何日君再来 9
社会科研究室の前に立ち、大きく一回、深呼吸。そしてできるだけ礼儀正しく扉をノックする。
「どうぞ」
返ってきたのはまぎれもない初音叔母の声。そう、今日この時間、ここにいるのが彼女一人であることはちゃんと調べがついている。聖は一人、にんまりとほくそえんだ。
「失礼します」
入ってきたのが聖と知って、何やら書き物をしていた初音の眉がかすかにひそめられた。先日の言い争いは決してどちらが悪いというものではなかったが、あの話を蒸し返されるのは彼女にとってあまりありがたくないことと見える(それも当然か)。
だが聖はそんな叔母の表情をわざと無視して、ごく普通に―猫かぶり全開のしおらしさでそっと一礼する。
「安部先生。お仕事中お邪魔して申し訳ありません。ですがこの間先生に頼まれていたことについて、一つだけ…お話が」
「…何かしら?」
顔を上げた初音の表情も平然としたもの。この姪にしてこの叔母ありと言うべき反応である。
聖の漆黒の瞳が挑戦的にきらりと光った。
(ふーん、ここはとことんバックレるつもりってかぁ? おーし。そうなりゃこっちもそれなりにやらせてもらおうじゃんよ)
だが、表面上はあくまでもしおらしく、礼儀正しく。
「例の調べ物なんですけど、おかげさまで範囲が随分狭まりました。最初の予定のほぼ半分で済みそうなんです。で…」
「資料室の特別文献のことだったら今は少し待ってちょうだい。この間も言ったでしょう? その件に関しては先生ができる限りのことを考えるって」
早くも予防線を張ってきた初音。だがここはあえて、もう一度だけ正攻法でツッコんでみる。
「でも先生、あれを調べるにはあの資料を拝見するのが一番早いんです。何とか…何とか見せてもらうわけには行かないでしょうか?」
「しつこいわよ、藤蔭さん! そのことについては先生が必ず方法を考えるから、少し待ってって言ってるでしょう!」
やや荒い声で言い捨てたと同時に、再び書類にペンを走らせる初音。どうやら聖の嘆願は完璧に無視することに決めたらしい。
(ほーお。叔母ちゃん、あくまでもツッパりますか)
小さく肩をすくめた聖がそっと初音に近づく。そんな姪っ子には一瞥もくれず、半ば意地になったようにひたすら仕事に没頭する初音。
と―。
聖がその形のよい唇をそっと叔母の耳元に近づけ、小さな声でささやいた。
「…直立ミイラ」
途端、初音の手からぱたりと落ちたペン。
「な…っ! 何それ!? どうしてあんたがそんなこと…!」
がばとこちらに向き直った初音の頬が、わずかに紅潮していた。
「…べっつにぃ〜? この間ちょっとしたきっかけから小耳に挟んだだけですよぉ。でも意外だったなー、東郷先生のア・ダ・ナ。あたしらが入学した頃にはもうしっかり『直立即身仏』になってたから、ずっと昔からそうだったんだと思ってた」
「ひ・じ・りぃぃぃぃぃ〜っ!」
ついに席から立ち上がった初音の一撃が迷うことなく聖を襲った。が、それをひらりとかわした少女は、研究室中を逃げ回りながらからかうように話し続ける。
「もともとのあだなは『直立ミイラ』。何でも二六年前の高等部二年生が名付け親だったそうですね〜。ちなみに、その子が当時在籍してたのは高二C。でもって、名前は…」
「こら! このバカ娘! 黙りなさいっ!」
ぱっとしゃがみこんだ聖の後れ毛をかすめて、初音の手刀が空を切る。
「藤蔭―初音。…それって、叔母ちゃんですよねっ♪」
それを聞いた途端、がっくりとその場に膝をついた初音に、聖はなおも容赦なくたたみかける。
「ね、叔母ちゃん。いえ、安部先生? うちのクラスに重田冴子って子がいるでしょぉ? 新聞部部長の。あの子がねー、今、すっごく困ってんですよぉ。次の『秀桜学園新聞』、その記事がたった一箇所、どーしても埋まらないんだって。…いえね、記事自体はごく簡単なベタコラムなんだけど、できればちょっとしたスクープ性は持たせたいし、先生方の知られざる秘密なんかだったりするとすごく嬉しいしって、毎日走り回ってる。なのに中々いいネタが見つからなくて…。瞳子や煕子ほどじゃないけど、冴子ともあたし結構仲良しなんですよねー。だからできれば協力してあげたいなー、なんて思ってたりして。…ね、先生。うちらってば中等部入学以来全く同じメンツでここまで来たでしょう? 何かあったときの結束力なら並みの高校遥かに超えてるって、先生ならとっくにご存知ですよねー♪ 何てったって先生も、うちのガッコの卒業生なんですもーん」
「聖…あんた、あたしを脅迫する気?」
弱々しげな初音の声。
「そんなぁ、とんでもないっ。ただちょっと、お話ししただけでーす。大体そんな、四半世紀以上も前の話なんてとっくに時効でしょ? 東郷先生だってそんな大昔の話にいちいち目くじら立てて怒ったりなさいませんよぉ。まして今は生徒でも何でもない、立派な『同僚』に、ねぇ?」
初音の歯ぎしりが研究室中にこだました。
(畜生…このクソガキ…。子供だ子供だと思ってたら、いつのまにかこんな超高校級、大人顔負けの性悪に育ちやがって…)
立派な「同僚」。だから困るのだ。生徒、教え子ならちょっとした悪さやいたずらをしても許される。だが、ともに同じ職場で働く同僚―いや、今でこそ初音とて生徒指導部長の肩書きを持っているものの、かつてはしっかり東郷教諭の下で校務にいそしんでいたこともあったりする―となれば。
「元」上司にあんなあだなをつけた張本人が自分だとバレたあと、一体どんな顔をして勤務すればいいというのだ。
初音の瞳が、一瞬憎しみさえ込めて聖を睨みつけ、そしてゆっくりと―観念したように―閉じられた。
「…わかった。特別文献についてはもう一度―校長先生に直接相談してみる。それでいいんでしょ、この不良娘っ!」
その言葉を聞いた聖の顔がぱっと輝いたのは言うまでもない。
「ありがとうございます、先生っ! あたし、このご恩は一生忘れませんっ。…叔母ちゃん、大好きっ。愛してるぅっ!」
思いっきり深々と一礼したあとは三十六計逃げるにしかず。あっという間に紺色のブレザーは社会科研究室を走り出ていった。
そして、階段の手前で息をつき、にやりと笑ってふてぶてしく一言。
「けっ、子供だからってそうそうこき使われっばなしでたまるかい。…新人類、なめんなよ」
その後、初音がどうやって佐田校長を言いくるめたのかは定かではない。だが、とにもかくにも翌週土曜日の午後、ついに聖は特別文献閲覧を許されたのであった。
「…土曜日は東郷先生がおいでにならないとはいえ、他の先生方の目もあるから作業は午後二時開始。でもって、何が何でもその日のうちにカタつけるんだよっ!」
究極の仏頂面とも言うべき表情の初音に厳しく釘を刺され、大きくうなづいた聖。たとえ超高校級の性悪だろうが何だろうが、聖が年齢以上にしっかりした娘であることは初音の方もよく承知していたから、一応はそれで安心していたのだが。
それなのに。
「ちょっ…ちょっと聖ぃぃぃっ!! あんた一体、何考えてんのよぉぉぉっ!」
土曜日当日、約束の時刻より少し前から資料室で準備を整えていた初音は、きっかり二時になったと同時にノックされたドアを開けた途端、素っ頓狂な叫び声をあげる羽目になってしまったのだった。
と、いうのも―。
「安部先生、今日は本当にご無理を言いましてすみませんでした。よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げた聖の後ろに、
「安部先生、よろしくお願いしまーす」
全く予想外の付録が二つ―瞳子と煕子までもが一緒にくっついてきたからである。
たちまち顔面蒼白になった初音が聖の手首をつかみ、部屋の隅に引きずっていく。
(どうして松宮さんや後三条さんまで連れてきちゃうのよっ! あたしが閲覧許可したのはあんただけなのにっ!)
なのに聖はあっけらかんとした顔で、
「人海戦術」
と応えたのみ。そして一瞬のうちに満面を朱に染めた叔母に、しれっとして言い放つ。
「だって、いくら叔母ちゃんとあたしでも、ダンボール五箱分の資料、たった半日で全部調べることなんてできっこないもの。だから助っ人頼んだんよ。…瞳子と煕子なら絶対大丈夫。それはあたしが保証するから!」
確かに、あまりの資料の多さは初音とて内心心配しないではなかった。それに、瞳子と煕子が聖同様、年齢以上にしっかりした生徒たちであることは今さら保証されなくてもよくわかっている。だが―。
(…だけどね、今日はあとで校長先生もおみえになることになってんのよっ! あんた以外の子たちまで駆り出すなんて、あたし一言も校長先生に言ってないんだからっ)
「あ、そうだったんだー。じゃ、峰バァきたらうちら三人でよく謝るから。『安部先生にも内緒できちゃいました、ごめんなさ〜い』って。…それより叔母ちゃん、早く始めようよ。時間ないし」
この脳天底抜け娘にかかってはさすがの初音もそれ以上言い返す言葉がない。せめてもの意趣返しに「ちゃんと校長先生ってお呼びしなさいっ!」とまたまたその頭を張り倒したことで我慢するしかなく―。
そしていよいよ、四人がかりの調査が始まったのであった。
「ん〜っと、そっちはどう? 煕子」
「ううう…やっぱり『キヨコ』って名前は多いぜぇ。大正六年から十年までの名簿には必ず一人か二人載っかってるよぉ」
「大正元年から五年の名簿もほぼ同じく。んーっと、だけど大正三年の名簿には…ないね。でもやっぱ、名前でこれ以上捜査範囲絞り込むのは無理なんでねーの、聖。学年が違ってても顔見知りになったり仲良くなったりするケースもあるしさ」
「くっそぉ…それじゃやっぱし、こっちのアルバムの方からたぐるっきゃないのかなぁ」
傍らの初音にはお構いなく、タメ口丸出しで言い合う少女たち。だが、しょっちゅう一緒にくっついているだけあって、ぴったり息の合ったその手際は中々のものである。そのへんの融通の利かない社会人なんかよりはよほど有能で役に立つ―と、さすがの初音もそのことだけは認めないわけにはいかなかった。
どうやら聖たち、最初は名簿から「キヨコ」と言う名前の生徒がいる学年を抜き出して徹底的に調べるつもりだったらしい。だが、いざ手をつけてみると「キヨコ」という名前はあまりにも、多すぎて―。
「叔母ちゃん…いえ、安部先生…」
自分を振り返った聖に、初音も肩をすくめた。
「残念ながら、大正十一年以降の名簿も同じくよ、聖。少なくとも昭和十年までの時点で五十人はいる…。あんたの言う通り、ここはさっさとアルバムを調べた方がいいかもしれない。でも―」
そこでふと、初音は眉を寄せる。
「この中で幽霊の顔を知ってるのはあんただけでしょう。写真で人相を確かめるとなったら私たちは完全に役立たずになっちゃうわよ。どうするの?」
「うん…。だからあたしも、できれば名簿の方から何か手がかりをつかみたかったんだけど…こうなったら、仕方ないよね…」
後半を、半ば独り言のようにつぶやいた聖の表情が変わる。初音の瞳が、ほんの少し見開かれた。
「もしかしてあんた…『水鏡の法』を使う気?」
漆黒の瞳が、こくりとうなづく。
「ちょっと待ってよ。少なくともあんたとあたしなら同じ藤蔭一族だから何とかなるかもしれないけど…松宮さんや後三条さんのような、うちとは全然血縁関係のない人相手にどうしようっていうの?」
「でも、あたしたちは見ず知らずの他人同士じゃない」
間髪入れず言い返した聖の顔に、迷いはなかった。
「高一で同じクラスになってから、一日のほとんどを学校で一緒に過ごして、休みの日にもしょっちゅう一緒に遊びに行って。電話すれば必ず長電話になって、お母さんたちに叱られて。少なくとも互いの気心は充分わかり合ってると思う。だとしたら…可能性はあるでしょ、叔母ちゃん」
目と目を合わせたまま微動だにしない二人。と、そこへ煕子がおずおずと問いかけた。
「あの…聖? 安部先生…? 二人とも、そんな怖い顔して…『水鏡の法』って一体、何…? いえ、何なんですか?」
「あ…ごめん、煕子」
振り返った聖は、もういつもの顔。
「『水鏡』ってのはね、わかりやすく言えばテレパシー。SF小説や漫画によく出てくるじゃん」
「何、聖! あんたそんなことできるのぉ!?」
今度は瞳子がぽかんと口を開けた。苦笑する聖。
「うんにゃ。あたしの力はとてもとても、『超人ロック』や『超少女明日香』にゃおよばないよ。せいぜい、他人が穏やかな気持ちでいるのか、落ち込んだり怒ったりしてるかぼんやり感じ取るくらいが関の山。詳しい顕在意識や潜在意識なんてとても読めないさ。もちろん、自分の気持ちを逐一相手に伝えるなんてことも無理。でも―」
言葉を切り、きっと唇をかんだ友達に、煕子と瞳子の表情も引き締まる。
「あたしがあの夜見た幽霊の姿。それをあんたたちの心に、『水鏡』のように映すだけなら、もしかして―できるかもしれない」
そして、しばらくののち。資料室のほとんどを占めている巨大な作業机の脇、ほんの少し空いている空間に向き合って立つ、聖と安部教諭。二人とも両手を胸の前で合わせ、まるでお祈りでもしているかのような格好のまま目を閉じている。それをじっと見つめる煕子と瞳子の頭の中では、先ほどの聖の説明がぐるぐると渦を巻いていた。
(しつこいようだけど、あたしの『能力』は決して強くない。だから、自分と血がつながってて『能力者』としての素質を持つ―藤蔭家の人間相手でなきゃこんなこと、絶対できないはずなんだけど…でも、あたしたちは同じ学校に通う同じ十七歳で、同じ女で。それも、高一のときからずっと一緒につるんでるから、互いの精神の距離ってやつは、めったに会わない親戚なんかよりゃずっと近いと思う。だからとにかく、それに賭けてみたい。―いい?)
もちろん、二人はしっかりとうなづいた。彼女たちとて、生半可な気持ちで聖の手伝いをかってでたわけではないのだ。
そんな二人に、安部教諭が添えた言葉。
(ありがとう。それじゃまず、私とこの子でやってみるわね。もちろん、術自体は決して危険なものじゃないから心配しないで)
やがて。
しばらく同じ姿勢で向き合っていた二人のうち、安部教諭の身体がぴくりと震えた。額に浮かぶ汗の粒。はっとして聖を見れば、そちらの方も汗びっしょりだ。かすかに歪んだ叔母と姪の表情。だが、安部教諭はどこか妙に納得した様子で―さながら新聞か雑誌でも読んでいるかのごとく、何度もせわしなくうなづき続けている。
随分と長い時間が過ぎたような気がしたが、実際かかった時間は五分程度のものでしかなかった。
そして、申し合わせたように同時に眼を開いた聖と安部教諭。
「叔母ちゃん…ちゃんと、伝わった…?」
肩で息をつきつつつぶやいた聖に、安部教諭が力強くうなづきかける。
「ええ。はっきりとわかったわ。それじゃ私、一足先にアルバム調べるから」
「よかった…」
にっこり微笑みつつ、大きく深呼吸をして息を整えていた聖が顔を上げ、
「さ、そんじゃ次、いってみよっか」
と、自分たちの方を振り向いたときばかりは、さすがの瞳子と煕子もごくりと生唾を飲み込んだのであった。
「何だかんだ言ってもさ、結局あたしたちは赤の他人で、血縁関係なんざこれっぽっちもないから―」
今度は椅子に座ったまま、両手を大きく広げて両の掌を上に向けた聖。
「二人とも、あたしの手しっかり握ってて。『接触テレパス』じゃないけど、やっぱ身体の一部が触れ合ってる方が伝わりやすいと思うんだ」
聖の左右の椅子に腰かけ、かすかにうなづいた瞳子と煕子が、左右両側から聖の手をしっかりと握る。
「…したら、大きく深呼吸して、心を落ち着けて…できるだけ、何も考えないで。眠っちゃってもいーよ。…うん、そう。じゃ、いくね」
同時に、瞳子も煕子も、握りしめている聖の手がかすかに熱くなったのを感じた。
と―。
「い…やああああぁぁぁぁっ! 何よこれ!」
びくりと身を震わせた煕子の悲鳴にも似た声。だがそれも、無理はあるまい。聖の能力についてある程度は知っていたとはいえ、煕子たちがそれを直接体験するのはこれが初めてだったのだ。
何も考えていないはずなのに、頭の中にある映像が浮かび上がってくる。
最初はぼんやりと、やがてカメラのピントを合わせるようにゆっくりと形を結ぶ、見たこともない少女。黒紋付に臙脂紫の袴。赤い鼻緒の草履に大きなリボン。追い払っても追い払っても消えてくれない、幽霊の―肖像。
「煕子、黙って! 今余計なこと考えたら、同調が切れちゃう!」
鋼の一喝に煕子がびくりと身を縮め、それでもまた、心の中の雑念を追い払おうと必死の形相になる。一方の瞳子もかすかに眉をひそめ、いくぶん蒼ざめた唇をわなわなと震わせつつ、全力で聖の手を握りしめていた。
そして、再度聖が目を開いたとき。
「う…何かすげぇ、変な気分…」
「一時はマジ、自分が自分でなくなっちゃうような気がしたよ…。聖…あんたって、すごいねぇ」
両脇でへたへたと机に突っ伏してしまった友達二人に、聖も不安げな目を向ける。
「ご…ごめん。決して脅かすつもりじゃなかったんだけどさ、でも、これしか手がなくて…」
だが、もしかしたら泣きそうになっていたかもしれない聖を見上げた二人は次の瞬間、にっと笑って。
「でも、例の幽霊さんの顔はしっかりわかったよ。よっしゃ! んじゃこれからいっちょ、アルバムのチェックに入るかぁ!」
「あたしも完全OKだぜいっ。さーて、せっかく教えてもらった顔、忘れないうちに早いとこ見つけにゃぁ!」
そのままさっと席に戻り、早速机に積み上げられたアルバムを開く瞳子と煕子。その後姿を見ていた聖の顔がもう一度、泣き出しそうに歪んだ。
「ほら聖! あんた、何一人でぼうっとしてるの! さっさと手伝いなさい!」
口調こそ厳しかったものの、顔を上げれば初音叔母がかすかに笑ってうなづきかけていた。
「はいっ」
にじみかけた涙をこぶしでぬぐい、聖は慌てて皆に加わる。
しばらくの間、四人は無言のまま、ひたすらセピア色の写真の数々を見つめ続けていた。
調査を始めてから、すでに二時間近くが過ぎただろうか。
「ちょ…ちょっと聖! これ! この子見て!」
沈黙を破って、瞳子が叫んだ。途端に全員が顔を上げ、席を蹴り倒す勢いで瞳子の周囲に群がる。
「この写真の右側に写ってるこの子…この子だよ、絶対っ!」
瞳子が指差したのは、どこか川べりの土手らしい場所に並んで腰を下ろし、いかにも親しげに寄り添って微笑む二人の少女の写真だった。
「そうだ、この子だ!」
「うん、間違いないよ、聖!」
口々に叫ぶ聖と煕子をそっと押しのけ、瞳子の手からアルバムを取り上げた初音が丁寧かつ慎重にその写真を台紙からはがす。そして、幾分震える手で静かにそれを裏返してみれば―。
「昭和八年五月 五年生玉川上水に遊山す
右 頼豪寺万里子
左 (後松倉伯爵家 征賢氏令室)山内潔子」
この、三行の覚え書き―。
「叔母ちゃん…っ!」
聖の声が震える。その顔を振り返った初音がしっかりとうなづいた。
「ああ…確かにそうだよ。幽霊の正体はここに写ってる、頼豪寺…万里子! そして多分、あんたが聞いた『キヨコサマ』ってのも―」
「え―」
聖の瞳が見開かれる。アルバムチェックに気を取られ、正直、あの「キヨコサマ」の方は今の今までころりと忘れていたのだ。
「いい、聖。そして松宮さんも後三条さんも。この『潔子』って名前は『キヨコ』って読むのよ。だから―」
言われて、瞳子も煕子も息を呑む。
「こんなにぴったり寄り添って…笑って…。多分この二人、よっぽど仲がよかったに違いないわ。だからきっと…幽霊が気にかけている『キヨコサマ』というのはこの山内潔子!」
ややかすれた声で言い切った初音の声を聞く三人の胸に、何とも言えない厳粛な思いがわきあがる。
肩を寄せ合い、互いに抱きつかんばかりにして屈託なく微笑む、はるか昔の―先輩たち。この後一体、二人はどのような運命をたどったのだろうか。こんなに幸せそうな二人のうちの一人が何故五十年後の今、幽霊となって―ただひたすらに、もう一人の姿を追い求めているのだろうか。
言葉を失い、呆然と立ち尽くす四人。と、その後ろで資料室のドアがつつましやかに開けられた。
「まぁまぁ、安部先生も藤蔭さんも御苦労様。…あら? お二人だけじゃ、なかったの…?」
不意に響いた物静かな声に振り返った四人の前には、濃紺の紬を上品に着こなした小柄な老婦人が一人。
秀桜学園校長、佐田峰子女史であった―。
そこで再び、初音はこの三人の息のあったチームプレイに感嘆することになる。
「あら…? お二人だけじゃ、なかったの?」
佐田校長のつぶやきを耳にした瞬間、三人が目にも止まらぬ速さでその前に整列する。
「校長先生、申し訳ありませんっ!」
「安部先生にも無断で勝手に押しかけて…すみませんでした!」
「違うんです! 私が頼んだんです! あんまり…あんまり資料が多すぎて、私と叔母…いえ、安部先生だけでは到底調べきれないと思って…申し訳ありませんでした!」
しおらしげな口調、泣き出しそうな表情で一方的にまくしたてたあとには見事なタイミングで一斉に頭を下げる。しかも、申し合わせたわけでもあるまいにぴったり揃った最敬礼、90度。
(畜生…体育祭の集団演技じゃ、怒鳴ろうが叱ろうが決してこんな息のあった行動は見せないくせに…)
ひっそりと苦虫を噛み潰したような初音とは対照的に、こちらはあっさりとだまくらかされてしまった様子の佐田校長。
「あらあら、皆そんなに謝らなくてもいいのよ。…そうよねぇ。確かにこれだけの資料、二人だけじゃぁちょっと、手に余ったでしょうからね。だから私も何かお手伝いできればと思ってやってきたのだけれども。…安部先生? 調査の結果は如何かしら。何か、わかりました?」
突然水を向けられ、初音が慌てて先ほどの写真を差し出す。
「はい、校長先生! 幽霊の正体、わかりました。こちらの右側に写っている…頼豪寺万里子という方です。間違いございません」
その刹那―佐田校長の顔色が変わった。
「何ですって…! 頼豪寺の…万里子…様…?」
そして、その異変に気づいた四人が駆け寄る隙すら与えず。
「…わかりました。皆様、本当に御苦労様でした。では今日は、とりあえずここまでということに致しましょう。…藤蔭さん、松宮さん、後三条さん、ありがとうございました。今日のところは午後も遅いし、貴女方はいったんおうちにお帰りなさい。これから後のことは、またあらためて考えましょう。…そして、安部先生はこれから校長室に来て下さる? 今後のことを、ご相談したいのですけれど」
おっとりとした声音の中に、有無を言わさぬ響きが秘められている。これではさすがの悪ガキ三人組も反論のしようがない。おどおどと初音のほうを振り返れば、こちらも少々戸惑ったふうの女教師がかすかな目配せを返す。
どうにも納得できない成り行きではあったけれど、仕方がない。聖たち三人は、そのまますごすごと資料室から引き上げ、それぞれの家に帰るしかなかった。
そして、校長室に呼ばれた初音の方も―。
「…安部先生。今日は本当に、いろいろ御苦労様でした。でも…」
そこで一瞬口ごもった佐田校長が続けた台詞に、はっとしてその場に立ちすくんでしまったのであった。
「幽霊の正体が頼豪寺の万里子様だとわかった以上、今後藤蔭さん―いえ、貴女の姪の聖さんを深入りさせるわけには参りません。今すぐ聖さんに、この件からは一切手を引くよう厳しく言って聞かせて下さい。お願い致します」