怪変化。確かに、こんなことでどうにかなるタマではない。
しかし、もう一人は―石原医師はまぎれもない生身の普通人のはずだ。このまま放っておいていいのだろうか。…先ほどからその背中がぴくりとも動かないのが余計、不安をかきたてる。
(も、もしかして石原先生…?)
まさか、あまりの緊張と恐怖のあまり、「本当に」手の届かない世界へ旅立ってしまったのでは…慌てて机の下から飛び出し、駆け寄ろうとしたジョーとピュンマの鼻先すれすれに飛んでいったのは推定重量十キログラムの小型キャビネット。さすがのサイボーグといえども、防護服その他の装備もなしでこんなモノが飛び交う中に出ていくわけにはいかない。結局二人はその乱闘が収まるまで机の下に閉じ込められ、互いの手をしっかりと握り合いながらただひたすらに石原医師の無事を祈るしかなかった。
だが、彼ら純粋な青少年の不安は全て杞憂だったりする。
石原医師はまだちゃんと生きていたし、かすり傷一つ負ってはいなかった。
ただ、彼は―猛烈に悩んでいたのである。
その原因は何を隠そう、先ほどのピュンマの言葉であった。
(もし…勝負に参加したとしても…決して…和がっちゃいけません。それと…八百長もダメです…。さもないと…恐ろしい…ことになる…)
和がっちゃいけない、八百長もダメ。要するに、勝つのも負けるのも禁止と言われて、一体どのような勝負をすればいいのか。こればかりはさすがの天才医師、石原秀之にとってもかなりの難問であった。
いざ卓についたところで、この答えが出ない限りは勝負になど集中できるわけがなく、ただ機械的に牌をツモって、手に触れたまた別の牌を上の空で捨てて行くだけの繰り返し。当然そんなことをしていたら手牌は滅茶苦茶、役どころか刻子、順子の一つさえ作れるわけがない、プレイヤーとしては最悪の自殺行為であったのだが―。
実はこれが、意外な効果をもたらしたのである。手牌が滅茶苦茶ではまず和がることはできないから禁止事項の一つはこれで問題なし。しかも石原医師は捨て牌すらも上の空、たまたま手に触れた牌を適当に捨てていくばかり―と、いうわけで。
それを目にした残り三人がすっかり疑心暗鬼に陥ってしまったのであった。
麻雀の中・上級者ともなれば、相手が捨てた牌をよく観察して、どんな役を作ろうとしているのか推理することも勝負の重要なカギである。なのに、手当たり次第の行き当たりばったりで捨てられた石原医師の牌からは、さすがの周や松井警視、そして藤蔭医師といえども何も読み取ることができなくて―。
いつの間にか石原医師は、何を考え、何を狙っているのかわからない(←いや実際、勝負については何も考えていないんだけど)不気味なダークホースとなり、あれこれ気を回しすぎ、裏の裏の裏まで読みすぎた三人は自ずと「超」慎重な、用心深い打ち回しをせざるをえなくなった。
結果、この回の勝負はやたらと流局(四人全員が和がれず、ノーカウントの引き分けになること)ばかりが続き、たまに誰かが和がってもごくささやかなツモ和がりのみという、先の老人たち相手の対戦以上に地味な、おとなしい展開になってしまったのである。
しかもこの「ピュンマ効果」はそればかりではなかった。あまりの難問に集中しすぎた石原医師の五感が完璧にその機能を停止し―勝負はもちろん自分の周囲で何が巻き起こっているかについてさえ全くの無関心、無反応になってしまったのだ。
おかげで例の大乱闘にも一切心を乱すことなく、ただひたすらにピュンマの言葉の謎に心を奪われていたことが、彼にとってどれほどの幸運だったかは計り知れない。もし石原医師があの乱闘に気づいてしまったが最後、この正義感あふれるとっちゃん坊やは必ず二人を止めようとその間に割って入り、いらん巻き添えを食って大怪我をするか、最悪の場合はそのものずばり霊柩車のお世話になっていたことは間違いないのだから。
そう。もしもこのまま石原医師の意識がひたすらその難問に集中し、その他のことどもには一切関知しないままでいたなら、とにもかくにもこの半荘だけは無事に終了していたはずなのだ。
だが、何ごともそううまくいくほど人生甘いモンじゃない、というのがこのサイトでのお約束だというのはすでに皆様ご存知の通りである。
幸い周と松井警視の乱闘も程なく収まり、気を取り直して再開した勝負もいよいよ終盤、あと残り二回で今回の半荘が終わるというときになって、ついに彼の幸運は尽きた。
そう、石原医師はとうとう答えを見つけ出してしまったのだ。
(…そうだ! 和がるのも八百長もダメだって言うんなら、自分が和がらないように気をつけつつ、相手にも和がらせなければ…つまり振り込まなければいいんだ! 自分で勝手に当たり牌引いてきてツモ和がりされる分には、残りの三人全員の負けってことだから僕一人の責任じゃないし―第一、ツモ和がりできるかどうかは本人の運次第であって、傍でどうこうできるモンじゃないもんな。したがって、ツモ和がりされて負けたのなら八百長も不成立! …なぁんだ、答えはこんなに簡単なことだったんだ)
ようやく疑問が解決し、すっきりさっぱり晴れ晴れと、残り二戦に賭ける石原医師。当然、今度はその役作りも捨て牌もきわめて論理的なものになる。
そのささやかな変化を、残る猛獣&妖怪変化トリオが見逃すわけがない。
(あら?)
(おや?)
(もしかして…)
ふと感じた疑問に、三人の目がきらりと光った。それでも用心は忘れず、ゲーム一回分をかけてじっくりとこの「元」ダークホースの打ち回しを観察する。結局この回も、松井警視のセコいピンフツモであっさりと終わってしまったのだが、その時にはすでに三人の疑問は立派な確信に変わっていた。
そうとなれば―何しろ、先の老人二人との対局、そしてこのダークホースに振り回された今回と、半荘三回分もの間地味でみみっちい勝負を余儀なくされてきた三人である。この最後の一戦で、本来の「派手、無謀、非常識」な雀風を思いっきり炸裂させたいと望んだところで、一体誰が彼らを責められるだろう。
そして、対する石原医師の雀風というのは、これまたその性格そのものの誠実かつ一本気かつバカ正直といったものであったりしたので―。
作者注:…となれば、すでに皆様結果はおわかりですね? なのでここで一つ警告。「あまりに刺激が強すぎる、あるいは残酷な話が苦手な皆様方はここでブラウザを閉じて下さい。最後まで読んでやろうという勇気ある皆様方においても、この先は全て自己責任でお願い致します(爆)」
最終ゲームもあと一巡か二巡で終わり、まさにこの勝負全体のクライマックス。石原医師の頭の中で、ようやくここまでこぎつけたという安堵感とまだまだ油断大敵という緊張感がめまぐるしく交差する。…と、その手がふと止まった。
(う…まずいな。ここで八索か一萬を捨てとかないと僕…このまま和がっちまうかも。しかもかなりの高得点、こりゃマジでヤバいよ…)
だからといって、他の三人の誰かに振り込むわけにも行かない。
(一体どっちを捨てようか…うーん…八索は松っちゃんがポンして三枚手元に持ってるから、今さら雀頭も刻子も作れない。…だけど、ソーズ捨ててる人がほとんどいないってことは、みんながソーズで役を作ってる可能性も高いということで…。おまけにこれはドラだし、当たっちまったらえらいことだ…としたら一萬…? ふむ、マンズの捨て牌は結構ある…か。なら、役に関係している可能性はかなり低い…だったらここはやっぱり一萬だ)
逡巡した挙句、石原医師が捨てたのは一萬。だが…。
「あ、それロン! ホンロートイトイ、40符4翻だから満貫ねっ♪」
途端、いかにも嬉しげな声を上げたのは周。石原医師の顔が、一瞬にして真っ青になる。
だが、それだけではまだ足りず。
「悪りぃな、ヒデ。俺もロン! 小三元、ドラ三のハネ満なっ」
そして―。
「…ごめんね、石原君。私もロンなの。…でもってねぇ…」
最後に、いかにも申し訳なさそうにうつむきつつ牌を倒した藤蔭医師の役はといえば。
「ちゅ、九連宝燈…!?」
そう、それぞまさしく役満中の役満、一生に一度できるかどうかと言われている幻の役、九連宝燈(チューレンポートー)以外の何ものでもなかった…。
たった一枚の捨て牌で残り三人が同時に和がってしまうことを「トリプルロン」と言う。非常に珍しい現象のため、ローカルルールでは流局とされることもよくあるのだが、何しろこの場合はメンツがメンツ、その執念が執念である。当然、そんな生易しい処置が取られるわけがない(合掌)。
もしもあのとき、石原医師がピュンマの言葉の謎を解いたりしなければ、このような憂き目を見ることもなかったであろう。…あまりに明晰すぎる頭脳は、時としてその持ち主を不幸にすることがあるという事実を、作者は今あらためて思い知っているところだったりする(あー、あたしゃバカで本当によかったよ←しみじみとため息)。