スカール様の憂鬱 〜決算編〜 3
「ご主人様っ! 一体ご主人様の会社の人たちは何考えているでちか! こっちも、こっちも…あーあ、こっちもでち。…どーちてみんな、揃いも揃ってこう詰めが甘いんでちかねぇ…」
両前脚で器用におもちゃを押さえつつ、パピの吠え声が執務室中に響き渡ります。
「い…いやしかしパピ坊、これらの財務諸表にはさほどおかしなところはないと思うが…ほら、見てみろ。売上高総利益率も売上高経常利益率も、売上高当期利益率もちゃぁんとギョーカイトップクラスを守っておるぞ」
しどろもどろに説明するスカール様を、つぶらな瞳がぎろりと見返します。
「…でもこっちもみんな、所得隠しやってるんでしょ?」
「うむ。まあ、そりゃな…」
「だったら当然、裏帳簿なんかもあるんでちよね」
「あ…ああ」
「なのにどーちて、女子事務員全員が派遣社員なんでちかっ。…いや、派遣社員自体はそう悪くないけど…だけどっ! 全員三十代以上のベテランばっかりってのは大問題でちっ。がうがうがうがうっ! …もう、これじゃいざというとき、全然役に立たないじゃないかぁ…がるるるる…」
押し殺したような唸り声を上げつつ、苛々とおもちゃの結び目をかじるパピ。しかし一体、裏帳簿と女子事務員との間にどういう因果関係があるというのでしょう。
「あんね、万が一税務署からの査察や強制捜査があった場合、裏帳簿を隠すのに一番いいのはヒラの女子社員…それも中学か高校出たての新入社員の家が一番安全なんでちよっ。税務署だってまさかそんな、右も左もわからない女の子に会社の大事な裏帳簿を預けるなんて思いまちぇんからね。重役や部課長クラスは一番に目をつけられまちから絶対ダメでち。女子社員だって、ベテランになればなるほど追求は厳しくなりまちから安心できまちぇん!」
確かにその言い分はもっともですが、スカール様にも企業人のご都合というものがございます。
「うむ…お前の言うことはもっともだがな、実はこの人材派遣会社もまた我々の直営企業であったりするのだよ。経営母体を同じくする兄弟企業同士、助け合うのは当然のことではないか。それに派遣社員なら社会保険料の企業負担やボーナス支給もしなくて済むからその分人件費も浮くし、本来の勤務先と派遣先が同系列なら、派遣社員の忠誠心もよりいっそう厚くなるというもの。そのようなメリットを考えてだなぁ、こういう雇用体制を…」
「ちっちっちっ。それこそがまだまだ甘いっていうんでちよ」
舌打ちをしながらパピ、さすがに人差し指を立てて振ることはできませんので、かわりにそのふさふさ尻尾を大きく二、三度横に振ります。
「そりゃ確かにその通りでしょうけれど、裏を返せばそんな忠誠心の厚いベテラン女子社員なんて一番税務署に目をつけられやすいじゃありまちぇんか。敵と同レベルの策略しか思いつけないようじゃ、到底勝負には勝てまちぇんっ! だからこそその裏をかいて、普通なら絶対そんな重要書類を任されるはずのない人間を選ぶんでちよ。第一、勤務年数の長いベテランなんて、逆に言えばそれだけ会社の内情を知りすぎているということ、万が一人選を誤って、あとでそれをネタに強請られたりしたらどう対処するつもりでちかっ」
ぽんぽんぽんと畳み掛けられて、さすがのスカール様も一瞬、絶句なさいました。それを自分の意見に賛成してくれた証拠とでも思ったのか、パピはますます得意げに語り続けます。
「ま、今働いている派遣社員を全員入れ替える必要はないでちけどね。いざというときの保険だと思って年に二人か三人、テキトーにドン臭くてクソ真面目なおねーちゃんたちを雇っておけば」
…一体、このパピという犬はどういう育ち方をしてきたのでしょう。ぬいぐるみのような愛くるしい外見に似合わずその腹の中は真っ黒けです。BG総帥として数限りない修羅場をくぐり抜けてきたスカール様といえど、ここまで悪知恵の働く腹黒い相手に出会ったことはめったにございません。
しかしスカール様にも世界各国五百社の代表取締役社長を勤める企業人としての意地がございます。
「うむ…お前の意見は充分検討に値する。…だがパピ坊よ、いくらドン臭くてクソ真面目なねいちゃんたちとはいえ、まだ入社して日の浅い新入社員が、会社のために法人税法違反…すなわち犯罪の片棒まで担いでくれるだろうか。俺にはどうしてもそこのところが引っかかるのだが…」
「ご心配にはおよびまちぇん。就職したての新人のやる気はかなりのもんでちよ。たとえどんな命令でも、めったにお話できない重役や社長からじきじきに頼まれたら感謝感激、どんなことがあっても死に物狂いでやり遂げることは間違いないでち。…それでもどうちても心配だとおっしゃるなら、基地内のイケメン戦闘員でも会社に送り込んで、ターゲットをたらしこんでもらえばより確実でしょう。憧れの格好いい先輩に甘い言葉をかけられていい気持ちになってるとこへ、涙混じりに『どうかこの書類を預かってくれっ』なんて頼まれたら大抵の女の子はイチコロでち。んーっとね、ボクの見た限りでは第三七大隊第五中隊のTさんとか、第六二大隊第一八中隊のUさんなんかが適任でちね。あ…科学者チームのWさんもわりかしいけるかも」
「こらこらこらっ!」
いかに可愛いパピ坊の言葉とはいえ、それではあんまり…ついつい、スカール様のお声が厳しくなりました。
「だったらお前、そのドン臭くてクソ真面目なおねいちゃんを騙せというのか! それはあまりといえばあまりなやり口だぞっ。それともまさか、全てが終ったあとは責任取ってそのおねいちゃんと戦闘員を結婚させろとでも…? もしかしてそのときの仲人は俺か…? いや、それより祝儀は何ぼ出したらいいんじゃぁぁぁぁっ!」
「やだなぁ、ご主人様。ご主人様にそんな面倒臭いこと、させまちぇんよ」
あたふたと焦りまくったスカール様に向けられたパピの笑顔はまさに尻尾のある天使そのもの。この愛くるしいチビ犬の腹の中がこんなに真っ黒けとは、一体誰が気づくでしょうか。
「無事ことが済んだらそのイケメン戦闘員はどっか海外支社にでも転勤したことにちて、またこの基地に戻ってきてもらえばいいでち。しばらくの間はそのおねーちゃんも嘆き哀しむでしょうけど、十代の恋なんて所詮ははしかと同じでちからね。一ヶ月もたてばまたすぐ立ち直りまちよ。…そーやって、女の子は大人の女になっていくもんでち」
すでにスカール様には返す言葉もございません。
「…なぁおい、パピ坊よ…お前一体どこでそんな知恵を身につけたのだ? こんな悪賢い…いやいや、用意周到な助言を俺にしてくれた者など、今まで一人もいなかったぞ…」
「あ、これは全部ママ…前の飼い主さんの受け売りでち。何しろあの人、若い頃は一応某会社の人事経理を渡り歩いたお局様、企業の裏事情には何かと精通してまちたし、ボクは生後一ヵ月半の頃から約五年間、あのオバサンに育てられまちたからねぇ…」
一瞬遠い目になったパピに誘われて、スカール様のお目もどこかあらぬところを見つめます。もしかしたらそこには、無邪気に遊ぶ幼いパピの幻が映っていたのかももしれません。生後一ヵ月半といったらまだまだ心も魂も真っ白、純真無垢のさぞかし可愛らしい仔犬だったでしょうに…わずか五年でその清らかな天使の腹の中をここまで真っ黒けに染め上げやがった飼い主とは一体どんな奴だったのでしょう。考えただけで背筋にそこはかとない寒気が襲って参ります。しかしその一方で。
(ああ…もし今もそのオバサンとやらが健在だったら三顧の礼をもって我がBGにスカウトするのにっ! 惜しい人を亡くした…)
何とも言えぬ無念と愛惜の思いが胸に湧き上がり、ついついスカール様は数秒間の黙祷を捧げてしまったりしたのでした。
しかし、パピの声がそんなスカール様を容赦なく現実に引き戻します。
「ご主人様っ! 何をのんびり居眠りなんかなさってるでちかっ。こっちの会社の書類も見てちょうだいでち!」
「は、はいっ! はいはいはいっ!」
…何だか、どちらが主人だかよくわからなくなって参りました。